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* * *
自習室という教室は、真面目な人にとっては勉強の場所で、僕にとっては絶好の昼寝スポットだ。放課後ならともかく、昼休みにここへ来て勉強しようなんて奇特な奴はいない。だから僕は大音量で音楽を聞きながら、机に突っ伏して眠りに入る。こうしていると、落ち着くのだ。音楽以外は何も聞こえない。昼休みの喧騒も、虫の声さえも。
「いつも何を聞いてるの?」
また、頭にちょっとした衝撃。周りの雑音が耳に入って、ヘッドホンが取られたんだなと思った。すこしうとうとしてたせいで、ぼーっとする頭を起こして、状況を探る。目の前の状況に、ニヤけそうになったのをグッとこらえた。
「ちぃちゃん」
「佐藤先生。うわっ、音うるさい。こんなんじゃ耳悪くなるよ」
ちぃちゃんは、すこしだけ耳に近づけたヘッドホンをしかめつらで机に置いた。確かにヘッドホンからは音漏れするくらいの音量で音楽が流れているけど、僕にとってはちょうどいいくらいだった。これくらいにしないと、周りの音が煩いのだ。
「好きで聞いてるわけじゃねーもん」
「じゃあなんで聞いてるの……」
心底不思議そうな顔でちぃちゃんは尋ねた。理由なんて言うもんか、と無言を決め込む。
なんで来てくれたんだろう。僕のことを気にかけてくれたのかな。やっぱりちぃちゃんは世話焼きで、優しくて、変わらない。『先生』になったからって、なんだというんだ。
「ね、ちぃちゃん。筒井筒、だっけ? 今日の」
「だから佐藤先生! お、よく覚えてたね。不真面目くんのくせに」
ちぃちゃんは嬉しそうに笑った。不真面目なことは否定できないけど、僕はいつだってちぃちゃんの声はちゃんと聞いている。だから学年主任にも“佐藤先生の言うことはちゃんと聞く”だなんて言われるんだけど。
僕は横に立つちぃちゃんの腕を掴んだ。そのまま立ち上がって、ガタリと椅子が後ろに倒れた。ちぃちゃんはびっくりして身を固まらせる。その一瞬を狙って、僕はちぃちゃんを抱き寄せた。小さな身体は僕の胸の中にスッポリ収まり、その中でちぃちゃんは必死に抵抗しようとしている。
「よ、しおかくっ……離しっ……!」
「俺だって、昔より背ぇ伸びたよ、ちぃちゃん」
「……っ!」
胸の中のちぃちゃんの耳元で囁いた。僕の言わんとしてることを、頭のいいちぃちゃんはわかったはずだ。その証拠に、ほら、耳まで真っ赤にしている。
昼休みの喧騒も、虫の声も。ヘッドホンから漏れる、ジャカジャカと激しい音楽も。あるはずの音が遠くに聞こえるくらい、この教室は静まり返っていて。僕とちぃちゃんの息遣いだけが、やけに大きく響いた。
「──ちぃちゃ、」
呼びかけには答えなかった。その代わりちぃちゃんは、僕を思い切り後ろに突き飛ばした。衝撃でよろけた僕の腕からするりと抜けだしたちぃちゃんは、何も言わずに教室から出て行ってしまった。
「……なんだよ……」
ちぃちゃんがいなくなった教室は静かなはずなのに、さっきよりも喧騒や音漏れが煩く感じて、僕は思わず耳を塞いだ。ちぃちゃん、小さくて、柔らかかった。さっき抱きしめた感覚がまだ残っていて、自分の鼓動が鮮明に聞こえる。馬鹿みたいに速いでやんの。僕は一人でため息をついた。
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