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 ちぃちゃんの何処が好きなのかと問われれば、小さな奥二重の瞳とか、小さくて丸い鼻とか、薄い桜色の唇とか、色々あるけど、僕は真っ先に声と答える。透き通っていて、耳に心地よく響く声。僕はその声が大好きだったし、その声で紡がれる僕の名前は特別に思えた。女っぽくて嫌いだった名前が好きになったほど。


 ちぃちゃんこと佐藤千歳は、僕の7個上の幼馴染だ。世話焼きなちぃちゃんは僕が幼稚園の頃から遊び相手になってくれて、小学校の頃には勉強も教えてくれた。僕が彼女に初めての恋をするのには時間はかからず、僕は毎日ちぃちゃんのことを追いかけていた。ちぃちゃんが勝手に、県外の大学に進学するまでは。

 そりゃもうえらく泣いた。僕はもうちぃちゃんに二度と会えないんだと思って、ちゃんとしたお別れもしていないのにって、部屋にこもって1人で泣いた。それがたしか小6の時。

 ちぃちゃんが呼んでくれなくなった名前は特別でも何でもなくなって、それ以外の人が僕を呼んでも、煩いだけで。聞き心地のよくない声を遮断するために、ヘッドホンを常にするようになった。色々どーでもよくなって、高校はヘッドホンしてても怒られなさそうな校則のゆるい馬鹿高を選んだ。勉強頑張って同じ大学目指したところで、ちぃちゃんはいないんだし──って思ってたら、ちぃちゃんはいたのだ。『ちぃちゃん』ではなく、『サトーセンセー』として。


「“筒井筒井筒にかけしまろがたけ すぎにけらしな妹見ざるまに”──この歌の訳ですが……」


 ちぃちゃんの担当が国語でよかったなと思う。ちぃちゃんの日本語はすごく綺麗で、いつまでも聞いていられる気さえする。古文だとなおさら、流れるように読まれる一言一言が、心地いい。


「吉岡くん、聞いてるの?」

「え? あ、はい」

「ぼーっとしてたでしょ。ちょうどいいや、吉岡くん。この歌、どんなことを歌ってるかわかる?」


 どんなこと、って。教科書の注釈をヒントに、恐る恐る口に出す。


「会わないうちに、背が伸びたよ的な?」

「そう。直訳するとね。この歌は、2人が幼馴染だったってことが肝だよね。昔2人で背比べした井筒の囲いを引き合いに出して、あなたに会わないうちに背が伸びましたって言ってる。でもこの歌には、背が伸びて一人前になった今、あなたを妻として迎えたいって気持ちが隠されているの」


 へぇ。と思ったら、一部の女子がロマンチックだなんだと騒ぎ出した。ちぃちゃんもそれにのるように、「でしょ!?」と笑う。


「この妹っていう漢字。今の兄妹って意味じゃないからね。これはこの時代で、奥さんや恋人を表す言葉なの。大胆よね、付き合ってないのに恋人呼ばわりなんだから」


 ふぅん、と思いながら、申し訳程度にノートをとる。

 背が伸びて一人前なら、僕だって一人前だ。会わない数年の間に、小柄なちぃちゃんなんかとうに越している。その身を包み込んで抱きしめることくらい容易いのに。現実はそうともいかないよな、と、晴れて夫婦になったらしいこいつらのページに落書きをした。

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