君が名前を呼んだなら
天乃 彗
1
学校というつまんなくて小さな社会の中。
君の声以外は、みんな雑音だ。
* * *
「コラァ! 吉岡ぁ!」
学年主任が叫ぶ声がする気がする。おそらく僕に向かって何かを怒鳴っている。だけど、僕にはお気に入りのヘッドホンがあるから、そんな声は聞こえないのである。聞いても意味ないし、バックレよう。そう考えて早足で廊下を歩いていると、突然音楽が途切れた。
「吉岡くん! いい加減にしなさい!」
凛とした声が耳に届いて、ふと足を止めた。ヘッドホンをぶんどられたのだ、と気づく。僕のヘッドホンは目の前で仁王立ちをする、さっきの声の主の手の中にある。してやったりな顔で、僕を見上げる小さなセンセイ。でもこの人は、僕にとっては。
「返してよ、ちぃちゃん」
「返してください佐藤先生、でしょ! 言葉遣い!」
そう言ってちぃちゃんはコツンと僕の頭を叩いた。僕にとってちぃちゃんはずっと前からちぃちゃんなのに。いつの間にか勝手に『先生』になっていたというだけで。
「カエシテクダサイ、サトーセンセー」
「……まぁ、よろしい」
ちぃちゃんはしぶしぶ、持っていたヘッドホンを僕の胸に押し当てた。すると、ようやく僕に追いついた学年主任が、荒い息を整えながら僕たちに向き直る。
「いやぁ、佐藤先生、ありがとうございます」
「いえ、とんでもないです」
ちぃちゃんはオトナの笑みを浮かべる。学年主任はへらりと笑って、頭をぼりぼりと掻いた。
「ったく、吉岡は佐藤先生の言うことは素直に聞くんだから。困ったもんですよ。やっぱ若くて可愛い先生のほうがいいってんだろ? なぁ、吉岡」
確かに僕は、他の先生の話なんて聞こうとも思わない。だって、うるさいし、胡散臭いし、僕にとっては煩わしいだけだ。でも、ちぃちゃんだけは別。それは、若くて可愛いからって、そんな単純な理由ではない。
「だって、サトーセンセーは俺の特別だもん。ね、センセ?」
ちぃちゃんは、自分に話を振られるなんて思っていなかったようで、「へ!?」と素っ頓狂な声をあげた。一瞬、オトナの笑みが崩れたけど、すぐに元に戻して僕を見る。
「また、調子いいこと言って。先生をからかわないの! 次の授業あるんでしょ? 早く教室戻りなさい。ヘッドホンは禁止だからね!」
「……ハイハイ」
先生モードに入ってしまったちぃちゃんは、僕の話を聞いてくれない。僕は仕方なく、言われた通りヘッドホンを首に下げるだけにして、ひらひらと手を振ってその場を後にした。
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