第一章 己の影を求めて
第1話 辿り着いた場所
あのカードはクレジットカードではなかった。
あの部屋もピンクビジネスの巣窟ではなかった。
あのパンツは純白だった――僕の脳はそれをはっきりと再現可能な状態だ。
つまり、頭は、少なくとも短期記憶を司る箇所は正常であるといえる。
そもそも僕は高校生らしかったので、記載されていた高校名からなんとか自分が通っていると思われる学校へと辿り着くことができた。
途中、交番で中年の警官に道を尋ねた――僕は携帯電話も持っていなかった――時、背中を向けたままたるそうに受け答えしていたその警官が、振り返って僕の顔を見た途端、ビシっと直立不動になり――。
「こ、この道の突き当りを左に曲がり、それから真っ直ぐ、そして(学校までの詳細な道順)で、あります! 今地図をプリントアウト致しますので、少々お待ちくださいませ!」
とか、態度を急変させて言い出したのには驚いた。
ナイフも持っていない高校生相手にあれはなんだったんだ?
僕の顔が怖い? いや、写真の自分は無表情ではあるけれど、至って普通の容姿をした、超エロい風にも見えない高校生のはずだ。
ともかくも僕は今、走攻守学園という高校の教室にいる――けれど、周りの生徒の視線が気のせいかとても冷たい。
今の季節は初夏のように思えるけど、クーラーが必要なほどの気温ではない。
自分の事を尋ねてみようと接近すると、ふいと顔をそむけられてしまった。
気のせいだと自らに言い聞かせ、笑顔で再びトライ!
――にこり。
「……っひ!」
女子生徒は顔面を引きつらせて友達の元へと駆けこんで行ってしまった。
その女子たちの視線がさらにブリザード級へと下降する。
……どうやら避けられているようだ。
僕のことを知ってはいるようだけど……記憶を失う前の自分は、一体どんなヤツだったんだ?
今の空気感だと、かなりの嫌われ者のようだけど……。
やっぱり超エロいのがすでにクラス中に知れ渡っているのだろう、さもありなん、致し方ない。それは事実だ。
なぜなら、カードの裏面に『詳細欄』があり、そこには――。
『腋フェチLv5』
と、無慈悲に刻印されていたからだ。
そうだったのだ。僕は腋フェチだったのだ。
こんな身分証明書に刻印されているくらいだから、周知の事実になっていたとしてもなんら不思議なことではない。
でもさ、そんなツボくらいは誰だって持っているはずなのだ。
臆することはない。恥ずることはない。
僕はこのフェチズムを誇りとして生きて行こう。
ファシズムよりもずっと良いことなのだから。
気になるのはレベル5という数字が、腋フェチ全体の中でどれほどの位置に据えられているのかだけだ。
……というか、どうして自分の記憶が無くなってしまっているのか、今はそのことを一番知りたい。
ひと通り落ち着いてから気が付いたことだけど、腕やら胸やらに様々な色のアザが出来ていて、数カ所の切り傷まであった。
それほど深い傷ではなかったけど、どこかでひと騒動やらかしてきたのはまず確実な線らしい。
こりゃあロクな記憶の失い方はしてない感じ……だよなあ……。
でも謎だ。カードには自宅の住所までは記載されてなかったし、連絡先が書かれたようなものをバック内に求めたけど何もなかった。
それに一番おかしいと思ったのは、周りの男子生徒が着ている制服と、自分が着ている、ちょっと派手な金の線が入った詰め襟制服がまったく別モノだったというところだ。
実は学校を間違えている?
でも僕がここに居て、特に何も言われないということは、やっぱりここの生徒で間違えはないのだろう。
ちなみに、自分の席は消去法で探して座ってみた。
教師がHRのために入って来て、皆が座り終えた後の残りの席に座る。
――うん。何も言われない。
どうやらこの席が自分の席でビンゴのようだ。
――てな感じで、今は一時間目、日本史の授業中。
黒板に年表を書き込んでいるチョークの音が、カツカツと教室に響いている。
改めて例のカードを観察してみる。
表には顔写真と身長や体重など簡単なプロフィールが記載されている。
そして裏を返すと、そこには――。
【攻撃力 16】
【防御力 22】
【精神力 35】
【敏捷性 48】
【総知力 43】
【特殊スキル 無】
――と、それぞれの数値に比例した横棒グラフとともに、記載されている。
うーん……なんだろねこりゃ。
カードを穴の空くほどに眺めてみても、さっぱり思い出せないし、そもそも記憶があったのかどうかすら定かじゃない感じに思えてきた。
ともかく自分の名前は銑鉄鋼で、年齢は17歳ってことだけは確かのようだけど……。
ふうむ。
確かにバッグの中にはちゃんと教科書類がある。
ノートも入っていて、過去に自分が書いていたと思われる文字列を見ていると、不思議な感じになるねえ。
日本史の教科書をパラパラとめくってみる。
戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、江戸時代……札維新。
「ふだいしん?」
ちょうど、今やってる時代は……ここらへんか。なになに……?
『……江戸幕府はここに至り、
んー……。ここは日本だってことは分かってたけど、こんな歴史だったかどうか、確信が持てない。
けど教科書に書いてあるんだから、そうなんだろう。
それからも教師が黒板にタンタンと一定の音を立てながら、淡々と書かれていく文字には目もくれずに頭を捻ってみたけど、なにも、まさに何一つ思い出すことが出来ないまま、本日最初の授業終了のチャイムが鳴った。
ふぅ、と自分の口から溜息が漏れる。
さて、冷たい視線に負けず、自分のことを周りの生徒に訊いてみようと思って椅子から腰を上げたその時、日本史の教師が僕に話し掛けてきた。
「あー、銑鉄君。キミはすぐに生活指導局室まで出頭するように。以上」
「は? 出頭? 生活指導……きょくって?」
僕の問い掛けにも、教師は答えることなく教室を出て行ってしまった。
次の授業は教室移動らしく、周囲の生徒もバラバラと教室を出て行っている。
声を掛けようとすると、はん、と鼻で笑うような、呆れたような顔で、ことごとくが無視……。
誰も居なくなった教室。自分ひとり。
しょうがない……生活指導局室とやらを探すことにするかあ。
はぁ……僕って本当に嫌われ者だったみたいだな……ヘコむわ……。
――ラッキーパンツを思い出し、心を奮い立たせよう。
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