誘拐犯、佐藤宏平
6 束縛
鎖に繋いでいるわけでもないのに、少女は僕の部屋にい続けた。どうして逃げ出さないのかを尋ねたら、逃げ出して欲しいのかと尋ね返されて、僕は返答に
少女は美しいだけではなくて、清らかだった。部屋が明るくなったのは、珍しく蛍光灯が灯っているからではない。彼女の存在が部屋の中に溶け込んで、闇の粒子を浄化し、白い光の粒子へと変換しているからである。これは決して妄想ではない。思い違いのたぐいでもない。まごうことなき真実なのだ。彼女には不思議な浄化機能が備わっていた。
少女はまるで空気清浄機のようだった。部屋を取り巻いていた鬱陶しさがすうっと吸い込まれて、カビと埃の臭いも消え、快適な空気が生み出される。
除湿モード二十五度設定のエアコンは、音も立てずしずしずと部屋のエアコンディションを整えている。部屋の隅にかき集めたゴミたちの織り成すオブジェクトは、抽象表現をした彫像のようでもあった。カップ麺の空箱たちが重なり合う複雑かつ立体的な凹凸は、ある意味で芸術的だった。
少女が来てから、僕の同居人は二人、蝿と少女になった。ひ弱な蝿は相変わらず弱弱しい羽音を立てながら、蛍光灯の周りをぐるぐる飛んでいる。
「蝿がいるわね」
彼女はアンニュイな仕草で天井を指差した。僕はその方向に目を向けた。
僕達二人の視線に気付いた蝿は、一瞬高く舞い上がり、また急降下し、その不細工な飛び方で蛍光灯の傘の上に隠れてしまった。
「僕の同居人なんだ」と、僕が呟く。
「じゃあ、わたしと一緒なのね」と、彼女が返す。
取り留めのない時間が流れていく。天使のような少女を目の前にして、もしかするとこの汚い部屋こそが天国なのではないだろうかと錯覚に陥りながら、だとすると、ここでの時間は永遠に流れず、静止した時の中この小さな箱庭に一生い続けられるのだろうかなどと、僕は空想に
蛍光灯が白々しい明かりを投げかけているので、時間の感覚は麻痺したままだ。弁当を食べた後、僕と少女はほとんど無言で、ベッドの上に座っていた。ときどき蝿の羽音が聞こえる他は、静寂に包まれている。
僕は静けさに耐えかねてパソコンデスクに向かった。飽きっぽい性格の僕は、たった数瞬前まで永遠を望んだはずの静寂を疎ましく思い始めていた。あるいは、そのばつの悪い無言の時間に気詰まりを感じていた。だから、とりあえず、パソコンの起動スイッチを押した。カリカリカリと、デスクトップ型のパソコンの内部から音が聞こえる。続いてファンの回るブウウンという音が聞こえてくる。
三分ほどでパソコンが起動した。
僕はマウスを握った。画面上をカーソルが動き、ゲームのアイコンの上で止まった。僕は指を二度早く動かして、ダブルクリックした。それからゲームコントローラーに握り替え、ドラゴン狩りを始めた。いつも通りのゲームの世界に、僕は安心感を覚えた。
「ねえ、それは無いんじゃない?」少女が口を開いた。
勇者がドラゴンを狩りに村を飛び出した途端、世界は暗黒に包まれた。炎を起こす呪文や、昼夜を逆転させる呪文を持ってしても、その暗黒からは抜け出せない。ゲームの生命線、電源コードが引き抜かれて起こる暗黒は、ゲームの世界にとっては絶対的な闇で、どうあがいても抜け出せない。
「なっ、な、何をするんだよ?」
「あのね、わたしはあんたに誘拐されたの。それなのに、わたしのことを放っておいてゲームって、どういうつもりなの?」
「い、いや。だだ、だって」
「何よ?」
「どうしていいのか分からなくて。あの、その、慣れてないから」
「そりゃあ、そうでしょうね。誘拐に慣れてたら怖いわよ」
「でっ、でも、どうしたら?」
「とりあえず、わたしのことを縛るとか、逃げれないように閉じ込めるとか」
「縛られたいの?」
「イヤよ!」
「閉じ込められたいの?」
「イヤ!」
「じゃ、じゃあ、どうすれば?」
「目を離さないようにしなさい。じゃないと、逃げて、誘拐されたって警察に行くわよ」
「う、うん。じゃあ、そうする」
こうして、僕は彼女を監禁し始めた。と言うよりも、監禁させられ始めた。
少女は僕の視線を受けている限り機嫌よく、部屋の片隅に座っていた。僕は彼女の全身を、舐めるように見続けた。彼女はその視線を感じて、
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