5 依存症
お母さんがお父さんと再婚したのは、わたしが高校に入った年だった。高校生の娘がいるのに躊躇もせずに、お父さんは結婚を決めたのだそうだ。お父さんは初婚で、お母さんは再婚。しかもお母さんはコブつき。どう見ても不釣合いな結婚だった。お母さん本人まで、首を傾げるほどだった。「どうして、私なんかと結婚してくれるの?」なんて、お母さんはそんな弱気な質問を何度もしていた。
「どうしてって、愛しているからに決まってるじゃないか!」
お父さんは平気でそんなことを言う。それを聞いて、お母さんは嬉しそうに頬を赤らめる。わたしは、そんな
わたしは
結婚してからしばらく、わたしたち三人は仲よく暮らせていた。お互いを尊重しあっていたし、お互いを理解するように努めていた。いまになってみると、このころが一番幸せだった気がする。わたしたちは家族に近い関係を保っていた。さすがに本当の親子のような接し方をするのには抵抗があったけど、親戚のおじさんと暮らしているくらいの感覚にはなれた。おならをするとき、お風呂に入るとき、トイレの便座の上げ下げ、この三つ以外で不自由を感じる事はなかった。
お父さんはお母さんのことだけでなく、わたしのことも大切にしてくれていた。少しでも親しくなろうと、親らしくあろうと、懸命に努力してくれていた。
ある週末、お父さんはわたしを買い物に連れて行ってくれた。お母さんは抜きで父娘のデートだった。わたしはお父さんと腕を絡めながら街を歩いた。援交カップルみたいに見えやしないかと、お父さんはちょっとハラハラしていたらしいけど、わたしに懐かれるのは嬉しかったみたいで、ずっと手を握ってくれていた。
「今までは母子家庭だったから、好きな服も買えなかっただろう。でも、高校生にもなれば、ブランド物を持ってみたりしたいんじゃないかな?」
デパートのレディースファッションフロアはキラキラと輝いていた。派手な服を着せられたマネキン人形たちは、ファッションを自慢するように誇らしげにフロアに立っていた。どうよ、見なさいよ、綺麗でしょ。
ショーケースの中に入ったアクセサリーは眩く瞬いていた。夜空の星を拾い集めてガラスケースに詰め込んだら、きっとこんな感じになるだろう、なんて、わたしはロマンチックな事を考えた。
わたしがショーケースの中の流れ星に目を奪われていると、お父さんが後ろから覗き込んできた。
「そういうアクセサリーがいいのかい?」
「ううん、高いからいらない」
「あんまり高すぎるのは困るけど、欲しいものがあったら遠慮せずに言ってごらん」
それから一時間ぐらい、わたしとお父さんはデパートを徘徊した。美術館で絵画を見て回っているみたいな気分だった。どれも綺麗過ぎて、わたしには似合いっこないと思っていた。
何も買わないまま、わたしたちはデパートを出た。外の通りで、お父さんが首を傾げた。
「気に入るのが無かったのかい?」
心配そうな顔をするお父さんに、わたしは笑顔で肯いた。別に心配しないでいいよって、そういう表情を見せた。それから遠くのビルを指差した。
「あっちのお店も見ていい?」
ファストファッションの店が入った大型のビルだった。わたしはそこでTシャツやジーンズ、トレーナーなんかをいっぱい買い込んだ。お洒落すぎる服よりも、選ぶのが楽しかった。つぎつぎにコーディネートを思いつき、着回すのが楽しみになった。
その頃のわたしたちは父娘の関係はまずまず良好だった。そんな関係が崩れ去ってしまったのが一昨年だ。その日、お父さんは仕事で出張していて、わたしとお母さんは二人で家にいた。
「お父さんがいないと寂しいわね」と、お母さんが呟いた。
「一日くらい我慢しなさい」わたしはそうたしなめた。
「だって、寂しいんだもん」お母さんは子どもみたいに不貞腐れた。
夕方になり、お母さんは夕飯の買出しに家を出て行った。わたしは一人で家に残り、本を読んでいた。仕事で悩んでいる女の人と、路上でギターを弾く男の人が出会って、恋に落ちる物語だった。恋と言うのは落ちるもの。英語で言ってもフォーリンラブ。世界中では何人の人が、今日恋に落ちたのだろう。そんな乙女チックなことを考えながら、野球部の
分厚い単行本を一冊読み終えても、お母さんは帰って来なかった。夕方に買い物に出たお母さんが夜九時を過ぎても帰ってこない。
わたしは心配になった。
そして、心配は的中した。
信号無視をした車に轢かれたのだそうだ。お母さんは軽々と宙を舞い、重々しく地面に落ちたのだと言う。そして、あっけなく死んでしまった。
あたしは突然のことに涙も出なかった。
出張から帰って来たお父さんは、お母さんの亡骸にしがみついてわんわん大泣きした。
翌日は通夜があって、その翌日は友引とかで一日空けて、さらに翌日にお葬式があった。お母さんの両親は通夜にも葬式にも来なかった。その代わりに、お母さんの友達と言う人が何人も来てくれた。
お葬式が終わり、参列者たちはみんな帰って、わたしとお父さんが二人きりで部屋に残された。いつも明るい声で満ちていたはずのリビングが酷く静まり返っていた。お父さんとわたしの呼吸音が交互に聞こえ、鼓動の音がやたらと響いている気がした。重たい静寂が部屋中を汚染していた。
リビングテーブルを挟んで、わたしとお父さんは向き合っていた。テレビは消されたままで、恨めしそうな顔をした黒い画面が、蛍光灯の明かりを反射して鏡のようにわたしたちを映している。
「美代子、どうして……」
お父さんは涙を浮かべながら呟いた。
「美代子、助けてくれ」
追いすがるような声だった。
「美代子、美代子、美代子」
魔法の呪文のように、お父さんはお母さんの名前を唱え続けた。そして、お父さんに魔法がかかった。その魔法は、あたしとお母さんを見間違えるという効果のある魔法だった。
「美代子、帰って来てくれたのか!」
お父さんは向かいの席から身を乗り出すと、すごい力でわたしの肩をつかみ、無理やりキスをしてきた。カサカサした唇が触れると、少しお酒の臭いがして、それからお父さんの味がした。
なし崩し的に、わたしはお父さんに抱かれた。そして、その日から、わたしは毎日のように、お父さんの相手をしている。
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