第14話 結・2

 僕は湯殿の床を下帯姿でのたうち回っていた。


意を決し、いや、他の選択肢などなかった僕は仙丹を飲んだのだ。


味がなく、少し大きめのバブルガムといった食感だった。が飲み込むと同時に、肌が粟立ち、全身が総毛立った。それでいて身体の内部は焼けた炭でも突っ込まれたように熱い。


「うむ、順調じゃの」


僕の症状の訴えを聞き、下上御前は満足げにうなずいた。


「人間から神へと生まれ変わるのだからして。まず肉体を相転移させねばならぬ。水蒸気が水に、水が氷にへと変化するがごとしじゃ」


今の自分の姿を形容する言葉が見つからない。煙のようで粘土のようで溶岩のようで液体のようで、得体が知れない物体としか表現しようがない。


「さてさて、お主も晴れて神の仲間入りじゃ。となると人間としてのえにしも邪魔となる。すべて絶たれてしまうからそう覚悟してしまえよ」


己の目や口がどこにあるかも自分でもわからなかったが、下上御前の声は聞こえた。縁が切れるってどういうことだ?


「それってどういうことさ」


僕は気がつくと湯で温められた床の上にあぐらをかいていた。軽く全身をチェックした限りでは特に変わった部位は見当たらない。ただ現状では顔はどうなったのかは確認しようがない。


「おお、無事にひとから神に成ったか。初めて錬成した仙丹が上手くいって良かった」


「え? まさか僕を実験台にしようとしてただけなんじゃ……」


「そんなことはない、といわずともなくはない、というまいかいわぬべきか……」


「あー、もう! バカバカしい! 僕はどこまで騙されていたんです?!」


「まあ、落ち着きたまえ。お神酒で体内の怒りの蟲を追い出したまえ」


「僕は未成年だ」


「さあさあ落ち着きたまえ」


またも下上御前は僕の首に両手で抱き着いてきた。これだけの美少女に抱きしめられ、媚びのこもった目線を受け、いつまで怒り続けられる男性などそうそういないだろう。


「わかりましたよ。ところでどこからが僕の夢なのか、あなたの夢とかいう話はそもそも本当なのですか?」


「あれは全部本当だ。君が橋の上から投身自殺したことも含めてな」


「じゃあ、とっくに死んでいるというのは」


「事実だ。神仙境で遊ぶ君の夢につられて魂魄こんぱくまでやってきてしまったのだろう。でなければとっくに君という存在は消え去っているはずだからね。いったろ、鬼、つまり幽霊みたいなものだって」


「なぜそんなことに。あんたの仕業なのか! 試作品の実験台のために!」


「おいおい。それは乱暴というものだよ。人間の魂なぞ、この世にいくらでも湧いて出てくるのだぞ? それをなぜ君に限定しなけりゃならん? むしろ人助けのために試作品とはいえ大変に貴重な仙丹を使ったのだから感謝しても良いだろう?」


「そ、そっか」


「それに君は今や神だぞ?仙人ほどではないが、人間よりもずっと格が上の存在となったのだ。住まいはこの神仙境で適当に見繕えばよろしい。しかも賃料は無料。食べるものはこの大自然の中から食べたいだけ採取してくればよい。遊びたいところがあれば、いくらでもどこへでもいけばよろしい。なんの文句がある?」


「じゃ、じゃあ、生き返るのは……」


「無理だよ。そんなの不可能だって。ここの国の創造紳にすら無理だったんだから。知ってる?イザナミとイザナギ。あきらめなって。あと現世うつしよでの縁も忘れること。もはや別次元で生きる別の存在なんだから関わらないこと」


「……わかった」


ふと両親から解放されるかもと思うと安堵した。そしてそんな自分に自己嫌悪してしまった。どのみち僕が元の世界に戻ってもやれることなどない。それどころかささやかな自由さえ奪われてしまうだろう。


そう考えると、この神仙境で生きていくのも悪くない。


こうして、僕は神としてまったくの異邦の地で生きることにした。だがずっと家族のことが重しのように胸の奥にしまい込まれたままだった。



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