第16話 近付く距離


「ひゃっ!?」



セイが扇を振りかざした直後、白い霧が辺りを包んだ。

遮られた視界の中、そっと肩に置かれた手の感触に芽衣は驚きの声を上げた。





段々と霧が晴れて姿を表したのは……。

「やあ」


先程の女と同じ扇子を右手に、男は立っている。どこか人間離れしたその雰囲気が、この山によく似合っていた。




「あ、あれ?ここは……」

辺りを見渡すと、先程の住宅街の景色が一変し、そこには深い木々が生い茂っている。どうやらあの神社がある山の中のようだ。

境内から眺めるどこか見覚えのある景色に、ほっとしつつも恐怖を覚える。



「こちらです」


混乱している芽衣をよそに、いつからそこにいたのか白髪の眼鏡をかけた青年が道案内をし始めた。

しばらく歩くと、木造の立派な建物が見えてくる。それを見た瞬間、芽衣は確信した。


先程からしん、と静まり返ったこの山からは、自分たちの歩く足音と、風の音しか聞こえない。


(――生物の気配が、ない。)


あるようでいて、ない。

上手く説明できないこの違和感と、芽衣はしばし戦っていた。


「さあ、僕の家へようこそ」

手をとって屋敷の中へと招き入れる目の前の美しい男。

初めて会ったときから感じていた、その不思議な感覚。



そして、






彼の背後に漂うその空気が、普通の人間のそれとは違うものだと芽衣は気づいていた。






「あなたは一体、誰なんですか」




静かな芽衣の声は、山に溶けるように消えていく。


「僕が、知りたい?」


優しいその声が、芽衣の心にじんわりと広がっていく。


「少し怖い。あなたを知るのが。……でも、知りたい」





――知らなくてはいけない、



何故かそう感じていた。



それ以上話すことはせず、二人は屋敷の中へと入って行った。

















 屋敷に足を踏み入れると、姿こそ見えないものの、そこかしこから何かの気配がしていた。だがそれは恐ろしいものではなく、どこか温かく感じられた。



 客室に案内された芽衣は、勧められるままにその場へ腰を下ろす。


(……すごい)

豪華な装飾の施されたその部屋は、見ているだけで目がチカチカする。金で統一された装飾品に、幾何学模様が施されたいくつかの置物。


「セイ、まずはちゃんと説明してね」


芽衣が座ったのを確認すると、宇雅は口を開いた。


そろり、と宇雅の隣に腰を下ろしたのは、先程の‟あの女”だ。


「芽衣さん、単刀直入に申します」

あまりにも真剣な表情でそう言ってくるものだから、芽衣は背筋をピン、と伸ばす。


「私は、この方の妻ではございません。……この方は、私たちの主であらせられます」


「主……?」


「はい。それはそれは立派な方なのです。ですからあなたはそれ相応の覚悟をなさっ」

「はいはい、もういいよ。それ以上口を開いたら何を言いだすかわからないからね」


下がってよし、と宇雅が手で合図すると、セイは犬のように素早い動きで後ろへ下がった。



「……と、いうことなんだ。芽衣、わかってくれた? 僕は妻もいないし、子どもだっていないんだからね!」


わかった?と確認してくる宇雅を前に芽衣は未だ、ここへ連れてこられた理由が理解できずにいた。

ボンは芽衣のその表情かおを見て、この状況を説明すべく口を開く。


「芽衣、もう気づかれているでしょうがここは現世ではありません。ですが安心なさい。我々はあなたに危害を加えるつもりはない。ただこうして主があなたと話がしたいと言うので、少々手荒ではあったがここへ連れてきたのだ」


ボンは世話焼きのいい狐さんなのだ、と隣にいるメイがこそっと芽衣に耳打ちする。


「……っ!?」


ボンはメイを信じられないというような目で見つめた。


(我々の正体を……)


じとり、と睨まれたメイであったが、この子狐は肩をすくめただけである。


「あっ、しまったあ~」

どこか危機感のないその間延びした声に、芽衣はクスっと笑う。


「知ってましたよ。人間じゃないことくらい。だって、皆さん……尻尾が見えてます」


指さしながらそう指摘してやると、


「(メイはともかく、セイまでもが尻尾を見せるとは……この娘、何奴、)」

ボンが冷や汗を流しながら芽衣を見ると、パチリと視線がぶつかった。


「ボン、さん? でしたよね。……あなたも、尻尾見えてます」

えへへ、と何が楽しいのか笑いながらそう言う芽衣。


「まさか……!? この私が尻尾を出すなどっ!?」

そろり、とボンが自分の姿を確認すると、そこには白い立派な尻尾がゆらゆら揺れていた。



ゆらり、ゆらり、


楽しそうに――










「 Oh,No~~~~~~~~!!!!!!!」


ボンの悲痛の叫びが、屋敷中に響き渡った。

















「いきなりあんな所へ連れて行かれたのに、君はあまり驚かないんだね」




あの後ひとしきり笑い転げて、しばしの時を楽しんだ彼らだったが、夜もだいぶ更けてきたので、宇雅は芽衣を家まで送り届けていた。



「私、小さい頃から不思議な事ばっかり経験してきたから……もう慣れました」

あはは、と笑いながら芽衣は言う。


「そう。よかった。気味悪がられると思ってたんだ。……でも、誤解されたままじゃ、なんだか寂しくて」


そう返す宇雅が本当に寂しそうに言うものだから、芽衣も眉を下げて言う。


「私も、寂しかった。あなたに……」

全部言い終わらぬうちに、芽衣は下を向いてモジモジとしている。


「あなたに、何?」

俯いて顔を上げない芽衣に、続きを促すように訊ねる。

「……芽衣、続きは?」

優しいその声が、芽衣の耳に心地よく響く。





「あなたに、会えなくて……寂しかった」

顔を上げて芽衣はそう言った。

だがその視界には、何も映らなかった。








――唇に、熱い熱。


あるのは、それだけ。


気付けば互いに求めあうように口づけあっていた。





「……っ」


そっと唇を離してやると、芽衣は顔を真っ赤にさせて挨拶もそこそこに、そそくさと家の中へと入って行った。




















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