第15話 動いた‟彼”
いつからだろう、あの娘に興味を持ったのは。
いつからだろう、その声を聞きたいと思ったのは。
いつからだろう、
――あの娘が‟欲しい”と思ったのは――
◆
いつの間にかメイだけでなく、セイの姿までもが見当たらないことに気付くと、宇雅は涙で顔を濡らし、倒れるようにしてその場に寝転んだ。
「あ~あ。僕はひとりぼっちだ。皆いなくなってメイもいなくなって、芽衣もいなくなって……」
そこまで言うと、あの時の悲しそうな芽衣の瞳が宇雅の脳裏に蘇った。自分が妻帯者の子持ちだと聞いて悲しんだのだろうか。だがそれは逆に言うと、自分が好かれていた、とも取れる。
「…………ッ!」
その事実に気付くと、今までウジウジしていたのが嘘のようにこの男は元気よく起き上がる。
「ああ! こうしてはいられない。ボンに伝えなければ!!」
意気揚々と部屋を出た宇雅の目に映ったのは、忙しなく走り回る白狐達。この社が忙しくない時などないのだが、今の彼らの慌てぶりは、尋常ではなかった。
「おや、何かあ、」
「主様! 大変です!」
声を遮り、半ば叫ぶようにして宇雅を呼んだのは長のボンだった。
切羽詰まったその表情から、これはただ事ではないと緊張が走る。
「……メイが、一人で人間界へ……」
ボンが悔し気に言う。
「……何だって?」
――メイが、人間界へ――?
あの子狐が一人で下界へ行くなど、考えられない。普段からボン達に下界へは行くなときつく言われているはずだ。なのに言いつけを破ってまで行く理由は何なのか。それはセイだけが知っていた。
「あの時、メイは私たちの話を聞いておりました。私が下界へ行くのを渋っていることにも、気が付いていたでしょう」
静かなセイの言葉に、皆息を呑む。
「では、あの娘を探しに一人、人間界へ行ったのか」
「おそらくは……」
宇雅の気迫に圧され、白狐たちはそれ以上口を開けなかった。
(――人馴れもしていない、あの小さな身体が下界の気に触れでもしたら…)
宇雅は珍しく真剣な顔で考え込んだ。
おそらくメイは、ふさぎ込んでいる自分をどうにかしようと下界へ行ったのだ。この、自分の為に。
そう思うと強く叱る事など、できなかった。メイだけでなく目の前にいる神使たちは皆、主のためを思い、セイを娘の元へ行かせようとしていたのだから。
「私の監督不届きです。責任を持って探して参ります」
ボンは頭を下げて言う。
「いいや、これは全部僕のせいだ。ウジウジと情けない姿を見せたね。でももう、大丈夫だ」
明るく声をかける宇雅に、白狐たちは顔を上げる。
「元はと言えばセイ、君があんな事しなければ……」
宇雅にどす黒い笑顔を向けられたセイは「ヒッ」と短く悲鳴を上げ、ボンの後ろに隠れた。
「さあ、かわいい子狐メイちゃんと芽衣を連れてきてくれるかな?」
「芽衣もですか?」
疑問に思いながらセイが訊ねる。
「ああ、誤解を解かなければならないしね。お願いできるかな?セイ」
「御意」
セイはそう言うと、風を纏い、その場から姿を消した。
◆
~その頃下界では~
「あれ?この匂いは……」
子狐メイは、とある一軒家の前で鼻をひくひくさせていた。
今は人の姿になってはいるが、時折尻尾が見え隠れしている。道行く人は不審そうにメイを見ていたが、本人はそれに気づいてもいなかった。この子狐はただひたすらに、娘を探していた。
「やっぱりあの子だ!」
家から出てきた娘を見るやいなや、飛びつく勢いで走っていく。
……が、その隣に男がいることに気づくとパタリと足を止めた。
「俺ん家、寄ってくか?」
「え~いいや。そんな気分じゃないし」
「そうか」
「(ええ~!?芽衣、もしかしてコイビトがいるの!?)」
セイから教わった人間のあれこれを思い出し、この子狐は顔を赤くさせた。
電柱の影に隠れながら、メイはこの事が宇雅に知られたらどうしようかとも思い悩んでいた。あの主のことだ。恐らくは発狂し、何をしでかすかわからない。そしてその怒りが人ではなく自分たち神使に向けられるのではないか、と。だがそう考えている間に、二人とメイの距離は段々と縮まっていく。
「ん?」
「どうかした?武彦」
武彦、と呼ばれた男は見るからにチャラそうな出で立ちだった。褐色の肌に赤茶色の髪、耳にはいくつもピアスを付けている。
「(芽衣とは正反対なタイプの人間だなあ、)」
メイは電柱に隠れて再び二人をそっと覗き見る。
……と、先程芽衣の隣にいたはずの男が見当たらない。
(…………?)
ふと気配を感じ後ろを振り返ると、
「う、うわぁぁぁ~!!」
あまりの至近距離に驚き、メイは後ろに尻餅をつく。
起き上がる間も、その男はじっと訝し気にこちらを見ている。
「……お前、何だ」
「僕は君なんかに用はないんだ! それより……ねぇ! 芽衣!」
消えたかと思われた赤い男は、いつの間にか自分の後ろに立っていた。ふと目を離した、その隙に。
一瞬の隙をついてこのようなことができるのは、神か、ある程度の霊力のある自然生物、または……"人ならざるモノ"。
目前の男をすり抜けて目的の人物に走り寄ろうとしたメイであったが、その大きな手で首根っこを掴まれ、まるで身動きのとれない猫のように丸くなった。
「てめぇは何だって聞いてんだよ」
凄みをきかせて睨んでくる男に「ヒィ」と小さく悲鳴を上げる。
これでは宇雅の元へ芽衣を連れていけないではないか、と思い悩んでいると、どこからかコツ、コツとヒールの音が聞こえてくる。
電灯に照らされ露わになったその姿を見て、メイは嬉し気に声を上げた。
「セイ!」
コツコツとヒールの音を響かせながらこちらへ近づいてきたその女は、そう。この間まで宇雅を散々苦しめていた原因の‟あの謎の女”、――セイ。
「ごきげんよう。……ちょっとあなた、その手を離して下さいまし」
「ああ?今度は何だ」
全身フリフリのレースをあしらったドレス。もう日が暮れたというのに日傘をさしている目の前の奇妙な女。武彦は一瞬気が緩んでメイを掴んでいた手を緩める。
「しめたっ!」
その隙をついてメイは無事に武彦の手からすり抜け、セイの元へ向かう。
「あっ、おいコラ! てめぇ、」
「ちょっと武彦! やめて!」
その声を聞くと、セイはやっとそこに芽衣がいる事に気付いた。
「あら、あなた。この前の方よね。ちょっと今から付き合ってほしいのだけど。いいかしら?」
厳しくも、どこか優しい雰囲気のあるその瞳。
(あの人の、奥さん?)
いつかの日を思い出し、胸がチクリと痛む。話とは何だろうか。まさか説教でもされるのだろうか。自分はただ、あの男と話をしていただけだし、妻帯者だとは知らなかったのだ。
何も悪いことはしていない。
「ええ。いいですよ」
「ああ!? こんな訳わかんねぇ奴に」
「黙らっしゃい!」
セイは懐から扇を取り出し、一振りする。
突如突風が吹き抜ける。反射的に目をつむった武彦だったが、次に目を開けた時にはもう、そこに二人の姿はなかった。
「チッ……。化け狐が」
吐くように言うと、武彦は驚く様子もなく、目前にある山目指して歩き出した。
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