第13話 ※ 大王


「父上……」


 



目の前に突然現れたその男を見て、宇雅は心底驚いた。この男は宇雅の父親。その名を須佐ノスサノオといった。


彼らが最後に会ったのは今からおよそ1300年前のこと。この社の主になった際に、須佐ノ男は祝いの言葉をかけに、はるばる遠くからやって来たのだ。それから今に至るまで、この二人が顔を合わせることはなかった。


「これは久しゅう御座います、父上。お元気そうでなにより」


宇雅が言葉を投げると、この父は答えた。


「うむ。お前も。前会った頃とずいぶん雰囲気が違うではないか。何かあったか?」


探るような目で見つめられ、宇雅は口を噤んだ。





――まさか自分が人間の娘に恋をしている、などとどうして言えようか。相手はあの須佐ノ男だ。神である自分を罵り、そして軽蔑するだろう。いや、それだけで済むだろうか


(済むはずがないな…)


などと心の中で呟いていると、それを見透かしたかのように父は目を細めた。



「……ほう、少なくとも社の仕事に支障が出るほどの事らしいな。」




見ると、いつの間にボンが持ってきたのか大量の巻物が辺りを取り囲んでいる。まるで二人をそこへ閉じ込めるかのように、それらは山の様に積み重なっていた。



「ボ、ボン!今父上がおられるのだから、これはあっちの方へ置いてっ!」


慌てて言う宇雅を横目に、ボンはさっさとその場を去って行った。主の問題にこれ以上深く関わったら、自分もただでは済まされぬ、そう思ったのだった。あの娘がここへ姿を現さなくなってから、宇雅は今まで見たこともない程落ち込んでいた。社の仕事にも手を付けなくなり、ほとほと困っていた時に、この須佐ノ男が訪れてきたのだ。


 







「少しばかり人に興味を持ちすぎではないか?お前は」



――偶然ではない。


それはわかっていた。

神である上に、神国出雲を守護する役割を持つこの王が、むやみやたらに姿を現すことなど、皆無。







――やはり勘付いたか…



この父は、宇雅が今何に心を奪われているのか、知っているようだった。

誰が何を話したわけでもなく、唐突にそう訊ねてきた父に、宇雅は覚悟を決めた。






「私は、人の娘を恋い慕っています」


息子の言葉に、驚き戸惑うだろうと誰もが予想した。

だが須佐ノ男は、極めて冷静に答えたのだった。








「そうか。ならば早く諦めろ」


それ以上話はないという風に、この父は社の探索をし始めた。しばし呆気にとられていた宇雅だったが、はっと我に返り今度は声を大にして言った。


「私は人の娘に恋を」

「それ以上言うな!」


辺りに響き渡るようなその怒声に、白狐たちは震えあがった。

今まで聞いたこともない程の怒りを含んだその声に、宇雅は心臓を抉られるようだった。



「……聞いているのか、お前」


お前、と呼ばれ宇雅は顔を上げる。

その父の顔は、怒りというより憎しみで溢れていた。まるで何か大切な物を奪われたかのような、そんな表情をしていた。


「とにかく、いいか。お前は今後あの娘に近づくな。私が許さない」


その瞳は、まるで敵を見るようなそれそのものだった。憎しみに濡れた紅い瞳から、宇雅は目をそらせなかった。



――だがその前に、気になることがひとつ。








「何故、その娘のことを知っているのです」


そう、まるで今しがた見てきたかのように「あの娘」と言った。会わせたこともない、ましてや神使たちも知らぬというのに、遠く離れた地にいるはずのこの父が、何故彼女を知っているのか。


「お前に言う筋合いはない。とにかく、あの娘はやめてくれ」

「あの娘に何かあるのですか」

「……お前には関係ない!」

そう叫ぶ須佐ノ男にも怯まず、宇雅は続ける。


「関係あります。大いに。私は軽い気持ちなどではありません。仰っていただけないというのなら、私はいつまでもあなたに付きまとい、聞き乞い続けるでしょう」


珍しく真剣な表情で言う宇雅の目を見ると、父は諦めたように溜息をつく。



「お前は変わらぬな、その頑固なところも。これと決めたことは、何であろうと譲らない。あの時と同じ……」


先程の怒りはどこへいったのか、今度は寂しそうな顔で言う。


「あの時……?」

あの時、とは一体いつの事だろうかと何気なしに聞き返すと、父は「しまった」とでもいうように顔を引き攣らせる。




「父上?」

「…………」





「父上、」

少しばかり口調を強めてはみるものの、一向に顔を上げる気配はない。



「私はそんなに頑固者でしたか?父……」


痺れを切らして覗き込んだ父のその顔は、ひどく切なげに歪み、今にも泣きだしそうであった。そこまで悲しい出来事があっただろうかといよいよ深刻に考え始める宇雅だったが、父の顔を見ると、聞くのも憚られた。


「ああ、いや。すまない、何でもない」


何でもないことはないのだが、と顎に手を当て考え始める。ふと、明るく言い返すその姿が誰かと重なった。






そう、あの娘と。






「……芽衣も、そんな風に悲しんでいたんでしょうか」

ボソリ、独り言のように呟いた宇雅の言葉はしっかりと父に伝わっていた。だがそれに対して、何を言うわけでもなかった。







 それからしばらく社の様子を見て回り、気が済んだのか父は帰って行った。極度の緊張状態から解放され、白狐たちは疲労の色を浮かべながらそれぞれの寝床へと向かう。その最後尾をゆっくりと、ボンとセイが歩いていた。







「さて、今回のことが偶然かどうかお訊ねしたい」



1300年の間、顔を合わせることがなかった父が急に息子を訪ねてきたのだ。これはただの偶然なのか、とセイはボンに訊ねた。


「私が知るわけなかろう」

「だがあなたは主と長く一緒におられる。神使たちの中で主をいちばんよく知っているのは、あなたでしょう」


珍しく丁寧口調なセイを横目に、ボンは考えていた。


 





――あの娘に関係がないとは言い切れない――


 

人に恋をした神を、ただ単に叱るような表情でもなかった。

あの悲し気な瞳が、それを物語っている。


「……須佐ノ男神が仰っていた“あの時”を、あなたは知っているのか?」


先程の会話を思い出しながら二人は続ける。


「いいや。お前も聞いたように、あのお二人は1300年の間お会いになっていない。わたしが仕えるようになってから、一度も来られたことはないのだ。だから私が知る由もない」




 二人の間に何があったのか。それはわからないが、ひとつだけはっきりとしていることは、‟あの娘”がただの人間ではないということだ。


神である宇雅は、人に興味を持つことはあっても、今まであれほど入れ込むことはなかった。彼は異常な程に、娘を欲していた。

境内で彼女を待つだけでは飽き足らず、仕舞いには人間界へ探しに行くとまで言い出したのだ。これにはボンも黙っているわけにはいかなかった。そこで須佐ノ男神を呼んだのではないかと白狐たちは思っていたのだが、一神使が神を呼ぶことなど不可能であった。

ましてや自分の主の命でもないのに、あの大王の元へなど行けるはずはなかった。




「あの娘の魂は、普通の人のそれとは違う」


「……では、何だというのか」

しばしの間を置き、セイは答えた。



「お前も粗方気づいているのだろう?」

ゴクリ、とセイは唾を飲んでボンの言葉の続きを待った。















「あれが、主の……神と似た色の御霊みたまをしていることに」






















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