第11話 誤解なかみさま
ここ最近、ずっと雨続きである。
そのせいか、いつもより参拝客が少ないのは気のせいではないだろう。いつもならば賑やかな声で溢れかえる社だが、今は雨音と地を蹴る足音しか聞こえない。
それがどこか心地よく感じられ、この社の神は今日も境内に向かう。
「やぁ、こんにちは」
声をかけた相手は、前にここで出会った娘だ。
「こんにちは。今日も雨ですね」
私は好きだけど、と笑顔で話すその娘を、宇雅は目を細めて見つめていた。
「……そんなに見つめられると、あの、」
「あっ、ごめん!なんか……見ちゃうんだ」
何でかな、そうポツリ呟く宇雅の頬は、赤く染まっている。
この二人はいつからか、こうして顔を合わせるようになっていた。別に約束をしたとか、そういうわけではなかった。だが気づけばこうして会うようになっていった。そしてどちらからともなく、言葉をかけるように。それは大体が宇雅からのものであったが、声をかけられる娘の方も、嫌がる素振りはまったくなかった。
そうして何度か会ううちに、宇雅の中に、親しみのような、言葉では言い表せぬ何かが沸き上がってくるのだった。その感情を何と言えばいいのか、この時の宇雅にはまだわからなかった。
しばらく他愛のない話をしていた二人だったが、そこへ一人の若い女が声をかけてきた。
「あら、こんなところにいらっしゃったのね、宇雅田くん」
‟宇雅田くん”と聞き慣れない名に振り返る宇雅だったが、その女の姿を見ると、苦笑いを浮かべた。
「もぅ~、早くしないとご飯冷めちゃうでしょお~?……あ、それとも、お風呂がよかったぁ?」
甘えた声で話すその女は宇雅に擦り寄り、腕を絡ませる。
「ね? あなた?」
‟あなた”という言葉を聞いた瞬間、娘の顔が曇ったのを宇雅は見逃さなかった。今しがた現れたこの謎の女が、自分の妻だと勘違いしているのだろう。誤解を解こうと試みる宇雅だったが、隣の女がそれを許さなかった。
「ねえ、あなた?早く帰りましょう。‟子どもたち”が待ってるわ」
‟子どもたち”――
その言葉を聞いて、サーっと青い顔になったのは宇雅だった。
「(僕は妻帯者だけでなく、子持ちの男だと勘違いされてしまう!!)」
どう説明したらよいものか、とオロオロする宇雅に、目の前の娘は極めて明るい声で言った。
「あら、宇雅田さんっていうんですね。知りませんでした。じゃあ早く帰らないと。……子どもたちが、待ってるんでしょ?」
それだけ言うと「じゃあ」と踵を返して去って行く。
「あっ、ちょ、待っ…」
娘を追いかけようとしたが、一瞬振り返った彼女の悲しげな瞳を見た途端、宇雅はその場に固まった。
眉根を寄せ、悲しげに揺れる瞳。
不謹慎だが、美しいと思ってしまった。いや、思わずにはいられなかった。儚く揺れるその瞳に、どこか懐かしい感覚が蘇る。人に恋したこともなければ、特別興味もなかったはずなのに。どうしてこうも心を揺さぶられ、恋い焦がれてしまうのか。
宇雅にはまだ、わからなかった。
このときまでは――。
◆
~社にて~
「もう~、ヌシサマどうしちゃったの?」
心配気にそう聞くのは子狐のメイだ。
社へ戻って来た時の宇雅の顔は、まさにゲッソリとしていて、隣で主の肩を抱いている女に一瞬警戒したメイであったが、その姿がいつもの男のそれに変わると、目を輝かせてその男に飛びついた。
「セイ!おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま」
未だゲッソリしている宇雅を部屋に送り、爽やかな笑顔で戻って来るセイ。
そう、先程の‟あの謎の女”は、セイだったのだ。
何時まで経っても戻ってこない主を探して来てみれば、見知らぬ娘と何やら楽しそうに話している。このままの姿では行けまい、と女の姿で彼らに近づいたのだった。
だが何故いつもの男のそれでなく、女にしたのか?
それは、今まで親しくしていた男が実は子持ちの妻帯者だと知ったら、娘はきっと離れていくだろう、とセイは踏んだのだった。
「ヌシサマ嫌われちゃったの?」
無垢な瞳でそう問うてくる子狐に、セイはどう返すか悩んでいた。
「はぁ、まったく。お前まで一体何をしてるんだ。そう易々と人の前に姿を現すな」
呆れたようにそう言うのは、彼らの長のボンである。
「あの娘はどうだった?」
「おや、彼女をご存じでしたか」
「前に見かけたことがあるだけだ。……で、どうだった?」
執拗に娘の様子を訊ねてくるボンに、セイは彼が何を知りたがっているのかわかっていた。
「あの娘の魂は、珍しい色をしていた」
「ほう」
たったそれだけで、互いに何が言いたいのか理解したようだったが、子狐メイにはさっぱりだった。
「ボクには皆同じに見えるけど」
そう言う子狐に苦笑いを浮かべ、二人はしばし見つめ合う。
――言うか。言わぬべきか。
静かに思案する二人の間には、目には見えぬ様々な思惑が張り巡らされていた。
彼らの言うその娘の‟魂”が、何を意味するのか。
それがわかるのは、もう少し先のこと。
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