第8話

「黄鶏代人食……これは黄鶏が人を逆に喰らうということ。黒鼠喰牛腸……これも、まんまだ、黒鼠が牛の腸を喰らう。要するに弱者の逆転を言っている、面白くも何ともない。お、帰ったのか、婆沙(ばさら)丸?」

 一日中、未来詩と格闘していた橋下(はしした)の陰陽師。辟易した様子で詩篇を写し取った巻物から顔を上げた。

 気分転換とばかり、西ノ京、秋津(あきつ)丸の住処から戻った弟の田楽師に纏いつく。

「それで、何か収穫はあったのか?」

「いや。具体的には何も。ただ──」

 婆沙丸は浅紅色の唇をキュッと噛んだ。

 今日、秋津丸の弟に抱いた違和感をどう伝えたものだろう?

 遺骸が身につけていた物について執拗に尋ねてきたあの声……喉元へ伸びて来た白い指……

「おや? 何だそれは?」

 陰陽師の目が興味深そうに、婆沙丸が腕に抱えている包みの上で止まった。

「え? ああ、これか。秋津丸の形見としてもらい受けてきたのじゃ」

 巻いてあった絵を広げて見せる。

「これが、中々良い絵なのじゃ。秋津丸が愛でていたらしく愛用の厨子(ずし)の横に貼られていた。成澄(なりずみ)も一目見て気に入って──」

「ほう?」

 有雪(ありゆき)はその絵を今、初めて見た。と言うのも、皆がこれを見ていた時、この男は一人勝手に動き回って、例の離れを探っていたからだが。

「……野を走る馬の絵、か?」

「何処に飾ろう? あの、縁に近い壁がいいかな? 庭から陽が射して……馬たちが一層生きているみたいに見えるはず。おい、放せよ、有雪?」

 しかし、陰陽師はその絵を握って放さなかった。

 爛爛と輝く双眸……

「野……野の馬・……? 何処かでそんな言葉を……」

 次の瞬間、陰陽師があげた叫び声の大きさに婆沙丸は尻餅を付いた。

「そうか! わかったぞ!」



 藤原光俊(ふじわらみつとし)は思わず振り返って闇を透かし見た。

 高倉通りから二条大路に出る辺り。

 何処(いずこ)からか幽(ひそ)かに笛の音が流れて来る。

 その調べは遠く天上に輝く月から零れているように少壮の三位(さんみ)には思えた。思はずため息して、 ※三位=位階 ・高位である。

「美しい夜であることよ……」

「まことに」

 傍らで、静かに頷く若い武士。

 自邸での宴の後、風流だから歩いて帰ると言って聞かない三位を父の命で護衛を兼ねて同道して来た。

「もう私の屋敷も近い。ここで結構です。どうぞ、お戻りになられよ」

 貴人は満足げに笑った。

「御父君には大層世話になっております。今後ともどうぞ宜よろしくとお伝えください」

「勿体無きお言葉。こちらこそ今後とも宜しくお付き合い願います。我等はこの京師(みやこ)では新参者故、貴方様のような尊き御方のお力添えが何よりありがたいのです」

 深く頭を下げる若武者。頭を上げしな、ふと気づいたという風に、ツイッと白い指が藤原三位の襟元を掠めた。

「糸屑が……」

 貴人は全く気にかけなかった。が、闇から別の手が伸びてガッチリとその白魚の指を掴んだ。

「そこまでだ!」

「あ?」

 そのまま背中に腕を捻じ曲げられて若武者は喘いだ。

「な、何をする?」

 闇よりも更に濃い蛮絵の黒衣。検非遺使尉(けびいしのじょう)・中原成澄(なかはらなりずみ)である。

 その片方の手には未だ朱塗りの笛が握られている。先刻、響いていた笛の主も然り、この男。

「藤原三位光俊様、お下がりください。この者、少々〝危険なモノ〟を有しております故……」

「やや?」

 藤原光俊が後退(あとずさ)ったのを確認してから、成澄は厳然として若武者に命じた。

「さあ! 手の内のモノをそっとここへ移せ」

 袋を差し出したのは夜目にも艶やかな装束の田楽師。

「き、貴様等……?」

 若武者は歯噛みした。

「何の理由あってこんな無礼な真似をする? 私の名は大里太郎師宣(おおさとたろうもろのぶ)である!」

「おうよ! 貴様、名前ならまだ他にも持っていよう? そうだな、……〈暗殺者〉はどうだ? 昨今続いた京師の要人に死をもたらしたのは〝おまえ〟なれば」

「悪足掻きはやめるんだな!」

 検非遺使に付き従う田楽師は二人いた。

 まず一人、匂うがごとき白菊の色目の水干(すいかん)姿が言う。

「おまえとおまえの養い親、大里八郎師重(おおさとはちろうもろしげ)一党の悪事は露見している!」

 続けて、もう一人、こちらの色目は蘇芳菊(すおうぎく)。

「とにかく、早いとこ隠し持っている凶器を出せっ! おまえだって、そういつまでも自らの手の中に持っていたくはないはず」

 ここで田楽師兄弟の声が重なった。

「蟲使いだった兄と違って、それの扱いにはさほど自信はなかろう、蜻蛉(せいれい)丸よ?」」 

「ウッ!」

 大里師宣=蜻蛉丸の顔色が変わった。

 ガックリと地面に膝を突く。開いた手の内よりポトリと一匹、小さな虫が落ちた。

 蜘蛛だ──

「気をつけろよ!」

 俊敏な動作で素早く袋を被せる田楽師に検非遺使は警告した。

「そいつに噛まれると高熱を発し……奇怪極まりない譫言(うわごと)を喋り続けた挙句、ついには息絶えてしまうとか」

「で、では、昨今流行っている面妖な病いとは──」

 後ろへ退いていた三位、年若い参議は思わず、前に踏み出して袋を覗き込んだ。

「こ、この蜘蛛が?」

「その通り! 流行病(はやりやまい)はその毒蜘蛛と……我等が仕業よ!」

 最早ここまで。観念して蜻蛉丸は叫んだ。

「この蜘蛛は、大陸から帰国した僧が持ち帰ったものじゃ。僧は向うで、更に遠い南国の商人から譲り受けたそうな。最初はただ珍しがって飼っていたらしい」

 が、野心を抱く武蔵国出身の新興の武士、大里八郎師重の手に渡ってから様相は一変する。

 養子となっていた蜻蛉丸は虫好きの兄を思い出した。兄なら上手く飼育してもっと増やせるに違いない。そして、大里家の出世を邪魔する、障碍(しょうがい)になる人物の元へ送り込んだらどうだろう?

 一方、その兄、秋津丸は長いこと自分は唐渡りの珍しい蜘蛛を育てているだけだと思っていた。

 西ノ京の屋敷の、庭の離れは飼育小屋だったのだ。

 蚊帳の中で毒蜘蛛たちは順調に増えて行った。そして、大里父子は当初の計画通り毒蟲を狙い定めた要人の元へ送り始める。賄賂が効かず清廉な貴人が相次いで死んで行ったのはこの為である──

「想像以上に上手く事は運んだ。兄さえ──」

 地に顔を伏せて蜻蛉丸は呻いた。

「兄さえ気づかなければ……!」

 だが、やがて、自分の育てている蜘蛛の恐ろしい力を秋津丸は知ってしまった。

 おぞましい姦計に加担したことを悟った心優しい秋津丸は、真実を告げる決心をして正義の人と信頼される検非遺使・中原成澄の元へ走ったのだ。

「秋津丸を殺したのも、おまえだな?」

 空に架かる月よりも密やかな声で検非遺使は質した。

「仕方がないさ」

 答えた蜻蛉丸も静かな声だった。

「兄は真実を告げて罪を償うと言って聞かなかった。だが、このことが露見すれば我等──俺と養父は身の破滅だ。折角ここまで成り上がったのに? ままよ、取り敢えず兄者の口さえ封じれば良い。そうすれば、万が一、虫を見られただけでは、誰も何も気づかないはずだから」

 検非違使と会う約束をした兄が、〈証拠〉として生きた蜘蛛を持ち出すはずはない、と確信していたと弟は言った。

「兄者はこの蜘蛛の恐ろしさを熟知していた。安易に持ち出して巷に逃す危険は犯すまい。増えたら大変なことになるもの。とはいえ、死骸なら証拠として持ち出すかも」

 心底不思議そうに蜻蛉丸は首を傾げる。

「あの日、俺は兄の死体を懸命に調べた。そうして、ちゃんと見つけたんだ! 秋津丸が隠し持っていた蜘蛛の死骸を俺は回収した。だから、とりあえずは安堵していたのに。

 なのに、どうして、おまえたちはこの凶器、蜘蛛のことを知った?」

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