第7話


「兄が死んだ時、あなたも傍にいたんですよね?」

「え? ……あ、はい。そうです」

「兄は……どんなだったんですか?」

「──?」

「つまり、どんな状態だったのか、兄の最期の様子が知りたいのです」

 真意を測りかねて戸惑っている婆沙(ばさら)丸に蜻蛉(せいれい)丸は更に言葉を重ねた。

「ありのままを知りたい。できるだけ詳しくお教えください」

(できるだけ? 詳しく?)

 婆沙丸の脳裏に秋津(あきつ)丸の最期の姿が鮮明に蘇った。

 長い髪は扇みたいに千々に広がっていた。誰かが指を突っ込んで掻き乱したみたいに。

 夏虫色の水干(すいかん)は裂けて肩が剥き出し、胸から、腹にかけても──

「何か身につけていませんでしたか?」

「え?」

「いえ、何か持っていなかったのかな、と。あの検非遺使(けびいし)様もその場にいたんですか? 検非遺使様は兄の遺体を検めて……何か見つけたのでしょうか?」

(こいつは……何が知りたいんだ?)

 婆沙丸の心中で何かが一変した。

 あの悲しい骨の亀裂音に似て、何かが軋み、何かが砕ける──

 兄の死を悼む、というのじゃない。

 こいつは死に際して兄が身につけていた〈物〉の方を気にしている。そっちを知りたがっている。

 唐突に、婆沙丸の頭の中でそれまで散らばっていた数個の欠片(かけら)が一枚の絵に繋がった。

 暗い祠(ほこら)で通りすがりの下郎に襲われたと思っていたが──

  違う! 床に広がった髪や、裂けた衣……あれらは陵辱の痕ではなくて、何かを〝探した痕〟なのでは?

 秋津丸を殺した輩は秋津丸が持っていた(或いは、持っていると思った)何かを探したのだ。

 婆沙丸は直感した。その〈何か〉こそ、当日、秋津丸が検非遺使の成澄(なりずみ)に持って行くと約束した〈殺人の証拠の品〉なのだ……!

(では、やはり、あの紙片、《野馬台詩》こそ──)

 いきなり蜻蛉丸の腕が婆沙丸の喉へ伸びた。

 刹那、婆沙丸は仰け反って、その白い指から逃れた。

「何をするっ!」

「あ、驚かしたのなら謝ります。取ってあげようと思って、ホラ」

「?」

 蜻蛉丸の手の中に蜘蛛が一匹、蠢いていた。

「天井から伝って来たんですよ。あなたは考え事をしていて気づかないようでしたから」

 きっと、あっち、離れからやって来たのでしょう、と秋津丸の弟は白い歯を見せて微笑んだ。

「あれ、どうしました? そんなに蜘蛛が苦手ですか? 顔が真っ青ですよ?」






「秋津丸? ああ、憶えているとも! ホント、いい奴だったな!」

 稚児は心底楽しげな笑い声を響かせた。

 公孫樹の木陰、池の畔(ほとり)。とある名刹(めいさつ)の庭である。

 秋津丸と蜻蛉丸がかつて仕えていた寺を探し当てるのにさほどの困難はなかった。

 そこは京師(みやこ)でも名の知れた大寺院。奉仕する稚児の数も多い。その中でも、秋津丸は人気者だったと言う。

「美しかったからなあ……」

 つくづくと頷いた検非遺使を横目に見て、金紗(きんしゃ)丸と名乗ったその稚児は少々含みのある声で、

「それもあるけど──ちょっと変わってて、さ」

「?」

「面白い奴だった! 〈虫愛づる稚児〉……虫狂いなんだよ。他のことにはてんで無頓着で、土を掘ったり木を削ったりして色々な虫を集めてたなぁ」

 好きだからだろう、育てるのも上手だった、と金紗丸。卵からだってちゃんと孵すのさ。時間をかけて。しかもそれを快く誰にでも分けてやる。だから、人気があった。

「尤も──もらうなら鈴虫や蝶に限るけど。それ以外は、どうもね」

 金紗丸は遠い日の夏の陽射しを思い出したようにちょっと目を細めた。

「蟻地獄を美しい蝶にしたのには驚いたな! 本当に魔術師のようだった。蝶の好む木や葉っぱを知り抜いていて、それらを集めて種類も様々な何十匹もの蝶たちをこの庭に呼んだし、夏の宿坊を蛍で飾ったのも秋津丸の手柄だった! その際の大阿闍梨(あじゃり)様の喜びようったら……!」

「そんな特技があったのか? そりゃ人気者のはずだ」

 思わず感嘆の息を漏らす田楽師。気安げに稚児は笑いかけた。

「それだけじゃない。人気の由縁は人柄にもある。本人、虫狂いだから、それ以外の事にはいたって鷹揚だったのさ」

 意味深に片目を瞑って見せた。

「ほら、寺院(ここ)は厭らしい競争の渦だろ? 寵愛を巡って諍いが止む間もない。でも、あいつはそんなことに無関心だったから誰でもあいつの傍にいると安心できた。癒された。ホント、欲がなくて、さっぱりしてて、気持ちのいい奴だった! 弟と大違いさ」

「弟?」

 それまで後ろに控えていた検非遺使がいきなり身を乗り出した。金紗丸は頬を染めて頷いた。

「ええ。蜻蛉丸というんです」

再び狂乱(きょうらん)丸へ視線を戻すと、

「そいつは恐ろしく頭が廻って、計算高い奴だった。先を読むのに長けていて、出世しそうな僧にばかりへつらって上手く立ち回っていたっけ。その成果がアレさ。最近いたく隆盛の武家のご養子様だ。あいつがいなくなって清清したって皆、言ってるぜ。すぐに秋津丸まで引っぱって行ったのはガッカリだけど」

 背後で検非遺使の口元が引き締まるのがわかった。狂乱丸はさり気なく尋ねる。

「蜻蛉丸が、秋津丸を連れて行ったのか?」

「そうさ。それで僕たちは影で散々言い合ったよ。『売れるものはなんだって売る』『いかにも蜻蛉丸らしいや』って。兄さえも自分の出世のためなら利用するんだ。何でも、養子先の知り合いが秋津丸を見初めたのをいいことにここから引き抜いて渡しちまったとか。勿論、金は全部自分の懐に入れたそうな」

 いったん言葉を切った後で稚児は苦笑した。

「まあ、秋津丸に否(いな)やはなかった。何処にいても気にしない奴だから。虫さえいればそれでいいんだろう。ホント、名は体を表すよ!」

「え?」

 聞き返した狂乱丸に金紗丸は指を一本立ててそれを捕まえる仕草をして見せた。

「秋になって、この寺のあちこちに飛び交うようになると……いつも思い出すんだ。あいつのこと……」

 なるほど。秋津とは、トンボの古語でもある。

 古語と言えば、陰陽師の有雪(ありゆき)は、秋津丸は(そして蜻蛉丸も)、〈陽炎(かげろう)〉の意味があると得々として言っていたが──

(そうか、物の名にはまた、幾つもの〝別の名〟が隠されているのだなぁ?)

 一瞬、狂乱丸は、庭の隅にたまたま見つけた井戸を覗いたようなひんやりした眩暈を感じた。


 結局、秋津丸が死んだことは告げずに寺を辞した成澄と狂乱丸だった。

 いづれにせよ二度と会えない境遇なら、二重に悲しませて何になろう? 

 可愛らしい稚児の悲しみを増やすことを二人は良しとしなかった。

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