第6話

 さて、翌日。

 非番ということでそのまま田楽屋敷に泊まり込み、ゆっくりと朝寝をした中原成澄(なかはらなりずみ)。

 遅い朝餉の後で、もう少し秋津(あきつ)丸の身辺について調べてみようと言い出した。この辺りいかにも検非違使(けびいし)である。得体の知れない《野馬台詩》の解読は有雪(ありゆき)に任せて自分は現実的な線から迫ってみようと思い立ったようだ。己の職業と地位を最大限利用して秋津丸がかつて勤めていた寺を探し出し、そこの人たちに色々話を聞いてみようと提案する。

「どうだ、おまえたちも一緒に来てくれないか?」

 捜索は自分がやるが稚児たちにいざ話を聞く段になったら、強装束の自分などより双子たちの方がよかろう。

「仲間意識というやつ。おまえたちなら親近感が湧いて向こうも話し易かろう?」

 美しい田楽師兄弟を眺めつつ微笑む成澄だった。

「そういうことなら──兄者一人で充分だろう? 今日は俺は遠慮しとく」

 他にやることがある、と言って婆沙(ばさら)丸は辞退した。


 日頃から成澄を慕う兄に気を廻して、と言うことばかりではなかった。

 実際、婆沙丸は婆沙丸で自分なりにやりたいことがあった。

 もう一度、じっくりとあの〝馬の絵〟を見てみたい。

 別にどこがどうというのではないが、何か気になって仕方なかった。

 兄たちを送り出してから、一人、秋津丸の住居、西ノ京へ向かった。


 

住人のいなくなった屋敷は森閑としていた。

 婆沙丸自身は、生きていた秋津丸とは結局一度も会わずに終わった。だから、どんな声で話し、どういう表情をしたのかはついぞ知らない。知っているのは、骨の音だけ。

 あれは幼い日、野を走った時に聞いた、体を掠める木々の枝の音のようでもあり、また、せせらぎに裸足で浸かった際の、水底の小石の軋む音のようでもあった。

(なあ、秋津丸よ? 俺の聞いたおまえの〈音〉が骨の折れる音と言うのでは余りに哀し過ぎる……)

 元々狂乱・婆沙の兄弟は山国の出である。巡業の途上、美しい双子というので先代師匠・犬王の目に止まり買い取られたのだ。そんな婆沙丸の脳裏に子供の頃の山の景色が蘇った。

 足を浸した冷たい流れの中には河骨(コウホネ)の黄色い花が揺れていたっけ?

 その可憐な花びらと、恐ろしい名の由来となった白い茎……

  秋津丸を思う時、どうしてか、その花を思い出してしまう。

 秋津丸がもし、何か伝えたかったのなら、そして、それを果たせずに死んでいったのなら、せめてもの供養に婆沙丸は〝それが何なのか〟はっきりさせてやりたいと思った。



「秋津丸よ、おまえは一体、何を伝えたかったのじゃ?」

 再度、厨子(ずし)の横の壁に貼られた絵の前に立った婆沙丸。改めて、詳細に観察する。

 材質は梶の枝皮が原料と思しき〝紙〟で、特別高価な品と言うわけではない。

 そこに描かれているのは牧を駆ける二頭の馬だ。どちらも白馬である。

 誰の筆かはわからない。秋津丸自身が描いた、ということもあり得る。

 この絵を見た途端、『野に遊ぶ馬』と成澄は言ったが、その通り、生き生きと描けている。

「フム、馬が二頭、野山を走っている。一頭は大きく、その背後、やや遠景にもう一頭か──む?」

 物音にハッとして振り向くと真後ろに蜻蛉(せいれい)丸が立っていた。

 婆沙丸も驚いたが蜻蛉丸の方も同様に、ひどく驚いた様子だった。

「また、いらっしゃっていたのですか?」

「失礼」

 婆沙丸は率直に詫びた。

「今日も勝手に上がってしまって。どうしてもこの絵がみたくなって──」

 構いませんよ、と蜻蛉丸は笑った。部屋に入って来て婆沙丸の隣に立った。

「何なら、差し上げましょう。兄の形見……と言っては何ですが、気に入った人にもらってもらえば兄も喜ぶはず」

 蜻蛉丸は手を伸ばして素早く絵を壁から剥ぎ取った。

「あ」

「いいんです。ちょうど良かった。私がここへ来たのも兄の遺品を整理しようと思ったからです。と言って、大したモノはありませんが」

「兄上は一人でここに住んでいたのですか?」

「さあ、私はよく知りません」

 言葉を濁らせる。聞いてくれるな、という思いが滲にじんでいた。

 それは仕方がない。婆沙丸は蜻蛉丸の対応が理解できた。寺童出身の美しい秋津丸がどういう風に暮らしを立てていたかは察するに余りある。弟としては触れて欲しくない話題に違いない。

 刹那、この〈弟〉は〈兄〉について何を何処まで知っているのだろう、という疑問が過(よ)ぎった。暮らし向きのことばかりではなくて。

 自分は狂乱(きょうらん)丸のことなら何でも知っている。兄弟とはそういうものではないのか?

 昨今頻発した恐ろしい流行病(はやりやまい)、それで亡くなった要人を〈殺人〉だと言い切った兄。どういう人たちと交わり、何に関わっていたのか、弟が全く知らないなど信じられない。

 〝共に兄を持つ弟同士〟という同胞めいた気安さも働いて、婆沙丸はもっとあれこれ訊いてみようと蜻蛉丸の顔を覗き込んだ。

「兄が死んだ時、あなたは傍にいたんですよね?」

「!」

 瞳を捉えて、先に訊いてきたのは、意外にも蜻蛉丸の方だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る