#8 終雪

サンタクロースが実は両親だったと知ったときは、そりゃ確かにショックだった。でも子供って案外現金なもので、プレゼントを持ってきてくれるならサンタさんだろうがおとうさんおかあさんだろうが構わなかったりもする。現に私もそんな子供だった。


私の家はべつに何かの信仰を持っていたわけではない。仏壇はあったし、神棚もあった。お寺や神社にお参りにも行ったし、結婚式は教会でウェディングドレスを着たいな、なんて人並みに考えていたりもした。


かみさまがいるかどうかってことは、はっきり言ってちゃんと考えたことはなかった。実際のところ、神と仏の違いだってよくわかってなかった。


でも、それでも、人間より高位のなにかがいて、それに願ったり祈ったりすることは決して無意味なんかじゃないってことは、感じていた。そういう意味では信じてたって言えるかもしれない。


幼稚園のころ、生まれたばかりの赤ちゃんだった妹が熱を出したことがあった。そのとき、私は自分の部屋でずっと泣きながら神だか仏だかわからないなにかに祈っていた。妹は赤ちゃんなんだもん。あんなに小さくて、弱くて、おかあさんがいなくちゃ生きていけない妹が、大人だって辛いような熱を出したんだから。だから私は、妹が死んじゃうんじゃないかってほんとうに心配で、ずっと祈り続けた。それが、そのときの私にできる精一杯だった。結局妹は嘘みたいに元気になった。だから私は思った。ああ、お祈りが届いたのかなって。今にして思えば、我ながらかわいくて笑っちゃう話だけど。


5年生のとき、友達が好きな男の子に告白するっていう相談をされたことがある。あーだーこーだ子供なりに考えて、アドバイスらしきものをして、二人でたくさん作戦会議をした。メイちゃんはほんとに頼りになるね、なんてあの子は言っていた。告白の日、私はひとごとなのに妙に緊張しちゃって、あの子の気持ちが届きますようにって、気がつけばまた「何か」に祈っていた。その子は結局振られちゃって、二人でわんわん泣いたりして、ついでに「何か」を少しだけ恨んだりもした。それからその男の子とはちょっとだけ気まずくなっちゃったけど、時がたって、私たちはまた笑いあって、中学に行っても遊ぼうね、なんて言いながら卒業した。


その次の年、おばあちゃんが死んだ。人生初めてのお葬式ってやつ。遠くに住んでいたからそれほどの交流はなかったけど、やっぱり見知った人が死ぬのは悲しくて、つらい。私はそこで初めて「死」に触れた。死んだ人はどこにいくの?とは流石に聞かなかった。いい加減私だって、死をある程度受け止める力を得るくらいには成長していたから。毎年親切にお年玉を送ってくれたおばあちゃんが、たまに会いに行ったときには優しい笑顔でごはんを作ってくれたおばあちゃんが、どうか暖かい世界で安らかに眠れますように。そうやって私はまた、祈った。


中学の勉強っていうのは、よく言うけど小学校の比じゃない。祈りや神頼みじゃなくて、自分の努力と研鑽がものをいう世界の入り口に、私たちは立った。ただお参りするだけでテストの点が上がったら、この国はたぶんだめになっちゃうよね。


中学のテストの数々、部活の大会、そして高校受験をくぐり抜け、私はだんだんと大人に近づいていった。自分の行動次第で状況が変わる、変えられることを知り始めた。


そして私は、「祈ること」を忘れていった。


ああそうだ、あの日までは。


そう、あの日。

生まれ育った街には雪が降っていた。

すべてが終わって、そして始まったあの日。


私は祈った。

そして、祈りは呪いに変わった。



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