#4 逢瀬、あるいは謀略
次の日、僕はいつものように起きて、家族と記号的な会話をしながら朝食を摂り、学校へと向かった。いまさら語り直すまでもない、いつも通りの日常。その繰り返しでもって、いつしか人の心を擦り切れさせる一方通行の流れ。
学校に着く。決められた席に座る。早くも遅くもない時間。しばらく放心し、予鈴を合図に教科書のたぐいを取り出す。学生の日常なんてこんなもんだ。やけに権力が強い生徒会もなければ、廃部寸前の部活に集う仲間たちもいない。超能力者も、未来人も、宇宙人も、異世界人もここにはいないらしい。
窓際から数えて三列目、その中ほどに僕の席がある。そこからさらに視線を右斜前に送れば、平坂の姿がある。茶色ががったボブくらいの髪と制服の上半身。特筆すべきことは何もない。ただ、僕らは授業を受けている。
政治経済の授業、平坂が教師に当てられた。三権分立における裁判所と国会の力関係について、すらすらと答える。教師が満足気にそれを褒めると、平坂は席に座る。その一瞬の隙間、平坂がちらりと僕を見たことに気づいた。
昼休みになり、一斉に人が動き始める。購買に走る者、連れ立ってどこかに行く者、ぎいぎい音を立てながら机をくっ付ける者。僕は彼らを尻目に、途中のコンビニで買ってきた食糧を取り出す。いつものルーティーン。何も変わらない、いつも通りの日常。
その日常における一服の清涼剤。iPhoneのバイブレーションが僕の意識を切り替える。取り出して見る。LINEの通知。平坂からだ。平坂を見る。何人かの女子に囲まれながらも、ちょっと用事があると言ってその輪を抜けだそうとしていた。平坂は場所を指定してきた。僕は先に行く、と返信し、机に広げた昼食をビニール袋に戻すと、教室を後にした。
いちおう、僕らの学校の構造について説明をしておかなければならない。校門の正面に三年生の教室と職員室の入る棟。その東側には音楽室や生徒会室などの特別教室が入る棟。南側、すなわち三年生の棟の向かい側に一、二年生の教室の棟。それらに囲まれるように、ブロック敷きの中庭がある。
平坂が指定してきたのは、東棟、つまり特別教室の棟の最上階角。使われなくなって余剰の机や椅子が詰め込まれている地学準備室だった。転校してきて日が浅いのに、よくもまあこんな場所を見つけたものだ。
四階の隅の、その場所の前に着いた。よく見れば南京錠で鍵がしてある。僕は仕方なく、扉を背に座り込んでiPhoneを取り出した。
「鍵、かかってるんだけど」
LINEで平坂にメッセージを送る。即座に既読が付き、返信が来た。
「大丈夫。もう着くからちょっと待ってて」
僕がそれに返信しようとキーをタップしていると、たん、たん、と景気の良い音を立てながら、平坂が階段を駆け上がってきた。
「ごめんね。おまたせ」
「いや、今来たばっかだから」
まるでデートの待ち合わせ現場みたいだな。僕の思考が明後日に逸れかけたとき、平坂がブレザーのポケットを探り始めた。やがて引き抜いたその手には、鈍い銀色に光る鍵があった。
「どうしたんだよ。それ」
「ちょっとしたツテがあってね」
藪蛇な気がするので、それ以上は追求しない。平坂が南京錠を外し、僕らは準備室の中へ入った。
「こんな場所でごめんね。よそはどこに行っても人だらけだし」
ここのようなマンモス校において、人の来ない場所を探すのはそれなりの困難を伴うものだ。
「あ、別にキミと一緒にいるところを見られたくないとか、そんな理由じゃないから安心して」
思考を先回りされた。
平坂は机の上に裏返しに積まれた椅子の一つを取ると、軽くその座面を払い、座った。僕も同じようにして別の椅子に座る。平坂は膝の上に弁当を広げながら話し始めた。
「私さ、あんまり人に囲まれて食事するの、好きじゃないんだよね。ていうか苦手」
「意外だな。クラスじゃ人気者なんじゃないのか」
僕のその言葉は平坂の地雷を踏むものだったらしい。唇を尖らせて睨んでくる。
「転校生ってのはそういうもんでしょ。珍しいだけ。しばらくすれば引いてくよ。今は、そうだな、新歓みたいなもの。女子たちは新入りを自分たちのグループに入れようと取り合う。傍から見ればそれはクラスメイトに囲まれる人気者として映る」
あいにくと僕は女子の生態に詳しい訳ではないけれど、彼女たちがそれこそ死ぬ気で群れる究極の社会的動物であるという一般的認識を踏まえれば、平坂の分析は至極的確なように思えた。
「これからは理由を付けてここに来るようにする。キミとゆっくり話す時間が欲しいから。そうすれば私は付き合いの悪い奴って認識されて、もう囲まれることもなくなる」
平坂は弁当箱の蓋を開け、彩り豊かな昼食をつつき始めた。
「平坂はそれでいいのか」
僕もコンビニのパンの袋を破りながら、そう訊いた。
「うーん。クラスの女子は嫌いじゃないけど、結局『違う世界の住人』だからね。私とは相容れない。キミもそうでしょ?でもまあ、無闇に角を立てたりはしないから、そこは心配しなくてもいいよ」
違う世界の住人。クラスメイトをそう形容した平坂。当然だ。クラスメイトはみんな歳相応に感情的で、無知で、自由で、豊かなのだから。
「だからね、この準備室はいわば世界の外側。爪弾きにされたアウトサイダーのアジト。ね、かっこいいでしょ」
平坂のバックグラウンドを聞いていなければ、中二病だと掃いて捨てるところだが。
僕らは昨日の出来事などどこ吹く風、とりとめのない話をしながら食事をした。好きな音楽、本、マンガ、アニメ、映画、その他もろもろ。自分の文化的背景の開示。話の隙間、平坂の姿を見つめる。172cmの僕から見れば、頭ひとつ低い彼女の身長。その口から放たれる破壊的哲学さえなければ、十分イケメンの隣に収まりそうな見た目だ。
「平坂ってさ」
平坂は箸でつまんだトマトを口に入れ、僕の目を見た。
「彼氏とか、いんの」
一瞬の空白があった。平坂の細い喉が、トマトをこくん、と飲み下す。
「いるわけないじゃん!夜方君、ホント面白いね!」
爆笑。こんなに笑う平坂を見たのは初めてだ。そんなに笑われると思わなかった。
「言ったでしょ。キミ以外の人間は『違う世界の住人』って」
そういうこと。そりゃ付き合うとか付き合わないとか以前の問題だ。僕も自然と笑みが漏れた。
食事を終えた僕らは地学準備室を後にした。南京錠で鍵を掛ける。
「この鍵、明日にはキミの分も用意しとくね」
それはありがたい。
僕らは午後イチの予鈴と競争するように、教室へ向かった。席に座り、授業を受け始める
「夜、また話そう」
平坂から送られてきた昼間最後のメッセージには、そう書かれていた。
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