#3 告白、あるいは独白

 その夜、平坂からLINEでメッセージが来た。

「どう?今は死にたい?」

なんて挑発的なんだと思いながらも、僕は努めて冷静に返信した。

「いや。今は別に」

「そっか。ならいいや」

それは安堵しているというよりも、まるで自分の興味の対象から外れたとでも言いたげなものだった。もちろん文字だから、本当は、本当に安堵していたのかもしれないけれど。僕は平坂のメッセージに既読を付けると、iPhoneをベッドに放り出した。これが噂に聞く既読スルーってやつか。


 しばらくすると、バイブレーションが規則正しいリズムで着信を伝えてきた。無論、平坂からだ。

「はい」

ぶっきらぼうに聞こえてはいないだろうか。まあ、そんなことどうでもいいか。

「夜方君、今暇でしょ?」

暇か暇じゃないかで言ったら確かに暇だけどさ。その断定口調にムッとした。「暇だけど」

「ちょっと話を聞かせて欲しいんだよね」

「僕の?」

「そう、キミの」

平坂はそう言った。心底楽しそうに。

「キミは神様って、いると思う?」

いきなり核心めいたことを訊いてくる奴だ。平坂は神様を殺すと言ってのけた。その意味するところは、まだ掴めない。平坂はその入口としてなのだろうか、僕にそう問うた。

「僕は無宗教だからな。特に信じてない」

平均的日本人ならこう答える。外国の人間からはたいそう奇妙に映るらしいけれど。ただ神話のたぐいなら、多少の関心はあった。そういう文脈においてならば、世界にはごまんと神がいる。ああ、日本は八百万か。

「最初っから信じてなかったの?小さいころとかは?」

小さいころ。ああ、昔はそうでもなかった気がする。僕の通っていた幼稚園はキリスト教系のそれで、園の敷地内には聖母の像やら十字架がそこかしこにあったものだ。けれどその園は父なる神の実存を子どもたちに刷り込むというよりも、教育的観点からキリスト教的博愛主義的価値観を与えることをモットーにしていたように思う。マザーテレサのビデオは死ぬほど見させられたのを覚えている。その思い出話は平坂の興味を惹いたようだった。


「私はね、いて欲しいと思ってたよ」

その口ぶりからは神の不在を悟ってしまったように思えるが。

「サンタクロースはさ、たいていの子供は信じるじゃん。でも段々とその正体を知っていくでしょ。それと同じプロセス、いや違うな、もっと劇症的な気付きがあったんだ」

現実を知るということ。サンタクロースが死んだ朝。そして幼年期の終わり。「何で私が転校してきたか、キミに話さなきゃね」

会話の主導権が移ったことを感じた。転校生の転校のいきさつは、多くの場合語られることがない。そこにはきっとよんどころない事情があって、踏み込み難いプライベートがあるのだ。平坂はそれを明かすと言った。平坂の神に対する思想を劇症的に変化させた出来事が、そこにはあるような気がしていた。そして僕の予想は幸か不幸か、的中していた。


「3ヶ月前、長野で放火事件があったんだ。一家5人のうち、4人が死んだ。もうわかったよね?生き残ったひとりが私なの」


 息が詰まっていた。つい夕方、自分の首に食い込んでいたネクタイの感触が再生される。そんな事件があったかもしれない。東京のニュースは地方のそれを余程のものでないかぎり、軽く流して終わりにする。ほら、一応報道してやったぞ。そんな自己満足的な、あるいは自己弁護的な態度でもって。ああ、なんてありふれた悲劇。

「それで、私は東京の叔母さんの家に来たの。まあ、引っ越さざるを得ないよね。家が燃えちゃってんだからさ」

ケラケラと笑う平坂の底知れ無さに、少しだけ恐怖を抱いた。

「キミはキミなりの問題があって、きっと辛くて、それで死にたくてたまらないんだよね。その衝動はキミの力じゃもうどうしようもないことなんだよね」

ああ。そうだ。平坂は家族を喪った。対して、僕には家族がいるけれど、それは機能不全を起こした形骸。それは意味のない対比だったかもしれない。平坂の喪ったものに比べれば、という考えがふと浮かぶ。いや、自他の感情を秤にかけちゃいけない。自分はいつだって世界で一番辛いのだ。それと同じように、平坂は世界で一番辛いのだ。皆辛い思いをしてるんだよ。くそったれで無責任な励まし。


「だから私は生きたい。死んだ家族の分まで、私が生きなきゃいけないと思ったんだ」

美辞麗句。しかし平坂の経験というフィルターを通してみたとき、その言葉はなによりも真に迫っていた。


「生きて、復讐するの。放火犯に。そんなものを産んだ社会に。世界に。そして神様に。キミはきっと死ぬことを復讐に見立てようとしていたんだろうけど、私は少し違う。いや反対かな。復讐は、その対象者が苦しんで壊れていく様を見届けてこそ成就するものなんだと、私は思うんだ」

なるほどな。そういう考え方もあるのか。僕の知らなかったもうひとつの答え。僕と反対の極に属するもの。


「なあ、どうして僕にそんなことを教えてくれるんだ」

僕はふと、そんなことを訊いてみた。だってそうだ。普通に考えれば、今日初めてまともに話したような奴に聞かせるような内容じゃない。平坂はうーん、と少し考えたあと、言った。

「キミが私と似てるから、かな」

「似てる?」

「そう。確かに生き死にに対する考えは対極かもしれないけど、キミも私も報復心を糧に生きてる。違う?」

「違わない」

「うん。キミには私と同じ匂いを感じた。だから同志として適格だと思った。それだけだよ」

僕は確かに平坂の話に興味を抱いている。好意とはまた別の感情。平坂風に言えば、同志、なのだろうか。

「今日はもう遅いから、また明日話そっか」

平坂はそう言うと、おやすみ、と言った。僕もおやすみ、と言った。通話を終了する。


 女子と夜に電話。それにしちゃあまりに色気のない内容だったけれど。まあいいや。明日平坂に会って、それでまた色々と話すんだろう。それを不思議と楽しみにしていることに気づいたのは、電話を切ってからしばらくしてからだった。

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