●道化師の目覚め
むかーしむかーしあるところに――って、いまは昔ではないし、あるところってたぶんここだ。ここ。俺の夢の中。
どうしてここが夢なのかってわかるのかというと、答えはとても簡単。
先日、死んだはずの幼馴染みが、いま目の前にいるからだ。
「こんにちは」
と、にこやかに笑いかけてくる。これが夢でなくて、いったいなんだというのだろうか?
あ、さっきのは修正。昔ではないってところね。だって、彼女がここにいるってことは、もしかしたら俺がいま見ているのは昔の夢なのかもしれないし。
彼女はベッドに寝転がって、俺を見上げている。よく周囲を見てみると、どうやらここは病室みたいだ。
白く無機質な病室に、汚れをしらない白いレースカーテンが揺れている。病弱ですっかり日差しに弱くなってしまった彼女は、日差しの強い日中はレースカーテンを閉めている。俺はいつもレースじゃなくって、緑のカーテンを閉めればいいだろ、と口癖のように言っていたのだけれど、彼女はふふっと笑いながらいつも決まって、「だって日差しが好きなんだもん」と答えた。まるで子供ような口調だと、俺はさらに口癖のように言う。すると彼女はぶっすーと頬を膨らませて「いじわる」といたずらっぽい瞳で俺を見上げるのだ。それがおもしろおかしくって、俺は笑い転げた。実際は、その笑顔を浮かべている彼女でさえ目にしているのがとてもつらくて、泣き崩れそうになる顔に必死に笑みを張りつかせていただけなのだけど。
「あれ、どうしたの?」
夢の中の彼女が、言葉を返してこない俺を訝しむ。
俺は言葉を発せないでいた。
たとえこれが夢だとわかっていたとしても、夢の中の彼女が死ぬ前と変わらない笑顔を浮かべていたとしても、それは一度俺が失ったものだ。
喪失感を感じたときの葛藤が逆流するかのように胸の中に沈んでいく。そして再び押し戻されてくる。
涙が、溢れそうになる。
それを、必死で食い止めて、むりやり彼女に笑いかけた。
あのころのように。ベッドに横たわって弱々しく笑う彼女を、必死で笑わせていたころのように。俺が、完璧に道化師を演じられていた時のように。
「やあやあ、こんにちは」
最高の笑みで、彼女に挨拶を返す。
「そうそう。それそれ。私、きみのその笑みが大好き」
コロコロと、彼女が笑う。
懐かしいその笑みに、胸が締め付けられる思いがした。
過去に失ったもの――死んだ人間が、生き返ることはありえない。
だからこれは夢なのだ。
夢だから、目が覚めたらまた失ってしまう。
目覚めたら、彼女はもういない。
俺はまた、薄暗い部屋の中で、彼女のいない日々のことを憂い、宵闇のなかで眠り、カーテンの閉め切った部屋のなかで頼りない日差しとともに起きて――何もすることなく眠る。それが永遠に続く。
「で、最近のきみはどう? 元気にやってる?」
言葉に詰まる。
絞り出す。
「あったりまえだろ!」
俺はきちんと道化を演じられているのだろうか?
彼女の求める笑みを、顔面に張りつかせることができているのだろうか?
俺の回答を聞いた彼女は、薄く唇を開くと、
「うそ」
と俺の目を見て言った。
「きみのそれは嘘ね」
「……どうして」
俺の声は震えていた。
「私もただの馬鹿じゃないのよ。きみのその笑みが……いつも浮かべていたあの笑顔が、作りものだってことぐらい、知っているんだから」
「でも、そんな俺にいつも笑いかけてくれたじゃないか」
「だって私が笑わないと、きみ、とても悲しそうな顔をするんだもの。道化を取り繕ってはいるけれど、実際はぜんぜんうまく笑えていないのに」
「え、そうなの」
「幼馴染みでなっがーい付き合いなんだから、それぐらいわかるよー」
「そう、なんだ」
彼女に見破られていたとは。情けなくなってくる。
て、あれ、なんだろう、この違和感。
てっきり夢の中だから、昔の、彼女がまだ生きているときの記憶を夢みていると思っていたのだが。こんな会話をした記憶は俺にはない。
その答えは、いたずらっぽい笑みを浮かべた彼女の姿と、その言葉で分かった。
「きみ、私のこと、夢だと思ってるんでしょ。ほんと、わかりやすい顔してるよねー」
「……ということは、やっぱり」
「そ、魂ってやつ? 死んだと思っていたら、ふよふよと漂って、きみの夢に辿り着いたみたい」
「魂かー。でもやっぱ、これも夢だろ?」
「そうよ。きみの見ている夢」
口を三日月のように開いた、張りつくような笑みで、彼女は勿体つけるように言う。
「だから、すぐに別れることになる」
俺は、いますぐにでも泣き出しそうだった。
そう、これは夢。夢なのだ。
いくら夢の中で魂の彼女と再会したのだとしても、目が覚めてしまえば彼女の姿は消えてしまう。
繋ぎとめておくことはできない。
俺もずっと、眠っていられたらいいのに。
「ねえ、お願いきいてくれる?」
「お、おうっ。なんでも言ってくれ」
すぅーと息を吸い、彼女は一気に吐きだす。
「私のかわりに生きて。さいっこうの笑顔で。作り物の笑顔じゃなくて、心の底からの笑顔で。楽しく生きて」
そして彼女は俺に手を伸ばした。
その手を、俺は躊躇いながら、掴んだ。
――彼女が死んでから、俺は屍のように生きていた。彼女のいない世界が耐えられなくて、親にも、担任にも、友人にもたくさんの迷惑をかけた。
でも彼女が望むのなら、俺は生きなければいけない。
いままでの道化を捨てて、心の底から笑わなければいけない。
それが彼女への手向けとなるのなら。
「
精一杯の笑みで応えたつもりだった。
涙や鼻水でしわくちゃになった顔で。
「変な顔」
そう言って、彼女はコロコロと笑った。その顔には最高の笑みがあった。
「じゃ。そろそろ、私はふよふよ漂うのをやめて、天国に向かうね」
「お、おうっ。天使と神に、よろしくな!」
「はやく輪廻転生してもらえるようにお願いしとくよー」
よっこらせと立ち上がると、彼女は俺との繋いだままの手を見下ろして、ゆっくりと俺の指を解いていく。
すっかり身軽になった彼女は大きく伸びをして、それから俺と同じような涙でぐちゃぐちゃになった笑顔で、
「バイバイ」
と手を振った。
俺もぶんぶん手を振った。
「バイバイ」
そして――――俺は、目を覚ました。
【三周年記念選手権KAC7・お題「最高の目覚め」参加作品(2019年三月某日執筆)】
こんなにもシンプルなセカイでぼくらは 槙村まき @maki-shimotuki
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