▽とある黒猫の恩返し。


 今日は最高の日だ。生きてきた中でもっとも甘美なる日。

 なんといっても今日だけは、どんな格好をしていても誰からも奇異な目で見られることはない。むしろ、その耳かわいいねって褒められるぐらいだ。猫のようにねだると、頭を撫でてもらえたりもする。すごく気持ちいい。

 街中に散りばめられている照明はボクを照らしてくれるし、スピーカーからは聴いているこっちが元気になれるハロウィンの曲も流れている。


 ――そう。今日はハロウィン。

 街中には様々な仮装をした人々が行きかっていて、そのどれもが晴れやかな表情だ。

 ゾンビメイクをした女子高生が固まって記念写真を撮っている。なにかのアニメのコスプレをした男女が仲睦まじく腕を組んで歩いている。白い布を頭の上から被って、おばけだよーっと両親にじゃれついている子供もいる。それから狼男やフランケンシュタイン、それから吸血鬼といった仮装をした人たちも行きかっていて、みんな騒いで楽しそうだ。


 ボクもどこかに混ざりたいな。

 そう顔を巡らせてみるけれど、みんな自分たちが楽しむのに忙しそうで、ボクの入り込む隙間はなさそうだった。

 それなら、ボクも自由気ままに歩き回ろう。もともとボクはそっちのほうが好きだ。


「きみ、かわいいね!」


 ゾンビメイクをした女子高生がボクに近づいてくる。


「その猫耳本物みたい! 触ってもいい」

「いいな、あたしも触りたい!」

「うん。いいよ」


 本当は耳を触られるのはあまり好きではないけれど、彼女たちが楽しいならそれでいいのだ。


「ふさふさしてるー」

「ほんとだー。あはは」


 嬉しそうでなによりだ。頭を撫でられるのも悪くない。――まあ、カノジョの手には劣るけど。


「あ、そろそろ行かないと待ち合わせに遅れちゃう。ごめんね、またね」


 遊び足りなそうに、女子高生が離れていく。名残惜し気に彼女たちの後ろ姿を見送った。彼女たちとも、ボクは一緒にいられないみたいだ。

 残念だけど、ボクは再び歩くことにした。

 歩いていれば、きっといいことがある。――カノジョが前に言っていた言葉だ。

 その言葉を胸に秘めて歩き出したときだった。


「え、トキ?」


 聞き覚えのある声が、近くから聴こえてきた。

 カノジョの声だ! 偶然の出逢いが嬉しくって、ボクは声がしたところを見る。

 そこにはボクの思った通り、カノジョがいた。

 嬉しくって、ボクはカノジョに近づく。


「ご」


 だけど呼びかける前に、カノジョががばりと頭を下げた。


「すみません。人違いです。あの、その……あなたと同じようなゴスロリ服を着た知り合いがいて……。でもおかしいですよね。だって、彼は、もう」


 顔を上げたカノジョは、目じりに涙を溜めていた。いまにも溢れそうなそれを見ていると、いますぐ舐めとってあげたくなる。……でも、いまのボクには無理だ。最初からしっていた。たとえ再会したところで、カノジョはボクに気がつかない。

 だって、ボクは、あのころとはまったく違う姿をしているから。カノジョが気づくはずがない。

 だからこの反応は当然と言えた。悲しいけど、しかたないよね。

 ――って、そう簡単に諦められるわけがない。

 ボクは、またカノジョに撫でられたいのだ。頭を、顎を、体を。

 その為に、ボクはこのさいっこうの日に、神さまからお目こぼしをいただいたのだから。

 せっかくカノジョに逢えたのだから、その望みは叶えたい!

 落ち込んだ表情で、その場から逃げるように振り返り歩いて行こうとしたその背中に、ボクは両手をめいいっぱい広げて、声をかける。


「ボクだよ! ご主人!」

「え……? ご主人? あの、それはどういう」

「だから、ボクだよ! トキだよ!」

「……あの、ふざけてるんですか? それとも、ヘンタイですか? だって、トキはもう、死んでるんだからっ」


 彼女は涙を浮かべながらも、怒りの形相を露わにした。これは生前のボクも見たことのない表情だった。少し慄いてしまう。でも、ボクは本物のトキなのだ。カノジョにもう一度逢うために、ボクはここまでやってきたのだから。


「この服、気にいってるよ! ご主人が手作りしてくれた、このゴスロリ服。神さまにいまのボクでも着られるようにって、サイズを調整してもらったんだ! それにこのリボン、ここの刺しゅうを見て!」


 胸元についているリボンをするりと解くと、が見られるように、カノジョに突きつける。その赤いリボンには、黒い糸で「トキ」と縫われていた。


「これは、わたしがトキのために作った……ッ。どうして、あなたがこれを持ってるんですか!」

「ボクが、トキだからよ!」

「嘘よッ! だって、トキはもう死んでいるし、なによりもトキは猫よ! 立派な毛並みの黒い猫! 愛らしくって、丸くなって、私の腕の中で彼は死んでいったの……ッ。人間なんかじゃ、ない」


 またカノジョの目が曇る。涙が、頬をつたっている。握りしめた手も、痛そうだ。 


「神さまが、今日だけ人間にしてくれたんだ! ご主人と話せるように。手を繋げるように」

「……嘘っ。ぜったいに、そんなこと、ありえない」

「それがありえるんだ! 今日はなんといったって、ハロウィンだからね!」


 ハロウィンは特別な日だ。

 死んだモノが、すこしだけ現世に遊びに来られる日。

 だから、ボクもやってきたんだ。

 カノジョに逢うために。

 きちんと、お礼を伝えるために。

 ボクを育ててくれてありがとう、って――。

 そうしたら彼女が喜んでくれるって思った。笑顔になってくれるって思った。

 ボクが死んでから、暗い顔で日々を送っているカノジョの、力になれたらいいなって。

 そう思っていたのに。

 カノジョは、まだ泣いている。

 あれから一か月以上経つのに、ボクのせいでカノジョの涙は止まらない。

 そんなの、いやだ……ッ!


「ねえ、ボクの耳、触って」


 カノジョに顔を近づける。逃げそうになった彼女を止めるために、ボクはカノジョの体を抱きしめた。


「ちょ、やっぱヘンタイッ!」

「いいから、ボクの耳、触って!」

「……触ったら、離してくれる?」


 ボクは、うんと頷く。ボクはカノジョが嫌がることをするつもりはない。

 カノジョの手が、ボクの耳に触れる。それに、すこし緊張する。

 ボクの耳、死ぬ前と変わってないよね。

 不安になる。


「……これ……どうなってるの? ニセモノじゃない……。これ……トキの……。ほんとに、トキ、なの……?」


 おそるおそる響く声。


「そうだよ! ご主人」


 密着しているから、懐かしいにおいが鼻孔をくすぐる。

 嬉しくって彼女を抱きしめてニヘヘとしていると、カノジョがボクの体を引っ剥がした。

 名残惜し気に見上げると、カノジョはなぜか顔を赤くして、目を逸らす。


「その……。もう、耳は触ったんだから、離れてよ」

「……うん」

「で、その。ほんとのほんとに、トキ、なんだよね?」

「うんっ。ご主人に逢いにきたんだ!」

「そう。……なんでそんな姿で。男の子なのに」

「だって、これご主人が作ってくれた服だよ!」


 ぼくはくるっとターンをする。カノジョが作ってくれた、ボクのためのゴスロリ服を披露するように。


「あああっ、言わないで。だって猫の服って人間と違うから、ズボンとか、作れなかったの。それに、オスだってわかっていても、かわいい服着せたくなるでしょ? だから、その……スカート履かせて、ごめん」

「なんで謝るの? ボクは、この服気にいってるんだよ!」


 生前カノジョが作ってくれた、このゴスロリ衣装は、とても着心地が良かった。人間の姿になってもボクに似合っている。だから、好きだ。


「……そう。それなら、いいんだけど」


 カノジョが、なんだか気恥ずかしそうに、もじもじする。


「その。これからどうするの? また、私の家にくる? お父さんとか、説得しなきゃだけど」

「ごめん、それはできないんだ」

「なんで? また一緒に暮らそうよ」

「だって、ボクは死んでるからね。今日は、ご主人に、お礼を言いたくって、逢いにきただけなんだ。だからそろそろ帰らないと」

「そんなの、いや。帰したくない。だって、せっかくまた逢えたのにッ」


 カノジョが両手で、ボクの左手を握る。イヤイヤと、駄々をこねる子供みたいに首を強く振った。カノジョの長い黒髪がみだれる。


「ボクは、ご主人と一緒に暮らせて毎日楽しかった。この服作ってくれたのも嬉しかったし、ご主人に頭を撫でられるのも好きだし、なによりボクはご主人の傍にいられて、幸せだったんだぁ」


 空いている右手で、ボクはカノジョの目からこぼれた雫を、そっと拭ってあげた。


「だからボクがいなくても、ご主人には幸せになってほしい。ずっと、毎日笑っていてほしい。もう、暗い顔なんて、ボク、見たくないんだぁ」


 泣いているカノジョのかわりに、にっこり笑ってあげる。

 ボクも笑えば、カノジョも笑ってくれるはずだから。


「……トキ。私、トキがいないと笑えない。だから、その姿でもいいから、ずっと傍にいて。ずっとっ!」

「それは無理だよ。ボクはもう死んでるからね」


 ギュッとボクは右手で彼女を抱きしめる。温もりがあれば安心できるはずだから。


「トキ、いかないで」

「ご主人。右手、貸して」


 カノジョは首をふった。どうしてもボクと離れたくないみたいだ。ならしかたない。

 ボクは右手と口をつかって、ご主人の腕に赤色のリボンを結んであげた。生きているときに、ご主人からもらった、ボクの名前の刺しゅうが入ったリボン。長さが不安だったけど、ギリギリ足りたみたい。ボクの黒い体を彩ってくれたそのリボンは、カノジョの腕で鮮やかに咲いてくれている。それが、嬉しい。

 カノジョが視線を落として、リボンを見る。すると、また泣き出した。


「トキ。ほんとに、行っちゃうの?」

「うん。ごめんね、ご主人」

「……トキまた、逢いに来てくれる? 来年のハロウィンとかも」


 それは無理だ。許しをもらえた魂は、一度だけしかこの世に戻れない。ボクが彼女に逢えるのはこれで最後だ。

 でも、ボクは嘘を吐くことにした。カノジョに安心してもらうために。


「うん。また逢いに来るよ」


 もう、ボクは逢いにこられない。カノジョは、これからしばらくひとりになる。

 でも、カノジョを笑顔にするためなら嘘ぐらい……。


「嘘、吐いたでしょ。私しってるんだから。トキは、なにか悪さをすると、しっぽを垂れさせるのよ!」

「嘘なんて吐いてないよ!」

「ほら、やっぱり嘘なんじゃん。だっていまのトキは、しっぽなんてないんだからね」

 そうだった。人間の姿になっても耳は残してもらえたけれど、しっぽはないんだった。

 ふふっというカノジョの笑い声。


「もう、トキったら、変わってない。ほんと、かわいい」

「……ご主人。でも、ボクは」

「もう逢えないんでしょ? だって、死人とそう簡単に逢えたら、いまごろこの世はゾンビだらけよ? ……トキとも、これがほんとのお別れなんだね」

「ご主人……ボクは」

「私ね!」


 ボクの言葉は、カノジョの声によって、遮られる。


「トキと一緒にいられて、とても楽しかったよ。毎日毎日幸せだった。トキのおかげで、つらいことから逃避できたこともあったし、逆に目標に向かって立ち向かっていける勇気ももらえていた。だから、ありがとう、トキ」

「……ボクも」

「いつまでも、トキのことを考えてうじうじしていたら、トキもちゃんと成仏できないもんね」

「ご主人」

「はーあ、久しぶりになんか笑った気がする。トキと逢えて、ほんとによかったよ」


 ボクもだよ、ご主人。


「トキが幸せだと私も嬉しいし、トキも私が幸せだと嬉しいでしょ?」


 ボクの手を離すと、カノジョは大きく手を広げて、それからボクを包み込むように抱きしめた。


「だから、トキもあの世で幸せになってね」

「うん、もちろんだよ」

「浮気はしちゃだめよ」

「ボクはご主人が大好きだから、だいじょうぶだよぉ!」

「ほんとかなぁ。トキ、こんなにかわいいし。みんな放っておかないよ。てかこのボブカット、サラサラ……羨ましい」

「ほんとだよ! ご主人が、世界で一番大好きなんだから!」

「……そう。ありがとう、トキ」


 カノジョの温もりが離れていく。

 これが最後だと、なおのこと名残惜しくて、ボクはもどかしく思いながらも、カノジョから離れた。

 それからもう一度、ターンをすると、ボクはカノジョに精一杯の笑顔を向ける。


「ご主人、ありがと。ボクの傍にいてくれて、ボクにこの服を作ってくれて、ボクの頭を撫でてくれて、美味しいごはんやおやつとかもくれて、そんでそんで」

「トキ。もうわかったから。私こそ、ありがとう、だよ!」

「ご主人!」


 またカノジョに抱き着こうと、両手を広げる。そこで、あっとなった。


「……もう時間切れ」


 ボクの両手はもう透けていた。指先に至っては、ほとんど消えかかっている。

 ハロウィンも、もう終わる。

 満面の笑みを浮かべたカノジョが、ボクに向かって手を振った。


「バイバイ、トキ」

「バイバイ、ご主人」


 ボクはもう消えかかっている手のかわりに、顔じゅうにカノジョとおなじ笑みを浮かべた。

 最後まで。

 この世からボクが消えてなくなるそのときまで。

 ぼくらはずっと、笑顔でお互いを見送った。


 ――また逢いたいな、ご主人。生まれ変わったら、また……。

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