▽放課後の図書室に咲く百合の花

 全寮制女子高等高校。偏差値が高く、入学金も高い。通っている生徒のほとんどがお嬢様で、かくいうわたしの家庭もそうなのだけれど。


 どうにかこうにか入学を果たすことができたわたしは、同じく胸をときめかして入学してきた少女たちの中に紛れて壇上を見上げていた。

 そこでは、ひとりの女子生徒が、生徒たちに向かって話している。話しているというよりも、その落ち着いた声音からすると、語りかけているといったほうが正しいのかもしれない。

 わたしはそんな女子生徒の姿に見惚れていた。その、あまりの美しさに。

 腰までふわりと伸びる黒髪を、後ろで軽くひとつに結んでいる、艶めくその黒髪も素敵なのだが、それよりもわたしは、彼女の瞳に目を奪われていた。真っ直ぐ前を見据える黒い瞳。暗い闇夜の湖に移る満月を思わせる儚さと、静かに意思を持って輝いている、その瞳に。

 凛とした声で、我に返る。どうやら彼女の話は終わったようだ。姿に夢中になっていたがために、その内容が思い出せない。わたしは心の中でしまったな、とぼやいた。


 それが、わたしが彼女――鬼杜寺百合子きとうじゆりこを初めて見た日だった。

 思えばわたしは、この時にはもう、彼女に恋に落ちていたのかもしれない。




 だいたい昼過ぎから、わたしは高鳴る鼓動を押さえられなくなる。どうしても、この後のことを考えると、授業中も気が気じゃなくて、わたしはいつも授業中、鉛筆の持っていない方の手で胸をそっと抑えて、鼓動に「まだだよ。まだまだ。落ち着いて。楽しみは放課後でしょ」、と心の中で語りかける。そうすると少しはすっきりして授業に集中できるのだけれど、気持ちはウキウキしっぱなしで、堪えきるのは難しかった。

 放課後になると、わたしはすぐさま荷物を抱えて、椅子から立ち上がる。でも慌ててはいけない。落ち着いてお淑やかに。お嬢様学校なのだから、あまりはっちゃけると変な風に見られてしまう。奇異な視線にさらされるのはあまり好きではないので、わたしはあくまでも自然に帰宅する姿を偽る。

 クラスメイトたちと「ごきげんよう」と挨拶を交わすと、わたしは教室から出た。

 下駄箱ではなく、特別等にある図書室に向かった。

 図書室の中に入ると、本棚から適当に本を一冊手に取り、悠然と立ち並ぶ多くの本棚の奥まったところ。コの字型になって、周囲から死角となる一角。ほとんど生徒が寄りつかない机に向かった。周囲を確認しながら、慎重に。

 放課後の図書室は静かだ。人はまばらで、ほとんどの生徒が本を選ぶに夢中なため、周囲を警戒しているのはおそらくわたしと、彼女ぐらい。

 わたしは長方形の木の椅子に腰を掛けると、後から来るはずの彼女をいまかいまかと待つ。

 忙しい身分の彼女だ。手持ちぶさたのわたしが本を開いてペラペラとしだして十五分ほど経ってから、申し訳なさそうな顔で現れた。


「ごめんなさい。先生に呼ばれてしまって、少し話していたら、遅れたわ」

「待つのは苦痛ではありませんから、全然平気ですよ」

「あら。いくら私が年上で、生徒会長だからって、あなたは私とふたりっきりのとき、敬語なんてつかわないのではなくって?」

「……ちょっと待つのが退屈に感じただけです」

「ごめんなさい。それは悪いと思っているわ。けれど、敬語、そろそろやめなさい」

「えー、いっやでーす。会長だって、気取った口調のくせに」


 わがまま娘みたいに、わたしはそう言い切ると、プイっと視線をずらした。

 「もうっ」と、彼女――生徒会長の鬼杜寺百合子が、背後でため息を吐く。

 くる、とわたしは思った。

 思った通り、すぐ近くで気配を感じたかと思うと、背後から両腕が前に伸びてきた。

 先輩の細い手で、背後から抱きしめられたのだ。

 その温もりに、自然と頬がニヤける。ヘソを曲げたわたしのご機嫌取りだと思うと、なおのこと嬉しい。

 目をそっと横に向けると、その深淵のような深みのある黒い瞳と、目が合ってしまった。

 いま、その瞳には月が映っておらず、輝きを感じられない。

 ありゃ、と思う。

 やりすぎたかもしれない。

 じぃ、としばらく見つめ合っていると、百合子の身体が離れていく。

 名残惜し気に振り返ると、百合子の意志の強い瞳が、すぅーと細くなっていく。

 あ、しまった。

 と思った時には、もう遅い。

 百合子の眉が上がり、キッ、と目と口を尖らせて、彼女がうなり声のような泣き声を上げてしまった。


「もうっ。そうやって人の心を弄ぶの、やめてもごっ」


 ここは図書室だ。周囲からここは視覚になっているため、近づいても来ない限りわたしたちの密会がバレることはない。百合子も一応配慮をしたのだろう。声のトーンは小さめだったけれど。

 わたしは慌てて、癇癪を起しはじめた百合子の口を、自分の手で押さえる。

 手の下で、百合子が「うーうー」唸っている。まなじりに涙を溜めて。

 その姿を至近距離で見つめながら、「かわいいな」とわたしは思ってしまった。

 そんなふしだらな気持ちをそっと抑えると、わたしは百合子の耳元に口を近づける。


「ごめん」

「んんんーんーんんん、んんんんんんんんーっ」


 あやまるぐらいなら、そんなことしないでっ。

 と言ったのだろう。


 彼女が落ち着いたのを見はからい、わたしは、そっと彼女の口から手を離した。

 

「もうほんと、あなたって意地悪な人」

「ごめんって。ほんと、謝るからさ」


 敬語をやめたわたしは、素の口調で弁解する。

 それでも百合子は変わることのないふくれっ面で、ヘソを曲げているのか、視線を合わせようとしてくれない。どうやら、今度はわたしが彼女のご機嫌をとる番みたいだ。

 少し考えると、わたしは椅子から立ち上がった。

 百合子に近づいていく。彼女はそっぽを向いているが、こちらを意識しているのがその表情からまるわかりだった。気づいていないふりをしながら、頬がニヤケるのを抑える。

 ほんとわかりやすいんだから。意趣返しといったところだろうか。駆け引きが苦手なくせして、こうしてかまってもらおうとしているのが、微笑ましい。

 百合子に、顔を近づける。

 すぐ近くにある麗しい顔と、その下の方であでやかに艶めく色っぽい唇を見つめると、待ち構えるように百合子がゆっくりと目を閉じた。わたしはほくそ笑むと、そんな彼女の唇に顔を近づけていき、そっと伸ばした人差し指を、彼女の唇に当てた。

 眉をひそめて、百合子が目を開ける。

 一度わたしの眼を見つめてから視線を下にずらすと、わたしの指を見た百合子が物足りなそうに上目遣いで見上げてきた。わたしの方が頭一つ分身長が高いため、彼女は見上げる形になってしまうのだ。

 桜色の唇がやはり不満を訴える。


「それだけなの?」

「あ、もしかして、この口がよかった?」


 わたしは自分の唇に、百合子の唇に触れていた指を押し当てる。

 わかりやすく百合子の顔が火を噴いた。真っ赤になった彼女は、金魚のように口をパクパクとさせて、しどろもどろに何かを言おうとしているが、言葉にならずに空気に溶けて消えていく。


 ああ。

 

 ほんと、この素直な子は。これだから、彼女をからかうのはやめられない。

 頬を真っ赤にしている百合子を至近距離から眺めながら、わたしはその桜色の艶やかな唇が開くその前に、自分の唇を寄せて、合わせた。身じろぎをする体を抱き寄せる――。



 男だらけの兄弟の中、母に女だと勘違いされたまま育てられた、わたし――いや、僕。男としての衝動も抑えられないまま、女の姿をしてお嬢様学校にまで入学することになって憂鬱に思ったりもしたけれど。

 こうして、彼女に逢うことができた。

 彼女は、母を除いた家族以外で、唯一僕の性別を知っている。不意な事故でバレたのだ。

 そのときに、僕は彼女にとりいることに決めた。入学式の日に、一目ぼれしていた彼女を、自分のモノにしたいと思った。いままで僕は、男らしいことをすることを許されなく、ずっと母の意思に反抗してみたいと思っていたのだ。

 いい機会だと思った。

 そしてそれは、成功した。


 僕と彼女は、こうして付き合っている。

 僕たちは、他の生徒には内緒にして密会を重ねている。


 いつも、威厳に満ちている生徒会長の鬼杜寺百合子。

 彼女はこうして僕の腕の中にいるときだけは、ひとりの可憐な少女になる。



(※「#女装男子匿名コンテスト」参加作品を、一部加筆修正しました)

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