◎プラトニックに愛してる。

 ぼくにはカノジョがいる。といっても、カノジョとは恋仲というわけでも、顔見知りというわけでもなく、話したことすらない。名前を知らないものだから、勝手にカノジョと呼んでいるわけだ。少女Aとか、かわいい子とか、なんとかさんとか、他にも言い方があるかもしれないけれど、ぼくがカノジョのことをカノジョと呼びたいから、カノジョと呼んでいる。ただそれだけだ。

 別に呼び方なんて関係ない。少なくとも、ぼくはカノジョのことが好きだから、カノジョと呼びたい。それだけなんだ。


 カノジョは同じ歳で、ぼくの隣のクラスに通っていて、ぼくのクラスが二組だから、カノジョは三組だ。誕生日がどちらのほうが先とか気にしない。ぼくの友だちにそれで兄貴面をしたがるのもいるけれど、数か月の差で何かが変わるわけじゃないだろう。実際、ぼくの一歳上のいとことぼくの間にある差は一年にも満たない時だけで、それでなにが変わるとか、どちらのほうがケンカが強いか、とかあまり変わらないからどうでもいい。


 とにかく問題なのはカノジョのことだ。

 カノジョの髪色は、なんと言ったらいいのだろうか。少なくとも黒ではない。だからと言って、茶色でもないだろう。その中間の、だけどどこか濃紺さもある気がする。色について詳しくないし、カノジョの持つ美しさは、髪の色だけじゃないし、瞳のほうが断然きれいだ。カノジョの瞳は、日本人特有のブラウンじゃないことは確かだ。どちらかというと、黒に近い。だけど白く見えることもある。濃紺かもしれない。日本人には見えない瞳。噂ではハーフだと聞いた気がする。ぼくは、カノジョのそんな瞳に惹かれて、好きになったんだ。


 好きとはいったい何のだろう。

 カノジョを見た瞬間、ぼくは恋に落ちた。

 カノジョの瞳に、黒でも白でもなく濃紺にもみえなくもない、不思議な瞳に。それに微笑みかけられた気がして、ぼくは自分の鼓動が耳で聞こえるぐらいドキドキした。

 カノジョから目が離せられなくなり、ずっとカノジョの目を追っていた。

 これは初恋だ。カノジョを見た瞬間に落ちたぼくの心は、それからずっとふわふわして馬鹿みたいに踊り狂っていた。

 これが好きという気持ちなんだ! と遅れて気づいたほどに。


 だけどぼくは人を好きになったことがない。これが初めてだ。

 好きとは、いったいなんなのだろうか。

 そう思ったぼくは、とりあえず調べることにした。


【好き】1.好くこと。2.気まま。「―な事を言う」。勝手放題。


 うん。意味が分からない。

 こういうことをぼくは知りたいわけじゃないんだ。

 ぼくの気持ちを言葉に替えると好きになるということはわかる。けれど、辞書とかで分かる好きとは違うみたいだ。


 じゃあ、ぼくのこの気持ちを言葉にした、『好き』とはいったい何なのだろうか。

 パパ愛用のパソコンで連日連夜、パパがお風呂に入っている最中に調べてわかったことは、ぼくのこの気持ちは、『プラトニック・ラブ』というものであるということだ。


 「プラトニック」の語源は、「プラトン的な」とか言うらしいが、そんなことぼくには関係ないし、知ったこっちゃない。

 肝心なのは、「肉体的な欲求を離れた、精神的な愛のこと」という言葉だ。

 

 肉体的な欲求というのは、どういうものか詳しいことはまだオトナじゃない子供のぼくにはよくわからないけれど、ぼくはカノジョの瞳に惹かれたので、身長とか体重とか体系とかよくわからない髪色とか関係なく、カノジョの瞳に惹かれただけで、これを肉体とは言わないだろう。いうなれば眼体的だ。ん? よくわからない。


 ぼくはカノジョとどうしたいのだろうか。

 もしカノジョと付き合うことになったらとか考えていると、心がポカポカしてきて頬が真っ赤になる。りんごみたい、とこの前ママに言われてしまった。


 たとえばそう。カノジョと公園に遊びに行ったとしよう。そこでぼくたちは砂場で大きな山を作って、トンネルを掘って、手を握り合わせるのだ。トンネル越しに笑いあってもいい。どちらにしても、それは素敵なことだ。


 たとえばそう。カノジョと海に行ったとしよう。そこでぼくたちは大きなお城を作って、城壁に穴を空けて、トンネルを貫通させて……あれ? とりあえず、手を握りしめるのだと思う。


 たとえばそう。カノジョとおしゃれなカフェに行ったとしよう。ぼくはブラックコーヒーを、カノジョは甘いカフェオレを頼んで、大きなチョコパフェを頼んで、二人でスプーンでつっつきあうのだ。パフェじゃなくっても、二人で飲めるカップル用のジュースでもいい。ストローがハート型になっていて、二人で同時にストローに口をつけるのを想像してしまうと、ドキドキが止まらなくって、顔を思わず覆いたくなってしまう。うへへ。


 たとえばそう。雨の日、カノジョと相合傘をするのだ。本当は傘を持ってきているのに、それを隠して彼女の傘に入り込む。「ぼくが持つよ」といって、カノジョが傘にすっぽり収まるようにかかげてあげる。少しして、カノジョが僕の肩が濡れていることに気づき、自分が持つよとか言って傘を取られそうになったら、カノジョが届かないところまで高く上げてみる。カノジョはぼくより身長が低いから、ぴょんぴょんと飛び跳ねることになるのだろう。想像するとかわいい光景だ。


 たとえば、そう。これが、一番楽しみなことだ。

 これが、一番楽しみで、一番恥ずかしいこと。


 毎日の下校途中。道に誰もいない隙をみつけて、カノジョの唇にぼくの唇を重ねてみる。


 想像するだけで、恥ずかしくって、死にそうで、喉が渇いてしまう。


 唇と唇を重ねる行為は、キスというらしい。

 好きなもの同士が重ねるキスには、意味があるとネットで知った。


 キスはどういう味なのだろうか。

 自分の唇に右手の人差し指で触れてみるが、わからない。

 ここに、カノジョの桜色の唇が重なると思うとドキドキして、いまにも心臓が破裂しそうって思うのに、ぼくの指じゃ意味ないみたいだ。ママのざらざらの唇で想像しても、クラスの中でも特別かわいい子の唇で想像してみても、吐き気しかない。カノジョじゃなきゃ意味ないのだろう。

 そんなこと考えながら、カノジョの唇を眺めていたからか、鼻水がだらだらと流れるほど寒い冬なのに、からだがぽかぽかしてきてぼくはカノジョの唇から目が離せなくなった。

 桜色の彼女の唇は、口紅を塗っているわけじゃないのに、ぷにぷにしていそうなほどぷるんぷるんしている。触りたい。触って、感触を感じたい。

 そしてぼくの唇にカノジョの唇が重なったのを考えると、ぷしゅーと頭から湯気が出て、思考停止してしまう。


 いったいどんな感触がするのだろうか。

 いったいどんな味がするのだろうか。


 それは、試さないとわからないんだと思う。


 でもぼくはカノジョに話かける勇気を持っていない。

 隣のクラスだし、名前を知らないし、よそのクラスの男子に話かけられたらカノジョは困惑してしまうだろう。

 ぼくはカノジョを困らせたいわけじゃない。

 ただ、眺めていたいだけだ。


 精神的な愛。プラトニック。


 精神的とはいったいどういうことなのだろうか。

 調べてみようとしたが、パパ愛用のパソコンを触っているのをママに見つかってこっぴどく怒られちゃったので、調べられなかった。


 精神。

 精神。

 なんだかいい響きだ。


 おそらくぼくは彼女のことを、プラトニックに愛している。


 愛なんて大それた言葉かも知れないが、最近ぼくは自分のこの感情を「好き」という小さい言葉じゃなくって、「愛」と呼びたくなっていた。


 最近カノジョのことばかりを考えていたから、ぼくの数少ない友だちに嫌われてしまった。「おまえつまんねーよ」とかよくわからないこと言って友だちは離れていってしまい、クラスでしゃべる人がいなくなったぼくは、どうやら一人になってしまったらしい。

 一人?

 何を言っているんだ。


 ぼくにはカノジョがいる。

 カノジョは、ぼくの愛する人だ。


 ぼくはカノジョをプラトニックに愛している。


 ぼくはもうそれだけで十分なんだ。









 僕が×を知るまで、あと少し――――。

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