こんなにもシンプルなセカイでぼくらは

槙村まき

♡カノジョノヒザマクラ

 僕は知っている。彼女の本性を。

 だから、いまこの状況が仕組まれたことだということも、知っている。


 大歓声、というよりもどちらかといえば野次の多い叫び声の中、僕は彼女の前に立っていた。優雅な女座りをしている彼女の前に。

 美しい黒髪は長く艶を浴び、優しく歪められた眉の下の茶色い瞳が輝いている。慈悲に似た穏やかな微笑みを浮かべた彼女は、短いスカートから見えている細すぎず太すぎない太ももに手をおいた。

「どうしたの? 早く、来なさい」

 膝枕して欲しくないのかしら? と彼女は首を軽く傾げて問うてくる。その姿は、長年一緒にいた僕ですら思わず見とれてしまうほど美しかった。

 彼女の台詞に、「そうだぞ、てめえ」「我らのクラス一美女の膝まくらなんだぞ羨ましい」「早くしてあげろよ羨ましいなゴラッ!」というような野次の中、ただ羨ましいだけなのかわからない男共の怒声が飛んでくる。

 僕だってあいつらと同じ気持ちだ。こんなにも美しい女性の膝枕だったら喜んで頂戴するだろう。というより、してください! と懇願して土下座までしてもいい。

 彼女は美しい。特にまなじりの下にあるなきぼくろが彼女の色っぽさを引き立てている。学年一、いや世界一美しいと言っても過言でないぐらい美しい彼女を見たら、誰もが惚れ惚れするだろう。実際、僕も彼女を一目見た瞬間、恋に落ちてしまった。


 だけど僕は知っている。彼女が美しいのは見た目だけだということを。

 性格がとてつもなく嫌味なぐらい悪いことを、僕だけが知っている。

 なんていったって、彼女は僕の幼馴染なのだから。


● ● ●


 昼休み。彼女はいつもの気まぐれで、教卓の前に優雅な振る舞いで立つと、とんでもないことを口走った。

「私が膝枕をしてあげると言ったら、して欲しい人はいるかしら?」

 僕はちょうどいつものパンを食べている途中だったため、パンが喉につまり盛大に咽返った。

 ――いったい、今度は何を仕出かそうというのだろうか。

 ペットボトルに入っている麦茶で無理やりパンを飲み下すと、僕は彼女に問いかけようとする。だが、その前に耳を劈くような大歓声が教室を振るわせた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」

 頭がよくスポーツも万能な彼女は、女子にも大人気だ。咆哮の中には男子だけではなく、女子の黄色い歓声も交じっていた。

 それらの歓声を受け、満足そうな笑みを浮かべた彼女は、ゆっくりともったいぶるように間を空けつつ、口を開く。

「では、明日の午前八時から午後四時までの間に、私の先着一名に、膝枕をしてあげるわ」

 なんだって!!

「もちろん、貴方が逃げ切ったら、私の膝は……貴方にあげるわ」

 わざとらしく頬を染める彼女。一度僕の胸が嬉しそうに高鳴ったが、全神経を集中して顔に出ないように努める。乗ったら僕の負けだ。

 彼女の色っぽい仕草に、男共(女子も交じっているけど割愛)の怒声が響き渡る。

「うおおおおおおおおおおッ」「ふっざけんな幼馴染風情があああッ」「お姉様の膝はわたしのものです!」

 僕への罵詈雑言も含まれているが、今はどうでもいい。

 なんで僕が巻き込まれなければならないのか、それが問題だ。

 僕は彼女の本性を知っている。

 だから、これがもう逃れようもないことを、それから誰が彼女の膝枕をゲットすることができるのかを、知っている――。

 どうすればいいのか悩む僕だけを置いて、彼女の話は続いていく。

「授業中は手出し禁止。それ以外の時間、すべて使って我が幼馴染を倒しなさい!」

「うおおおおおおおおおおッ」「やってやるぜえええええ」


 この日はそれから、ずっと僕は前後左右から突き刺さる視線を我慢しなければならなかった。おかげで部活動にも身が入らず、途中で部活を早退して帰ってしまったため、先輩に心配されてしまった。家に帰った後もいつも馬鹿みたいに威勢のいい父親にらしくない心配をされ、僕が指導している物好きの弟子にも心配されたというより、弱すぎますよーと馬鹿にされた。腹正しくなったので、その弟子はその後コテンパンに打ちのめしてやったが。


● ● ●


 僕の幼馴染である彼女の膝枕。それは至高の一品らしい。もしくは、嗜好の一品。


 自称クラス一のモテ男(ナルシスト馬鹿)曰く、

「あの人の美しさとつりあうのはワタシしかいないね。それはもう日本中、いや世界中探してもいやしないだろう。いるわけがないんだ。そんな美しき人の膝をどこの馬の骨とも知らぬ者に渡したくない。だって、彼女の膝はちゃんと毛抜きもされて傷もなく、とてもすべすべしていそうで――ああ、今すぐ頬ずりしたい! ……コホンッ。とにかく、ワタシはキミを倒すよ。いや倒すだけじゃなく、この世から永遠にふふっ。これ以上はオレの口からは言えないぜ。とにかく、あの人の美しい膝を我が物にして見せるさ。そのためなら、自分の手を少しぐらい汚してみせようじゃないか。……行くよ、ただの幼馴染君? このワタシに勝てごぶッ」


 クラスの一見普通に見える男子(口が悪い小心者)曰く、

「俺は、あの方がいるから学校に登校している。あの方がいなければ、俺は学校なんかにこねぇで引きこもりになってんよ。――実際に、中学はそうだったからな……。そんなあの方がヒザマクラをしてやるって言うじゃねぇか。そんなスバラシイ体験を他の野郎になんて渡せねぇよなァ。あの方の膝とはいわず、あの方のすべては俺のモンだ。あの方の膝に寝て、俺は耳元で優しく子守唄を歌ってもらうってぇ決めている。誰にも渡さねぇぞ。たとえ、幼馴染とかすっげぇ羨ましいナメクジ野郎でもなァ。俺の女神の膝にスリスリするなんてふっざけんな! そんなことぜってーやらせねぇ。覚悟しろ、こんのクソ野郎どぶふッ」


 クラスの委員長兼彼女のファンクラブ会員一号の女子(胸が小さい)曰く、

「お姉様はわたくしのものです。わたくしはお姉様のものなのです。これは何があろうとも、誰であろうとも変えられるものではありません。たとえ、幼馴染みとか、え? 何それ美味しいの? っていうかそれもう意味無いと思います! あれ、言葉がおかしく……。まあ、いいのです。お姉様の膝はもうすでにわたくしのものなのですから。というか、男なんかがお姉様の膝に触るなんてキモチワルすぎて吐きそうなのでやめてください。お姉様の膝は、かっこよくって綺麗でその上可愛らしい一面のあるお姉様を心のそこから慕い、そして愛しているわたくしにしか相応しくないのです。だから、わたくし……いえ、わたくしたちファンクラブのメンバーの女子は一致団結して、あなたに勝負を挑みます。覚悟してくださいませ」


○ ○ ○


 ――――さて、どうしたものだろうか。

 朝はギリギリに登校をしたためどうにか襲われなかったものの、一時間目の休み時間はもちろんのこと、大事な飯を食すために必要な昼休み、それからいま、いつもなら剣道部で汗水垂らしながら竹刀を振っているこの時間。放課後まで襲い掛かってくる連中。主は男子だが、柔道部をやっている女子やなんなのかわからん液体を振りまく(ジューって音を立てて机が溶けた)化学系女子などから逃げたり、撃退したりと、どうにかしてきたのだが……うん。

 やっぱり放課後になると大変になった。クラスの連中が目をランランというかギラギラと効果音が出そうなほど輝かせ、どこか猛獣を思わせるような吼え声を発しながら飛び掛ってきたかと思ったら、何も策がないだろうクラスメイトがいきなり長文で語りだしてやっぱり飛び掛ってきた。

 たとえば、

「覚悟せいやチンピラオラァ!」とか、お前がチンピラだろうというようなやつには、そいつのリーゼントをへし折ってかつらを吹っ飛ばしてやり、

「教え子かて容赦はせんぞ馬鹿者ぉ!」とか大人気なく剣道部顧問(弱い)兼クラス担任(てかなんでいんの?)には、心もとないが自分の命の方が大事なので峰打ちで気絶させ、

「やったるでぇ。あんたの脳みそかちわったるでぇ」とか言いながら椅子を投げつけようとしてきた空手部の女子には、ごめん、と心の中で唱えてやはり峰打ちをして気絶させ、

 そのあと襲いかってきた、ナルシスト馬鹿には自信満々なお顔に竹刀を叩きつけ、

 口が悪いが小心者で体力のない男子にはお腹に突きをお見舞いして、

 そして現在。

 僕は大量の女子に囲まれている。クラス内だけの揉め事のはずなのに、違うクラスの女子まで見受けられるのはなぜなのだろうか。

 彼女のファンクラブの女子のうち、我がクラス委員長である胸が悲しい女子が、胸に手を当てながら言う。

「幼馴染さん。覚悟してください。わたくしたちは本気ですので」

 よく見ると、中には妙な液体(ジューってするやつ)を振り回していた子もいる。アレはやばい。逃げるので精一杯だった。

「お姉様の膝が欲しいでしょうけれど、ここはわたくしに譲るのです!」

 いや別に僕は彼女の膝が欲しいわけでも太ももで寝たいわけでもない。どちらかといえばそこらの女子(男子はダメだ)に献上したぐらいだ。

 でも、僕はこれでも剣道一筋十年。武士の精神として、こんなところで負けるわけにはいかないのだ。たとえ相手が女子であろうとも。斬ることはできないけれど。

 ああ、でもこれは絶体絶命という状況だろうか。僕は、軽く五十人ぐらいの女子プラスまだ生き残っていたらしい男子三人ぐらいに囲まれている。隙間なくいるので、逃げることは不可能そうだ。

 ――さーて、どうしたものか。

 時計を見る。今は午後三時五十五分。午後四時まで後五分。さて、どう凌ぐか……。

 僕が考えていると、委員長が腕を組み堂々と宣言をした。

「行きなさい、あなたたち。幼馴染さんを倒すのです!」

 一瞬の沈黙のあと、声高々と猛りに狂った声を響かせた女子と三人の男子が飛び掛ってきた。

 僕は竹刀を中段に構えると、最初に来た男子を峰打ちにして、次に来た液体(ジューってするやつ)を振り回す女子からどうにかして逃げると、その先にいた男子に死なない程度で突きをお見舞いしてやり、女子からはどうにか逃げつつ最後の一人の男子はやはり峰打ちで葬り去る。

 女子しかいなくなってしまった。さて、これからどうしようか。女子はなるべく傷つけたくはない。――そう考えていたとき。

 高く透き通るような声が響いた。

「――終了。ゲームオーバーってところかしら? やっぱり、私の幼馴染を倒す者は現れなかったみたいね」

 堂々と腕を組み立つ彼女が、微笑みながら宣言した。


    ●


 そして教室に戻った僕は、彼女の前に立っている。

 クラスメイトプラス違うクラスの女子が僕たちを囲うようにして罵声を浴びせてくる。

「早く来なさい」

 膝に手をおき微笑みながら彼女が言う。その微笑みはまるで聖母マリアが幼子を寝かしつけるかのように穏やかで、僕は口をきつく閉じた。ダメだ変な笑みがでそう。

 僕はしゃがむと、彼女と同じ目線になる。いつのまにかうるさい歓声らしきものは消え去っていた。そう僕は感じていた。

 生唾を飲み込む。ゆっくりと彼女の膝に頭を乗せた。弾力があり、少し暖かい彼女の温もりが、僕の頬を伝って感じる。

「どうかしら?」

 なめらかな声が聞こえてくる。彼女の顔を眺めながら、僕はをして答えた。

「普通」

 くすくすと、可愛らしい笑い声が響く。

 ああ、彼女が笑っている。どうしてだ。僕がいま変な顔をしているからか。どんな顔をしている。どうしている。ていうか、どうしよう恥ずかしい。なんで他の連中の前で僕はこんなにも恥を晒しているのだろうか。頬が引きつる。彼女の楽しそうな笑い声に、耳がくすぐられる。こんな屈辱、何回目だろうか。


 僕は知っている。彼女の本性を。

 誰も知らない、彼女の本性を。


 だけど僕は、彼女を一目見たときから心を奪われてしまっているんだ。

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