第十八章 作戦変更

 天翔学園高等部の数学教師であり、理事長の小藤弘の腹心の部下でもある蒲生千紘は、自分が危機的状況にある事を悟っていた。

(ボスに試されているのか、私は?)

 千紘は職員室を出て廊下を歩いていたが、その廊下が何百メートルも続いているように感じていた。

「蒲生先生」

 そこへ歩く天然の新堂みずほが追いかけて来た。千紘はどうにかおっとりしたキャラに自分を変身させて振り向いた。

「何ですかあ、新堂先生ィ?」

 小首を傾げて微笑む。するとみずほは、

「はい、忘れ物ですよ。珍しいですね」

 千紘に教科書を手渡した。千紘は顔が引きつりそうになったが、

「ありがとうございますう、新堂先生ィ。助かりましたァ」

 何とかおっとりキャラを維持して応じた。ところがみずほは何故か千紘の顔をジッと見ている。

(何?)

 千紘はギクッとした。みずほは真顔で、

「蒲生先生、何かお悩みでしたら、相談に乗りますよ。あまり力になれないかも知れませんけど」

  そう小声で言い、ニコッとすると、踵を返して職員室に戻って行った。

(疲れる女だ……)

 千紘は引きつった顔で思った。

(道明寺かすみは高等部には来ていない。あの女は森石に会いに行っている。どうする?)

 廊下を進みながら、思案する。だが、いい案が浮かばなかった。

 

 かすみは森石の部屋を出たところだった。

「その蒲生っていう数学教師がサイキックだとして、どうするつもりだ、道明寺?」

 森石が尋ねた。かすみは森石を見上げてから廊下を歩き出し、

「どうしようか、考えているの。ロイドにも意見を聞きたいし」

「あいつもどこまで信用していいのか、ちょっと不安が残るぞ」

 森石はロイドに敵意がないのはわかっているが、彼の真意が理解できないのだ。

「あら、私の中では、ロイドは森石さんより信用できる存在よ」

 かすみはニヤッとして言う。森石はムッとして、

「俺は信用できないって言うのか?」

「少なくとも、ロイドは私のスカートの中を覗いたりしないもん」

 かすみが半目で指摘すると、森石はグッと詰まった。かすみはクスッと笑って、

「それはともかく、ロイドの意見は貴重なのは確かよ。私よりずっとサイキック歴が長いんだし」

「それはそうだが……」

 森石はどうしてもロイドの事が好きになれないようだ。嫉妬なのかも知れない。

「いずれにしても、数学の先生の事はお前に任せる。俺は黒幕を探ってみるよ」

「探るまでもなく、それが誰なのかは見当がついたけど?」

 かすみが誇らしそうに言ったので、森石はギョッとした。

「本当なのか?」

「森石さんに嘘を吐いても仕方がないでしょ?  冷静に考えれば、蒲生先生がサイキックだとわかった時点で思いつくべきだったのよ」

 かすみは再び廊下を歩き出す。森石は腕組みをしてそれに続き、

「一体誰なんだ?」

「天馬翔子が死んでから、高等部に来たのは、蒲生先生と小藤理事長しかいないわ」

 かすみの言葉に森石はあっとなった。

「なるほどな。確かにそれが一番可能性が高い。只、小藤の素性を洗っているんだが、全く何も出て来ない。それはどう考える?」

 森石が真顔で尋ねたので、かすみは笑いを噛み殺し、

「それが理事長の力かも知れない。私達が記憶を弄られたらしいのも、それで説明がつくわ」

 森石は大きく頷き、

「だが、そうだとすると、あまりにも呆気なくわかった気がしないか? 何だか嵌められているような……」

「でしょうね。記憶を操作できるようなサイキックなら、こんな簡単に真相を見破らせたりしないはず」

 かすみも真顔になった。

「敵の狙いはまた私の能力かと思ったけど、どうも違うような気がしているの」

「お前の力を手に入れたいのでないのなら、連中の目的は何だ?」

 森石は腕組みを解いてかすみを見た。かすみは肩を竦めて、

「それは見当もつかないわ。天馬翔子の時と違ってあのテロリストの気配を感じないから、そう思えるだけ」

 森石は溜息を吐き、

「仕方ないな。それなら、もう一度小藤を洗ってみるよ。今度は違う角度からね」

「違う角度?」

 かすみはアンチサイキックである森石を恨めしそうに見た。森石はニヤリとして、

「アルカナ・メディアナの周囲も探らせているんだよ。そっちから何かわかるかも知れない」

 アルカナ・メディアナとはかつてかすみの力を手に入れて、世界のパワーバランスを崩そうとしたテロリストである。

「そうなの。頑張ってね、森石さん」

 かすみはそう言うと廊下を駆け出した。森石は思わずヒラヒラするミニスカートに見入った。するとかすみがいきなり振り返り、

「それから、森石さんだって私の事、『道明寺』って名字で呼んでいるんだから、おあいこだよ」

 微笑みながら、瞬間移動してしまった。

「バカヤロウ、照れ臭くて、『かすみ』なんて名前で呼べるかよ」

 森石は苦笑いして呟いた。


 桜小路あやねと五十嵐美由子は一緒にトイレに行き、洗面台の前で話していた。

「かすみさん、休みなのかなあ?」

 美由子が言った。あやねは首を傾げて、

「蒲生先生は何も言ってなかったからね」

 その二人の後ろの個室にサイキックである片橋留美子が入っていた。

「え?」

 その留美子の目の前にいきなりかすみが現れた。

「きゃっ!」

 留美子は思わず叫び声を上げてしまった。かすみはよろけて留美子に寄りかかってしまい、

「ごめん、留美子さん。移動する時、貴女の事を思い出したので、失敗しちゃった」

「あ、そうなの」

 留美子は顔を引きつらせて笑った。

「どうしたの? 具合が悪いの?」

 留美子の叫び声を聞きつけたあやねがドア越しに尋ねた。かすみはもう一度瞬間移動した。

「何でもないの。ごめんなさい」

 留美子は用を足し終えて個室を出た。あやねと美由子は、留美子がかすみと親しいのは知っているが、彼女がサイキックなのは知らない。


「わ!」

 かすみは今度は席に着いていた勇太の膝の上に現れた。教室中の生徒がその現象に目を見開いた。

(あちゃあ、また失敗した……)

 呆然として自分を見上げている勇太に苦笑いをして、かすみは彼の膝の上から降りた。

「ごめん、勇太君、後で説明するね」

 かすみは小声で言うと、教室を飛び出した。

(やっぱり、この敷地の中だと、力がうまく使えない。以前よりはましみたいだけど……)

 かすみはトイレから出て来た留美子に手招きして、階段の踊り場に行った。

「どうしたの、かすみさん? 何かわかったの?」

 留美子は周囲の目を気にしながら尋ねた。かすみは頷いて、

「横山君を操っていたのは、蒲生先生だったわ。そして、その更に背後にいるのは小藤理事長よ」

 留美子は目を見開いた。


 千紘は理事長室で唖然としていた。小藤に作戦変更を告げられたのだ。

「もう隠さない。全て連中にわかるようにした。すでに第二段階に入ったのでね」

 小藤は理事長の椅子に沈み込んで言った。千紘はハッとして、

「どういうつもりですか、ボス? アルカナ・メディアナとの取引を反故(ほご)にするおつもりですか?」

 小藤は千紘を見上げてフッと笑い、

「私は最初からあんな野蛮人と取引するつもりはないよ」

 千紘は更に驚愕した。メディアナの配下には、たくさんのサイキックがいるのだ。それ全てを敵に回せば、いくら小藤が優れたサイキックだとしても、只ではすまない。彼が何を考えているのか、千紘には理解できなかった。小藤は千紘に背を向けて、

「奴のネットワークを乗っ取りたいから接触したまでだ」

 小藤の狡猾さを知り、千紘は震えてしまった。

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