第十五章 新しい朝
ロイドは突然現れたチャーリーをかすみの家に招き入れ、背中の傷を治療した。チャーリーは出血が多かったせいか、しばらくすると意識を失ってしまった。ロイドはチャーリーを担ぐと、かすみがいる居間に行き、事情を説明した。かすみはチャーリーが気を失ったふりをしているのではない事を予知能力を応用して見抜き、客用の部屋にチャーリーを運んでもらった。
「奴は今、自分の命をつなぎ止めるので精一杯だから、間違っても攻撃はして来ない。心配要らない」
ロイドはチャーリーを見たままで言った。
「それはわかるわ。彼はしばらく目を覚まさないだろうから」
かすみはそれでも、警視庁の森石には伝えようと思い、家の電話から森石に連絡した。
「何だ、お前、家があるのか?」
森石の第一声がそれだったので、かすみはムッとした。それでもそんな事で文句を言っている時間が惜しかったので、事情を説明した。森石はしばらく考え込んでいたが、
「お前の家にそいつがいるのを敵が知ったらやばいだろう? 明日にでも
かすみはそれに同意し、ロイドとチャーリーを運ぶ手筈を話し合い、就寝した。
そして、かすみは久しぶりによく眠れた気がする朝を迎えた。同じ能力者のロイドに、
「いて欲しいのなら残るぞ」
そう言われた時、抱きしめたいくらい嬉しかった。だが、
「いて欲しいけど、お風呂は覗かないでね」
そんな返しをしてしまう自分が情けなかった。結局、ロイドは残ってくれた。もちろん、かすみが入浴している時に覗いたりはしなかった。
「おはよう、ロイド」
かすみが寝間着代わりのTシャツと短パン姿でキッチンに行くと、ロイドが既に起きていたので驚いてしまった。だが、今更どうする事もできない。ロイドは目を細めてかすみを見ると、
「お前、少し太ったな」
かすみはピクンとした。
「太ってないわよ。私、毎日お風呂上がりに体重計ってるんだから」
かすみは口を尖らせて言い返した。しかしロイドはかすみに背を向けて、
「そういう顔をすると、バカな男は喜ぶのか?」
核心を突くような事を言い放った。かすみはそんなつもりで口を尖らせた訳ではないと言いたかったが、完全に否定できない気がして黙ってしまった。
「そういう事言われると、どんな顔をして文句を言えばいいかわからなくなっちゃうからやめてよね」
口を尖らさずに言うのが難しいのに気づき、かすみはやっぱりそうかも知れないと思った。
「ねえ、どうして太ったって思ったの?」
ちょっと気になったので訊いてしまった。ロイドはチラッとかすみを見て、
「俺は一度見た人間の身体のサイズを完全再現できる。だからだ」
「え?」
ロイドの言葉にかすみはビクッとした。ロイドはかすみの感情の揺れを見逃さなかった。
「やはり思い当たる事があるのだな?」
そんな突っ込みをされると思わなかったので、かすみは赤面してしまった。彼女はモジモジしながら、
「具体的にどこが違っているの?」
自分で身体のラインを確認しながら尋ねた。するとロイドは冷蔵庫のドアを開きながら、
「そんな事がわかる訳がないだろう。お前も能力者なら、できる事とできない事くらい見破れ」
身も蓋もない事を言ったので、かすみは唖然とした。
(からかわれていたの、私?)
でも、不思議と腹は立たなかった。ロイドがこの家に初めて来てくれた客だったからだ。
「何だ、私の身体に興味があるのかと思ったら、違うのね」
かすみはニヤリとしてロイドの顔を覗き込んだ。ロイドは冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、
「日本にはこんな容器に入った牛乳しかないのか?」
話題を逸らそうとしたのか、そう言った。かすみは肩を竦めて、
「ええ、そうね。瓶入りの牛乳は高いのよ」
ロイドの手からパックを奪い取り、グラスに並々と注ぐとゴクゴクと飲み干した。ロイドはそんなかすみを無感情な瞳で見ていた。
二人は食事をすませ、出かける準備をした。そして、チャーリーが眠っている客間に赴き、目を疑った。
「どういう事なの?」
かすみはチャーリーを見て呟いた。彼は首があらぬ方向にねじ曲げられ、手首、肘、膝の関節が逆に曲げられた状態で絶命していたのだ。ロイドも無感情でいられず、ガラス玉のような目を見開いている。二人は、チャーリーに何かあるといけないので、仕掛けを施していた。瞬間移動等でチャーリーに近づく者を撃退するために部屋の床一面にガラスの破片をばら撒いたのだ。勿論それだけで防げるとは思っていなかったが、少なくとも侵入者がいれば感じないはずがないと踏んでいた。ところが、敵は二人に気取られる事なく、チャーリーを「始末」してしまったのだ。
「これは何の能力だ? サイコキネシスなのか?」
ロイドの額に汗が滲んでいる。かすみはロイドの問いかけに応じる事ができない程狼狽えていた。
「カスミ、森石に連絡しろ。今日の予約はキャンセルだとな」
ロイドは呆然としたままのかすみの背中をポンと叩いた。かすみはハッと我に返り、
「そ、そうね」
電話に近づいた。
(それにしても、一体どうやってこんな事をしたのだ? 誰もこの家に入って来た形跡はない)
ロイドは眉間に皺を寄せて考え込んだ。
天翔学園高等部の理事長室で、小藤弘は回転椅子に身を沈めて寛いでいた。
(愚かな男だ。私に忠誠を誓いながら裏切ろうとするとはな)
小藤はチャーリーが死んだ事を知っている。というより、彼がチャーリーを殺したのだ。
「さて、どう動く、道明寺かすみ?」
小藤は立ち上がって昇る朝日が照りつけている窓のブラインドを上げ、目を細めて外を見た。
「次は道明寺と同じクラスの風間勇太を使うのが一番かと思われます」
数学教師でもある蒲生千紘は、チャーリーの哀れな末路を感じ、震えながら進言した。彼女は決してチャーリーが殺された事に感情を動かされたのではない。小藤の計り知れない能力でチャーリーが死んだのを恐れているのだ。
(私もいつ殺されるかわからない……)
千紘の背中に冷たい汗が流れ落ちた。
「今度は別のアプローチをしてみようか、千紘」
小藤はブラインドを下ろして振り向いた。その目がギラッと光ったような気がして、千紘は身じろぎ、
「別のアプローチ、ですか?」
顔を引きつらせながら、鸚鵡返しに尋ねた。小藤はまた椅子に沈み込み、
「そうだ。ターゲットにお前を疑わせ、それをかすみに言わせるのだ」
千紘はその作戦に戦慄した。
(しくじれば、切られる……)
退路を断たれた彼女には、もう失敗は許されなかった。
「そうならないように最善を尽くせ、千紘」
千紘の思考を見透かすかのように小藤が言った。千紘は泣きそうになった。
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