第七章 かすみ危機一髪

 かすみは想像以上に強い力で押さえ込んで来る横山が、何者かに操られていると気づいた。

(誰なの? 誰が?)

 かすみは鼻息を感じる程顔を近づけている横山の狂気に満ちた目を見て考えたが、どうしても思い浮かばない。

(これも、何者かの力のせいなの?)

 天翔学園大学に進学した手塚治子の言葉を思い出した。かすみの力はその何者かによって制御されているらしいのだ。

「ごめん、横山君!」

 かすみは何の罪もない横山に謝罪し、右膝で彼の股間を思い切り蹴り上げた。

「ぬぐおお!」

 操られているとは言え、その衝撃に横山の動きが停止した。

「えい!」

 かすみは横山を押しのけ、机から起き上がった。

「まだ早いよ」

 その様子を扉の向こうで察知した蒲生千紘がニヤリとすると、あちこちの机の中から細いロープがまるで蛇のようにのたくりながら飛び出して来た。

「え?」

 予想もしない現象にかすみは対応しきれず、両手首と両足首を縛られ、そのまま引き摺られて教壇にくくり付けられてしまった。

「くう!」

 手首と足首を強く締めつけられ、かすみは顔を歪ませた。

(これも能力者の仕業なの? 横山君を操りながら、ロープを使ってこんな事ができるなんて……)

 かすみは正体がわからない敵に戦慄した。背中を汗がつたうのがわかった。

「痛いじゃないか、かっすみちゃあん」

 横山はいつもの口調ながらその顔は全く普段の彼とは違っている。彼は舌舐めずりしながらかすみに歩み寄って来る。

(瞬間移動を……)

 かすみは頭の中で教室の外をイメージしたが、何も起こらなかった。

「そんな……」

 力を押さえ込まれているかすみは、普通の女子高生と何ら変わりはない。

「かっすみちゃあん、もう大人しくしてよお。俺も、君を傷つけたくはないんだよお」

 横山はニヤニヤしたままでかすみのブラウスのボタンを外しにかかった。

「いや、やめて、横山君、お願いだから……」

 かすみは今まで数えるくらいしか泣いた事がない。今がその時だった。彼女の切れ長の目から涙が零れ落ちた。だが、横山は止まらない。遂にかすみはブラウスのボタンを全て外されてしまった。はち切れそうなブラはブラウスと同じ桜色。横山はそれに鼻を寄せ、匂いを嗅いだ。そして、恍惚とした表情になる。

「いい匂いだよお、かっすみちゃあん。惚れ直しちゃうよお」

 横山は顔を背けたかすみの顎を掴んで引き戻して言った。かすみは歯を食いしばっていた。

「まずはその桜桃さくらんぼのような唇から味わおうかな」

 横山の唇が突き出され、かすみの艶艶つやつやした唇に近づく。

「ううん……」

 横山は唇が接触する寸前に目を閉じた。かすみはその隙を見逃さなかった。

「ぐがが!」

 突き出された横山の唇に思い切り噛みついたのだ。その時、横山の背後にいる人物の顔が微かに見えた。

「誰!?」

 千紘はかすみに正体を見破られそうになったので慌てて横山との繋がりを解除した。

(今日はこれくらいにしておくわ、道明寺かすみ)

 千紘は不敵な笑みを浮かべ、廊下を去って行った。

「いででで……」

 千紘の支配から解放された横山は、どうして自分の唇の周囲に激痛が走っているのか理解できなかった。

「横山君、大丈夫?」

 自分で噛みついたのだが、横山自身には全く責任はないので、かすみは彼を心配して声をかけた。

「あで、かっすみちゃあん、どうしてそんな格好をしてるの!?」

 痛みよりもかすみの衝撃の姿に驚愕した横山は目を見開いていしまった。

「説明は後で。恥ずかしいから、早くロープを解いて……」

 顔を赤らめて告げるかすみを見てキュンとしてしまった横山も顔を赤くして、

「りょ、了解」

 俯き加減で教壇の反対側に回り込み、ロープを解こうとしたが、堅く結ばれているためにどうする事もできない。

「ちょい待ってて、かっすみちゃあん」

 横山は教室を飛び出していった。

「ああ……」

 かすみはその間に誰かが来たら困ると思ったが、彼は予想以上に早く戻って来た。幼馴染みの五十嵐美由子を伴って。

「かすみさん、どうしたの? このバカがやったの?」

 否定も肯定もできない事を訊かれ、かすみは苦笑いするしかない。

「バカ言うな、俺は女の子にこんな事をするような男じゃないぞ!」

 横山がムッとして言い返す。美由子は頷き、

「そうだね。あんたはスケベだけど、乱暴じゃないからね」

 妙な納得の仕方をする。そして、持って来たはさみで横山がロープを切り、美由子がかすみのブラウスのボタンをはめた。

「かすみちゃん、何があったんだ?」

 そこへ風間勇太と桜小路あやねも入って来た。かすみは手首のロープを解きながら、

「ちょっとね」

 チラッと横山を見た。勇太は横山を見て、

「あれ? お前、口の回り、どうしたんだ? 血が出てるぞ」

 横山は首を傾げて、

「俺にもわからないんだ。気がついたら、ここにいて、かっすみちゃんが縛られてたんだ」

 勇太はあやねと顔を見合わせた。あやねはかすみを見て、

「また何かあったの、かすみさん?」

 眉をひそめて尋ねた。かすみはロープを解き切ると、

「事情は後で説明するね。それより、横山君、保健室に行こうか」

 その言葉に横山は何故か顔を赤らめた。

「かっすみちゃあん、大胆なんだからあ」

 クネクネする横山の頭を美由子が容赦なく拳骨で殴った。

「あんたが怪我してるからだよ!」

 そして、心配なのか、

「私が連れて行くよ、かすみさん。こんな奴と保健室になんか行ったら、何されるかわからないよ」

 すでに何かをされそうになった事を言えないかすみはまた苦笑いし、

「横山君が怪我をしたのは、私のせいなんだ。だから、私が連れて行くよ、美由子さん」

 そう言われてしまうともうそれ以上何も言えない美由子は、仕方なく引き下がった。

「そ、そうなんだ。じゃあ、頼むね」

 かすみはあやねと勇太に目配せして、教室を出た。


 廊下を進み、もうすぐ保健室の着く頃になり、

「ごめんね、横山君。その傷、私が噛みついてできたんだよ」

 かすみが詫びた。それを聞いて横山は卒倒しそうだ。

「か、かっすみちゃあんに噛みつかれたの、俺?」

 何故か嬉しそうなので、かすみは引いてしまった。

「騒がしいぞ。早く入れ」

 何かを察したように保健室の扉が開き、中からそこの主である中里満智子が顔を出した。

「うん? 横山、お前誰に噛みつかれたんだ?」

 外科医でもある中里は横山の傷を見るなりそう尋ねたので、かすみと横山は顔を見合わせてしまった。


 全ての事情を知っている中里に、かすみは事の真相を説明した。横山は驚きのあまり目を見開いたままで動かなくなってしまった。

「そうか。取り敢えず口を消毒しろ、道明寺。横山のアホ菌に感染しないようにな」

 中里の嫌味に横山はようやく我に返り、

「酷いっすよお、中里先生。俺、アホ菌なんて持ってませんよお」

「じゃあ、スケベ菌か?」

 中里はうがい薬を入れたコップをかすみに渡しながら更に追い討ちをかけた。

「でへへ、それは否定できないかも」

 ヘラヘラ笑う横山だが、

「かっすみちゃあん、ごめえん。許して」

 手を合わせてかすみに謝罪した。かすみは微笑んで、

「仕方ないよ。横山君は操られていたんだから」

「優しいんだね、かっすみちゃあん」

 横山は泣き真似をした。中里は横山のパフォーマンスを無視して、

「またこの学園に何か起ころうとしているのか、道明寺?」

 かすみは洗面台で含嗽うがいをすませて、

「多分。今度は外にも敵がいるのでちょっと厄介かも知れません。森石さんも狙われていますし」

 思わずそう言ってしまってから、あっと小さく叫んだ。中里の顔が微かにピクンとするのがわかった。

「森石さん?」

 普段は本当に女なのかと思うような言動の中里であるが、森石の名前を聞いた途端、ほんの一瞬信じられないくらい乙女な顔をしたのをかすみは見た。

「そうか。連中の狙いは何なんだ?」

 中里は森石の名に反応してしまった自分が恥ずかしいのか、咳払いして尋ねた。かすみは、

「恐らく私です」

 その答えに中里と横山はギクッとした。

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