5

   五


 気付けば私は、ちょうど師の御宅を出るところであった。

 懐に硬いものを感じ、取り出してみればそれは恩師の面であった。振り返った視界を門戸が遮り、人の住んでいるとは思えないほどにその空気は硬質であった。

「お迎えに上がりました」

 雪が降っていた。今朝はそんな兆しもなかったのに、それは用意されたかのように視界も効かぬほど吹雪いていた。庭先に二本の傘を抱えて、椿が立っていた。

 彼女は傘を少し持ち上げて、私を見上げた。

「ありがとう」

 初めて見せるその顔はよく覚えのあるものであった。しかしついに、どこで見覚えたのかさえ思い出せず、私はただ傘を受け取る。

 自然と彼女の手を取って、二人で歩き出した。

「懐かしいお話をなされたそうですね」

 土の上にうっすらと積もる雪に下駄の跡ばかりが残る。椿はもう必要がないからとでも言わんばかりに、顔を隠すこともせずこちらの瞳をじっと見通した。

「得意の占いかい」

「お祖父様に聴きましたわ」

 私はその顔にあの娘の面影を思い起こす。悲しいほどに感情を失くした哀れな娘を。その顔が私の前で微笑むのを目の当たりにして、不意に感情が昂り喉を鳴らす。誤魔化すように尋ね返した。

「仲が良いんだね」

「そうかも知れません」

 重ねたばかりの手が冷たく震えた。そっと思いやるように握り返され、私ははっとして彼女の方を見てしまった。

「泣かないで下さい」

 果たして悲しげに見返された私の両眼は涙を流していた。気付かぬほど静かに。雪よりも優しく。ただ私は悲しみを思い返して泣いていた。

「母はあなた様に救われたのです」

 憑き者。すなわち人と怪異の間の子は目も耳も効かず、心さえ持たずに産まれてくることがある。私はかつて、そんな人形のような少女に恋をした。

「私はまたあなた様の傍らにいられることがただ嬉しいのです」

 あるいはそれは寄生であるのかもしれない。不死である怪異に対して生殖の概念は至極曖昧だ。人の伴侶を媒介に同一の怪異が子孫代々にまで人として寄り添うばかりであるのかもしれない。

 ただ隣にあるばかりなのかもしれない。

「私はあなた様に恋を致しました」

 怪異に憑かれるとは、案外こんなものなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

椿 言無人夢 @nidosina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ