アイデンティティホリック
「今度こそ上手くいくと思ったのに……、嘘つき……」
「ワタシは一体どこにいるっていうのよ。」
高島千景は、いつものように天井に向かって語りかけた。高島千景が寝ている周囲には様々なオンリーワン商品が転がっていた。寧ろ、オンリーワン商品の海の中に彼女が漂っていると言った方が正しいかもしれなかった。彼女が購入したオンリーワン商品は数知れず、質屋やフリマアプリで手放したものもあったが、思い入れのあるものや買い手のつかなかったものが上回り、彼女の部屋を埋め尽くしていた。彼女の部屋には、脚色抜きでオンリーワン商品しかなかった。
しかし、どのオンリーワン商品も高島千景を助けてはくれなかった。オンリーワン商品は、一時的に高島千景の気分を高揚させ、自信を与えてくれたものの、その効用は長く続かなかった。効用が切れると、高島千景はアルコールやタバコの中毒者と同じように言いようのない不安や焦りに苛まれた。こうして高島千景はオンリーワン商品を次から次に買い漁ったのだった。いつか来る本当のワタシの発見を信じて。
他の人がそうであるように、オンリーワン商品の購入は高島千景にとっても簡単な行為ではなかった。オンリーワン商品の値段はピンキリで、千円台から購入できるものも存在したが、オンリーワン商品の特性上、同じものが一つとしてあってはならないので、十万円以上することがほとんどだった。高島千景は高給取りではなく、一般的な会社員だったので、そんな高級品を頻繁に買うことは難しかった。最初は貯金を切り崩し、貯金がなくなってからは会社に内緒で夜の街で副業し、それでも足りなくなってからは消費者金融にお金を借りて商品を買い続けた。
気づけば高島千景は、返済困難な借金を抱え、首が回らない状態になっていた。身の回りにあるオンリーワン商品をすべて手放せば幾ばくかの足しにはなるだろうが、高島千景にそれをするだけのモチベーションはなかった。借金を返済できたとして、その先に何があるのだろうか。求めていたワタシらしい生き方を見つけられずにいるのに、どうして借金を返済する必要があるのだろうか。高島千景にとって、借金は社会的に重大な問題であったが、個人的に取るに足らない問題だった。ワタシを手に入れることこそが高島千景にとっての最重要課題だった。
「もう……疲れちゃったな。」
オンリーワン商品の海を漂いながら、高島千景は嘆いた。最後の望みであった高坂も高島千景の願いを叶えられないとわかって、高島千景は生きる気力を失っていた。これまで、身を粉にして働き、オンリーワン商品を買い続けてきたが、それを続けるだけの気力は朽ち果てていた。今思い返すと、どうしてそこまで必死になれたのか、本人にもわからない状態になっていた。
「私は、ワタシって何かを知りたかっただけなのに。」
高島千景が求めていたのは自分だけの固有性だった。誰かの代替可能ではないワタシにしかできないこと、ワタシにしかない魅力を知ることが必要だった。そうでなければ、私が生きている意味を見いだせない。代替が効く存在なのであれば、私はそこにいなくても構わない。この世界に私の居場所がなくなってしまう。この世界に私の居場所がないのであれば、生きていくことはできないし意味も感じない。高島千景は、そう考えていた。
「あの販売員、何を売ってくれるのかと思ったら、ただの手鏡なんてね。本当にフザケてる。」
高島千景は、そう言って高坂から購入した手鏡を手にとった。高坂は「どんな宝飾品よりも、千景様を正しく映えさせる一品です。」と言っていた。高島千景は、それを聞いて、なにか特別な効果のある鏡なのかと思ったが、凝った意匠の枠中に円形の鏡が入った手鏡でしかなかった。高坂は美辞麗句を並べるのが上手かった。彼を持ち上げる世の人達は、その尤もらしい言葉に騙されて彼を称賛しているだけなのではないかと、高島千景は推測した。だからこそ、藁にもすがる思いであてにした人物がそういう人間だったことに絶望するとともに憤慨し、クレームを入れたのだった。
「そういえば『困ったときはいつでも、この鏡を使ってみてください。』と言ってたな。」
高坂の言葉を思い出し、高島千景は寝たまま鏡を自らに向けた。鏡には、青黒く深いクマがある酷く疲れた女性の顔が映っていた。
「ははは、酷い顔…。私ってこんな顔だったっけ?毎日化粧の時に見てるはずなんだけどな。」
自らの顔が余りに酷い有様だったので、高島千景は思わず笑ってしまった。そんな笑った顔も、暫く笑っていなかったからか、引きつってギコチない笑顔になってしまっていた。
「顔引きつりすぎでしょ。録に笑顔にもなれないのかよ。今の私は。」
そう自虐的に突っ込むと、高島千景は急に涙を浮かべた。さっきまで引きつった笑顔をみせていた鏡の中の自分がどんどんクシャクシャの顔に変わっていった。
「これが今の……本当の……私だって言うの? こんな疲れ切って、笑顔さえ作れなくなってるこの女が私だって言うの? 私だって、私なりに精一杯やってきたのに……。その結果がこれだって言うの? 私はただワタシだけのものが欲しかっただけなのに、それすらも高望みだったってこと?」
高島千景は、鏡の中の自分に向かって怒った調子でそう問いかけた。顔は既に涙でグシャグシャになっていた。鏡の中自分の顔が醜く不細工になればなるほど、高島千景は、それが本当の私なのだという事実に悲しくなった。
「別に大金持ちになろうとか、周囲からチヤホヤされようとか思ってたわけじゃないのに! ただ……ただ……」
そこで、高島千景は言葉に詰まった。私が欲していたワタシとは一体何だったのだろうと。私は私であることが嫌だった。一般人Aのような、モブキャラクターにしか見えない人生が嫌だった。そんな人生が嫌だったから、ワタシを求めてオンリーワン商品を買い漁った。始めは高額なオンリーワン商品を身につけるとドキドキした。身の丈にあっていないように見えたらどうしようとか、折角の商品に傷がついたらどうしようとかそういった心配をしながらも、周囲からも羨ましがられる特別なものを私は持っているという高揚感は何ものにも代え難かった。その高揚感を持続させるためとはいえ、オンリーワン商品の購入資金を工面するために、会社に内緒で夜の街に飛び込んだのもまたドキドキした。一般人Aの私が、こんな大胆なことをしていいのかとか、録に交際経験もない芋っぽい私が相手にされる世界なのだろうか、といった不安と興奮の入り混じった感覚は今でも忘れることができない。初めて消費者金融にお金を借りたときもドキドキした。金利のバカ高い借金なんて誰がするのだろうと馬鹿にしていた行為を自ら始めてしまう恐怖と絶望は非常に衝撃的で言いようのない感覚だった。私がドラマや漫画のような転落を体験するなんて夢にも思わなかった。こんなことなら一般人Aでいた方が良かったのではないかと思いながらも、闇に向かって足を踏み出していくのを止められない自分がいた。思い返せば、一般人Aにしか見えない人生が嫌で始まったこの行為は既に目標を達成していた。私は、あの時に求めていた私でないワタシになれていて、今はまたワタシではない〈ワタシ〉になりたいと願っているのだ。でも、その願いすらも叶ってしまっている。オンリーワン商品中毒になり借金で首が回らなくなった見るも無残な女性である〈ワタシ〉になれたのだから。
「そっかぁ……。アハハハハ……。そっかぁ……」
高島は、その事実に気づいてしまい、乾いた笑いを浮かべた。
「ワタシらしさなんて求めるんじゃなかった。そんな何の価値もないものを求める必要なんてなかった。」
高島は、手鏡をそっとオンリーワン商品の山に置き、目を閉じた。彼女の表情は、憑き物が落ちたかのように穏やかになっていた。彼女は、目を瞑りながら、オンリーワン商品に囚われ転落した数年間を思い返していた。それらの日々は、理想とはかけ離れたものだったが、かけがえのないものだった。凡人が何の考えもなく行動した結果としては妥当な結果だったと思った。
高島は重たい体を起こし、窓の外の景色を眺めた。夕暮れを過ぎて、外は暗くなり始めていた。今日も出勤日だ。そろそろ身支度をしなければならない。
「それじゃあ、どうしようかな。」
高島は、暗くなっていく景色を前に、そう呟いた。
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