アイデンティティセールスマン

東栄とうえい百貨店社員食堂。東栄百貨店のオンリーワン商品の販売員である高坂利文こうさかとしふみは、社員食堂で一人昼食を食べていた。束の間の休息をとる高坂だったが、その休息も長くは続かなかった。


「高坂さん、またなんてことしてくれたんですか‼︎」


 男性の叫び声が社員食堂に響き渡った。叫び声の主は、昼食をとっている高坂に向けてずんずんと歩いてき、高坂の前の席にどかっと座った。高坂は、その声の主に多少うんざりしながら応えた。


「なんてことって、俺はお客様が欲しい物を、お客様との同意をもって提供しただけだが。」


 高坂の回答に、男はイラつきを隠せないようだった。というのも、男が高坂とこのやりとりをしたのは一度や二度ではないからだ。


「ふざけないでください。あなたはいつもそうだ。お客様のためとか、同意はとったとか言っていますが、あなたのやっていることは詐欺と同じですよ。」


 話が長くなりそうなことを察して、高坂は一度箸を置いた。


田園たぞのよ。俺は、何度その問答を繰り返したらいいんだ? そもそも、お前は俺の後輩なんだが……」


 彼の名前は、田園健明たぞのたけあき。高坂と同じく東栄百貨店のオンリーワン商品の販売員である。三八歳の高坂に対して、田園は二六歳。高坂は、一回りも若い部下から、いつもこのように説教を食らっているのだった。とは言っても、田園の高坂に対する説教は、田園の礼儀作法がなっていないからというわけではなく、顧客に対する誠実さと業務への真摯さの表れであったので、高坂は心のなかで田園のことを好意的に受け止めていた。もちろん、昼食の時間に割って入られるのは、心地の良いものではなかったが。


「あなたがあなたのやっていることを詐欺だと認めるまで続けます。それに、先輩後輩は関係ありません。これは、お客様との信頼関係、社会倫理の問題です‼︎」


 そう熱く語る田園と、じょじょに冷めていく昼食を交互に眺めて、高坂は「ふぅ。」とため息を付いた。


「何度も言っているけどな。社会的価値、すなわち金銭的に同価値なものをお客様に提供するのか、個人的価値、すなわち満足度的に同価値なものをお客様に提供するのか、それだけの違いだろう。どっちがいい悪いとかはない。少なくとも俺が実際にお客様から何も不満を言われていないんだから、その点では問題ないはずだが。」


 高坂は、もう何度目かわからない自身の主張を田園に投げかけた。一方、田園は、またその話ですかという感じで、「はぁ。」とため息を付いた。


「何度もいいますけど、私たちは東栄百貨店の社員で企業の一員として働いています。そこでは社会的な価値をもっと大事にすべきです。それに、あなたのやっていることは、結果的に上手く言っているから問題ないだけで、もし一度でも問題を起こせばどうなりますか。あなたが絶対にお客様を満足させられるとは限りません。高坂さんの商品選びのセンスは天才的ですが、それを東栄百貨店の社員としてやられたら困ります。」


 もう何度聞いたかわからない田園の論理を聞き、高坂は田園の真っ直ぐな態度に敬服したが、それでも高坂は田園にいつも通りの持論を展開した。


「まぁ、それはその通りだ。俺も神様じゃない。ただ、お前もオンリーワン商品の存在が一部で社会問題化しているのは知らないわけじゃないだろう? オンリーワン商品は、タバコやコーヒーなんかの嗜好品と同じだ。高揚感を求め、自身が満足できるまで買い続ける。寧ろ、麻薬の方が近いかもしれない。お客様は、あるかもわからない〈自分に合った〉商品を探し続ける。お客様が購入したい商品をその通り販売することは重要なことだ。しかし、それでお客様が不幸になるのならば、本末転倒だ。独善的かもしれないが、お客様にはお客様にあった商品のみを受け取ってもらったほうがいい。そうだろう?」


 田園は、高坂の持論を飽きもせず、きちんと聞き終えた後、高坂に反論した。


「だから、それならば個人販売員なりなんなりなってください。東栄百貨店の販売員名義で商品を販売されると、それは東栄百貨店全体の総意だと思われます。それくらい、高坂さんもわかっているでしょう? 高坂さんは、崇高な理想と天賦の才能に酔っているだけなんです。物語の中なら、トラブルを起こしたとしても、ご都合主義的に大団円を迎えるでしょうが実際はそうではありません。リスクマネジメント、中長期的な立場での物の見方をしないといけません。企業に属する人間ならば特にそうです。」


 田園は、若い社員としては非常に芯が通っており、オンリーワン商品を売る側には珍しく全体主義的な思考の持ち主だ。高坂は、田園の燃えるような瞳の輝きを見ていると、そのまま投了してしまいたくなった。田園の言うことは全面的に正しかった。高坂は、自分が自分の考えに固執し、勝手気ままに行動しているに過ぎない人間であることをわかっていたし、改めるべきだとも気づいていた。しかしながら、今更自分の生き方を素直に変えられる強さを自分が持っていないこともわかっていた。だからか、こんな駄目な自分だからこそ、人格者である田園の役に立ちたいと思っていた。


「俺は、オンリーワン商品の危険性を消費者と販売者に対して警鐘をならすべく、東栄百貨店にいるんだが……。まあ、後付けの理由に聞こえるだろうな。予言しておくなら、オンリーワン商品は、ここ二、三年で駄目になるだろう。今は悪徳な販売店に対してしかないが、東栄百貨店もいずれお客様に訴えられる。東栄百貨店は裁判には勝つだろう。俺達は特に何も悪いことはしていないからな。だが、オンリーワン商品には問題があるという風潮は一気に広がっていく。自然とオンリーワン商品を売る店は金儲けをしたいだけと言われるだろう。それだけ、オンリーワン商品に対するクレームの数が増えてきているんだ。ネットで共感する人に呼びかければ、すぐに人が集まるくらいにはね。東栄百貨店は、誠心誠意を込めて、お客様に満足してもらえる商品を提供しようとしている。それは間違いない。でも、それだけでは足りないと言われ、レッテルを貼られたらどうする。」

「何度やっても同じ議論を繰り返すだけですね。」


 いつもならば、尚も反論してくる田園だったが、今日の彼の行動は少し違っていた。田園は、スーツの胸ポケットから一つの折られたプリントを取り出すと、高坂の前に広げた。


「私と高坂さんのどちらが正しいのか、お客様に決めていただきましょう。」


 高坂が田園の指さした先を見るとそこには、コールセンターに送られてきたクレーマーの顧客情報が書かれていた。


「これは?」

「今度、僕が対応することになったお客様です。弊社で購入したオンリーワン商品に満足ができないとのクレームです。この方に対して、私と高坂さんの二人が互いに代替となるオンリーワン商品を紹介し、お客様にどちらかを代替品として受け取っていただく。もちろん、高坂さんには、代替品の値段をお客様に伝えてもらいます。」


 いつになく挑戦的な田園に高坂は苦笑いした。お客様を私的に利用するなとも言いたかった高坂だが、あくまでお客様と東栄百貨店のためにどちらがよいかをきちんと決めようとすることのみに熱意を燃やす田園を見ていると、それも無粋のように思えてやめた。


「いいだろう。田園、お前の気が済むならな。」


 高坂が勝負を受けることがわかって、田園はパッと笑った。


「これで、私が勝ったら高坂さんは、これから勝手な行動は謹んでください。私が負けたら、私は今後高坂さんの行動に文句は言いません。」


 田園は、それだけ言うと高坂の返事を待たず昼食を取るために社員食堂のカウンターに並び始めた。高坂は田園の温かい昼食を羨みながら、冷めかけの昼食に手をつけ始めた。



 次の日、高坂と田園はそろってクレーマー宅に向かった。クレーマーの名前は、高崎たかさきみなみ、三四歳のOL。クレーム内容は、 よくある「購入したオンリーワン商品が他の商品と似ていて、しかも、それに比べて品質が劣っている。」というものだ。こういう客の多くは、自分が購入した商品と他人が購入した商品を比較してみて、相手のものの方がいいと思ったときに、自分の商品の粗を探し始める事が多い。自分のオンリーワン商品の欠点を必死に探して、それが見つかれば返品なり交換なりのクレームを店側にする。高崎みなみのクレーム内容もまた、そんな他の客のパターンに似ていた。田園は、自分が選んだ代替商品の紙袋をギュッと握りながら、高坂に高崎みなみの性質を分析した結果を説明した。


「オンリーワン商品を購入するお客様は自信のない方が多い。だから、隣の芝生は青く見えてしまうんでしょうね。彼女の購入した商品は十分素晴らしく、他の方が購入した商品と大差ないとは思うんですが……」

「そうだな。しかも、この手のお客様は代替品を用意して受け取っていただいても、しばらくするとまた同じクレームを繰り返す傾向がある。こういうお客様は、きっかけを見つけられていないんだろう。オンリーワン商品を購入することで自分が変わると思っていたのに、その変化が見えてこない。だから、オンリーワン商品が偽物なんじゃないかと思ってしまう。」

「悲しいですね。オンリーワン商品を購入することできっかけを掴んでいるのに、それに気付けないなんて……」


 田園が本当に悲しそうな顔をしているのを見て、高坂は少し嬉しそうだった。


「ここですね。」


 携帯電話で顧客情報と現在地を照会しながら田園が言った。そこは最近建てられた賃貸マンションのようだった。高坂は、あごをさすりながら住んでいる賃貸マンションから高崎みなみの人となりを分析してみせた。


「いいところに住んでる。お客様は結構やり手みたいだなぁ。実力はある。きっと会社でも評価されているだろう。それなら、何が彼女を不満にさせるのか……」


 高坂は敢えて田園に聞こえるように言った。田園は、高坂の独り言が自分に向けられているのに気づき、応えた。


「考えられるのは結婚関係の問題。高崎さん仕事ができて一人でも暮らしていける経済力を持った方です。なのに、結婚適齢期になっても中々結婚の話が見えない。そのことに焦っている。または、仕事ができすぎることで社内で浮いてしまい、孤独を感じているというところですかね。」


 田園の分析に、高坂は満足そうにニコッと笑った。


「そんなところだろう。それじゃあ、一つ勝負と行きますか。」

「そうですね。絶対に私の商品で満足させて見せます。」


 田園と高坂は、高崎みなみ宅のチャイムを鳴らした。


「はい?」


 インターホンから、高崎みなみであろう女性の声で返事が返ってきた。


「東栄百貨店の田園と申します。先日、ご連絡していただいた件で参りました。」


 田園がそう言うと、高崎みなみは「ふぅ。」と一つため息をついて答えた。


「……少々お待ち下さい。ガチャッ。」


 インターホンが切れると数秒ほどして高崎みなみが扉を開けた。高崎みなみは、オーバル型のセルフレームの眼鏡をかけた鋭い目付きの女性で、一見しただけでできる女性といった雰囲気を醸し出していた。来客があるとはいえ、休日であるのにしっかりとした化粧をしており、髪も綺麗に編み込まれて左肩に垂れていた。おそらく、普段仕事をするときもこのようなスタイルなのだろう。


「お休みのところ申し訳ありません。私、オンリーワン商品販売担当の田園と申します。」

「同じく、オンリーワン商品販売担当の高坂です。」

「高崎です。どうぞ、おあがり下さい。」

「「失礼します。」」


 田園と高坂は高崎みなみの後について家に入った。二人は、玄関に入ってまず彼女の几帳面さに感心した。田園が来るとわかっていたとはいえ、一人暮らしなのに玄関まで掃除が行き届いており、必要以外のものは全て綺麗に隠されていた。廊下やリビングに入ってもそうだ。家内はモデルルームのように装飾や家電、家具の傾向が統一されていた。丸みを帯びたパステルカラーの家具類が女性らしさを感じさせたが、どこか無機質さを感じさせる家だった。


「どうぞおかけになってお待ち下さい。今、お茶の準備をしますので。」

「いえ、お気遣いなさらなくても結構ですよ。」


 高崎みなみは、慣れた手つきで来客用の湯のみを用意すると、二人にお茶を注いだ。茶の注ぎ方も作法に沿ったもので、その上品さに二人は感心させられた。


「どうぞ。」

「「ありがとうございます。いただきます。」」


 田園は、お茶を一口飲むと早速本題に入った。高坂は、お茶を口にしながら田園の様子を静観した。


「今回は、高崎様が弊社で購入したオンリーワン商品が、他社の商品と類似しているとお聞きして参りました。申し訳ありませんが、確認のため、購入した商品と類似した商品を、それぞれ見せていただけますか。」


 田園がそう言うと、高崎みなみは化粧箱からネックレスを取り出し、机においてあるノートPCでWebページを表示させた。


「先日、私が購入したのが、このネックレスです。そして、このWebページで通販されているのが、このネックレスに似たネックレスです。」


 田園と高坂はネックレスとWebページに表示されているネックレスを見比べた。確かに、使用されている宝石が同じなので、似ているようにも見えるが、宝石の配置やデザインは違っており、この程度で似ているとしてしまえば、どんな商品でも世の中に一つは似ている商品が見つかってしまうと感じた。二人は、そんな考えを高崎みなみに悟られないように熱心な様子で二つの商品を交互に眺めた。そして、それを数回行った後、田園は落ち着いた様子で高崎みなみに答えた。


「確かに、使用されている宝石が同じですので似ていますね。私共もオンリーワン商品と謳って販売している以上、お客様に満足してもらえる商品をお届けしたいと思っています。つきましては、返金か同等の商品に交換する形で対応させていただきたいと思うのですが。いかがでしょうか。」


 田園の言葉に、高崎みなみはホッとしたようだった。彼女自身、似ていないと言われるかもしれないと思っていたのだろう。商品が高額だからこそ、妥協することができず、連絡したように見えた。


「あの……。返金はわかりましたが、同等の商品というのは……」


 高崎みなみの発言に高坂が答えた。


「私共が高崎様に合わせた商品を見繕って参りましたので、それを見て高崎様が気に入る商品がありましたら、その商品をネックレスと交換する形になります。」

「なるほど。」

「では、とりあえず、私共の提案する商品をお見せしたいと思います。」


 高坂がそう言うと田園の瞳が輝いた。高坂と田園の勝負が始まった。

 まず、田園は自身のカバンから慎重にジュエリーケースを取り出し、高崎みなみの前に置いた。


「まずは、私の方から紹介させていただきます。この商品は、高崎みなみ様が購入されたネックレスと使用されている宝石は同じですが、有名なフランスのジュエリーデザイナーによってデザインされた独創的なネックレスです。デザインが特徴的ですので、先ほどの商品とかなり異なる印象を感じられると思います。」

「確かにそうですね。不思議な形です。」

「変わったデザインですが、普段使いも念頭に入れて作られていますので、想像される以上にいろんな服に合わせられると思いますよ。試されますか?」

「いえ、大丈夫です。そんなことをしなくても十分素敵なデザインなので。」

「因みに、高崎様の購入された商品が三〇万円相当で、こちらの商品が三五万円相当ですので気に入っていただければ、返金よりも金銭的にはお得になります。結論は急ぎませんので、決まり次第連絡いただければと思います。その間、この商品はキープしておきますので。」


 田園はそう言うと、ネックレスをジュエリーケースに戻した。


「わかりました。でも、いいんですか? 買ったものよりも高価なものを交換していただいても……」

「お気になさらないで下さい。弊社が高崎様に余計なお手間をかけてしまったのは事実ですから。その手間賃と考えていただければ。」

「そうですか。」


 田園はニッコリと微笑んだ。


 次に、高坂が自身のカバンから小箱を取り出して、高崎みなみの前に置いた。


「私が紹介する商品は、この時計です。」


 高坂は自信をもって、小箱から時計を高崎みなみに見せた。


「時計? どうして?」


 高崎みなみは、ネックレスが出るとばかり思っていたので、時計が出てきてきょとんとしてしまった。田園も同じだった。二人とも高坂が何を考えているのかわからないというような顔をしていた。


「私は、時計のほうが高崎様に合っていると思うのです。」

「ど、どうしてですか?」


 高崎みなみは、動揺しているようだった。当然だ。いきなり初対面の人間に時計のほうが合うと言われているのだ。田園も自由奔放な高坂に内心ハラハラしていた。これまで田園は、高坂のクレーム対応について報告書を見ていただけだったので、実際の様子を見るのは初めてだった。田園は、高崎みなみが腹を立ててしまわないか心配した。


「高価なネックレスだと会社につけて行くのに躊躇することもあるかと思いますが、時計ならば違います。セミフォーマルなデザインのこちらの時計は、会社でのフォーマルな場面でも普段のお出かけのカジュアルな場面でも、どちらでも上手くフィットしてくれます。また、撫子色のベルトですので、女性に限らず男性からも悪目立ちすることなく自然に目に留まるはずです。また、一度話題に上がれば、この時計の文字盤は細かな工夫にあふれていますので話題を広げることもできます。例えば、一から十二の文字の下には、十二種類の異なる小さな宝石が埋め込まれています。フォントも凝っていて大人のイメージを保ちながら、女性らしさを演出することができるでしょう。一度つけてみますか?」

「え、あ……はい。」


 高坂の流れるような商品説明に聞き入っていた高崎みなみは、突然の質問に思わず首肯した。高坂は、彼女の右手に時計をつけると微笑んで言った。


「非常にお似合いです。やはり、高崎様は気品のある方なので、この時計をなさると品の良い女性らしさが際立ちますね。おそらく、スーツをきた時のほうがより際立つと思いますよ。普段は、何色のスーツをお召になってらっしゃいますか?」

「えっと…濃いグレーか黒系ですね。」

「なら、きっと似合うと思います。高精度な時計で年差数十秒程度、職場使いも問題無いと思います。二五万円相当の品物なのですが、こちらもオンリーワン商品ですので他に購入できる場所はありませんし、なにより高崎様に合うと思い持って参りました。」

「あの……」

「はい?」

「これは……、なんというかこどもっぽく……、安っぽく見えたりはしないでしょうか?」

「そんなことはありません。これより値段の高いクォーツ式時計の多くは、ブランド料や宝飾にかかる費用で主に高くなっています。今回の商品は、ノーブランドで宝石も文字盤にアクセントとして付いているだけなのでそこまで値段が高くなく抑えられています。かといって、デザイナーの方は非常に腕のある方です。ガラス板の透明度も高いため、普段使いで文字盤が見えやすく宝石もその分際立つという実用性とアクセサリー性を両立させた時計になっています。」


 高坂がそう言うと、高崎みなみはフッと微笑んだ。その笑顔を見て、田園は頭をバットで殴られたような衝撃を受けた。きっと彼女は、この商品を欲しがる。「差額の五万円分の何かはもらえますか?」なんてことは言わずに。それが確信できたのだ。


「じゃあ、すいません。この時計を代わりに頂けますか?」


 高崎は、時計をうっとり眺めながら田園に言った。


「満足していただけましたか?」


 田園は失意を隠しながら丁寧に尋ねた。


「はい。高坂さんのおっしゃったとおり、私に合うのはこういう商品だったみたいです。」


 この一言で、田園はもう何も言えなくなった。

  

「高坂さん。」


 高崎みなみの住むアパートから会社に戻る途中、田園は悲しそうな表情で高坂に話しかけた。


「どうして、高坂さんは、あの時計を持ってきたんですか?」


 田園の問に高坂はひょうひょうとした態度で答えた。


「なぜって、お前も言ってただろう? 『仕事ができすぎることで浮いてしまい、孤独を感じている』って。彼女は、できる女上司像を背負わされるのが嫌だったんだよ。自分も他の女性社員と同じく女性として見てもらいたい。『結婚適齢期』だしな。だからオンリーワン商品を購入したんだよ。その証拠に、休日なのにバッチリ化粧をしたり、手間をかけて髪を三つ編みにしたりしている。クレームをいれた先の営業相手にそこまでしてくれるんだ。仕事が出来る几帳面な彼女らしいじゃないか。それでいて、化粧品や部屋にある家具や雑貨類は、いかにも女性らしいものばかりだった。あれも、彼女が自分を女性として見て欲しいという願望からきていることを示す証拠だ。かといって、真面目な人間は簡単に真面目をやめられない。女性らしいものがある部屋ではあったが、綺麗すぎて人気ひとけを感じられなかった。そういう不器用さを彼女自身もコンプレックスに思っていたんだろう。ネックレスを買ったはいいものの、自分がいきなり高級なネックレスなんて付けて出社しても大丈夫だろうかなんて不安でいっぱいになって、今回返品しようとしたんじゃないか。なら、彼女に渡すべきは仕事にも活かせられる女性らしい品だ。」

「そ、それを確信できるのは部屋に入ってからでしょう? なのに……」

「? 何言ってるんだ?」


 そう言って高坂は自分の鞄にネックレスや指輪、万年筆など計十点が入っているのを田園に見せた。


「どんな場合であっても対応できるようにしておけ。それくらい当たり前だろう。」


 高坂のその一言に、田園はまたバットで頭を殴られたような衝撃を受けた。


「そうですね……。私は負けるべくして負けたみたいです……。なんだかんだ言ってお客様と真摯に向き合えていないのは私の方でした。」


 田園は少し俯きながらそう言った。


「今日はちょっと勝負に固執してしまったところはあるが、別に、お前は間違ってなんかいないよ。お客様の満足を最大化することが、会社の満足の最大化になるとは限らない。大抵はトレード・オフの関係だよ。だから、俺も不十分だし、お前も不十分だ。俺達は日々、個人と社会の重みを天秤にかけて行動していかないといけない。重み付けに正解はないから、俺たちは考え続けないといけないんだ。」

「日々是精進というわけですね。ほんと……初歩の初歩ですよ……。」


 田園はケラケラと笑った。そして数歩高坂の先まで歩いたかと思うと、高坂の方に向き直り、頭を下げた。


「今日は、非常に有意義なご指導ありがとうございました。」


 高坂は、そんな田園を見て思わず苦笑いした。


「いやぁ、若いっていいな。真っ直ぐで素直で……。」


 高坂は、そういって空を仰いだ。そして思い出したように田園に言った。


「きっと、俺は、お客様に訴えられる時が来る。その時が俺の最後の時だ。東栄百貨店は、それを機に厄介払いできると喜んで俺の首を斬るだろう。」


 高坂の言葉に田園は不思議そうな顔をした。高坂は構わず続ける。


「そうなった時、お前はお前らしく、今のスタイルのまま、お客様と向き合い続けてくれ。」

「高坂さん……、それってどういう……」


 田園が聞き返すと、突然高坂の携帯電話がなった。


「はい、高坂です。……そうですか。わかりました。」


 高坂はもう一度天を仰ぐとハハハと笑った。


「どうしたんですか?」

「いや……、予想していたとはいえ、終わる時はこうも呆気ないとはと思ってね。」

「えっ⁉︎」

「一ヶ月後解雇だと……。予想したとおり、お客様から苦情の電話がきたらしい……。」

「そ、そんな……。」

「これが社会ってものさ。そして、オンリーワン商品では救えないお客様もいるってことさ。俺みたいに博打打ちのやり方じゃ、そりゃあいつかは失敗するわな。」


 高坂は一瞬寂しそうな顔をした後、ヨシッと気合を入れた。田園は、クビになったことではなく、お客様を救えなかったという事実に悲しんでいる高坂を見て、胸が痛くなった。


「田園、今日は俺と付き合え。俺の営業術をみっちり叩きこんでやる。勝負に負けたんだから文句は言わせないぞ。」


 高坂の気丈な態度に、田園は思わず涙しそうになったが、元気よく「お伴します。」と答えた。



 高坂が東栄百貨店を去ってから、田園は東栄百貨店のオンリーワン商品販売員から異動した。お客様と企業が共に満足する妥協点は、オンリーワン商品の中にないと感じたからだ。田園は、今日も異動先の企画部門で個人と社会の妥協点を探し続けている。

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