ワタシコレクション
Trickey
アイデンティティバーゲン
大野香織の行動の背後には、最近流行している〈オンリーワン商品〉への憧れがあった。現代は個性を求める時代。大量生産大量消費の価値観は過去のものとなり、オーダーメイド、自作、アレンジメントが重要視されるようになった。そんな価値観の変化の中で生まれたのがオンリーワン商品である。オンリーワン商品とは、一点ものをキャッチーに表現し直した商品で、高額ながら世界に同じデザイン、同じ機能を持つものは一つとして存在せず、個人の尊重と個性を象徴した商品だった。様々な業種の大手ブランドが、こぞってオンリーワン商品を販売し、多くの人がオンリーワン商品を買い求めた。大野香織もその一人だった。
しかし、大野香織は自分を他のミーハーな客とは違う特別な存在だと考えていた。現代社会において典型的な人間の一人だった大野香織は、すべての事柄において中の中〜中の下の成績で自分の価値を見い出せず、個性を感じられないと悩んでいた。オーダーメイドや自作、アレンジメントも試してみたが、ことごとく失敗し、己のセンスの無さをまた嘆く、そんな葛藤が大野香織の心を揺さぶっていた。大野香織がオンリーワン商品に飛びつくのは自然な流れだった。有名ブランドが次々とオンリーワン商品を発表する度に、大野香織はその魅力に惹かれ、百貨店に足を運んだ。しかし、いくら有名ブランドのオンリーワン商品を集めても、大野香織を満たすものは見つからなかった。大野香織は悩み、考え抜き、ついに一つの結論に至った。
――ブランド物のオンリーワン商品は本物のオンリーワン商品ではない。
世の中のオンリーワン商品を求める人の多くは、有名ブランドのオンリーワン商品を買い求める。しかし、有名ブランドのオンリーワン商品はブランドのコンセプトを反映した一連の商品の一つに過ぎない。そのため、デザインは異なるかもしれないが、本質的なコンセプトは共通してしまう。その証拠に、ブランド物のオンリーワン商品を持っていても、「私もそのブランドのオンリーワン商品を持ってる!」と言われてしまう。結局、優劣が生まれてしまうのだ。つまり、ブランド物のオンリーワン商品は本物のオンリーワン商品ではない。だから、ブランド物のオンリーワン商品を手にしても、個性を得られなかったのだ。大野香織はそう悟った。
数年かけてこのことに気づいた大野香織は、解決策を考え抜き、今日、東栄百貨店に並んでいた。この日は東栄百貨店のオンリーワン商品バーゲンの日だった。開店五分前、大野香織の後ろには長蛇の列ができていた。大野香織はその列の先頭に立ち、冷静を装っていたが、笑いが込み上げるのを抑えるので大変だった。これまでの努力が実を結ぶ瞬間が近づいていた。後は、開店と同時に転ばないように注意して、お目当ての商品を手に入れるだけだった。
「十、九、八、七、六……」
店員によるカウントダウンが始まった。大野香織は、ジョギング前にするのと同じように、カウントダウンに合わせてトントンと小さくジャンプした。
「五、四、三、二、一、ゼロー! いらっしゃいませー‼︎」
開店の合図と共に大野香織は全速力で駆け出した。恥ずかしいという気持ちを忘れて走った。大野香織は信じていた。今まで誤って買い続けたブランド物のオンリーワン商品も今日という日のために必要なステップだったのだと。大野香織の頭の中は秘策のことでいっぱいだった。秘策とは、なんということはない、ブランド物以外のオンリーワン商品を購入するというものだった。ただブランド物でないといっても、どこかの中小企業が作ったものではブランド物と変わらない。個人制作、それでいて、その品以外に過去にも未来にも商品を作らない人の制作物。これこそが、大野香織が導き出した優劣を比較されない真のオンリーワン商品だった。大野香織は、この条件に沿ったオンリーワン商品を探し続け、本日、東栄百貨店に出向いたのだった。
大野香織は、エスカレーターを駆け上がり、七階の特設会場に一番に到着した。店員がたじろぐのも気にせず、大野香織は念願の「
大野香織は家に帰ると、サンタクロースにプレゼントをもらった子どものような笑顔で包装を取り除き、箱を開けた。中には円で囲まれた三菱マークの指輪が入っていた。三菱のそれぞれには小さなルビー、エメラルド、サファイアがあり、周囲の円には細かなダイヤモンドが埋め込まれていた。
「これよ……これが私が求めていたもの……」
大野香織はうっとりと指輪を眺めた。
以来、大野香織は変わった。会社につけてくるのには派手すぎる指輪を、同僚にちょこちょこ自慢しながら、バリバリと仕事をこなした。その指輪は大野香織の力の源で、他者と大野香織を区別する個性の象徴となった。大野香織は、ようやく個性を手に入れた。
ところが、ひと月後、事態は一変した。大野香織の家に警察官が突然現れ、購入した柿原繁樹のジュエリーリングが、大手ブランドのジュエリーリングのデザインを真似た模倣品で、宝石自体もレプリカだったと言うのだ。警察官は、大野香織に事の経緯と今後の対応について説明し、同意書にサインさせて、指輪を証拠品として持ち帰ってしまった。大野香織は、この衝撃的な出来事に呆然としてしまった。彼女はたったひと月で個性を失ったのだ。
大野香織が個性を失った三日後、今度は東栄百貨店のバーゲン担当者が大野香織の家にやってきた。
「……弁償するということですか。」
「はい、今回の問題は、私どもの事前調査が至らなかったためと、本当に申し訳なく思っております。つきましては、大野様に返金、もしくは同等の商品に交換することで弁償させていただきたいと思っております。」
「返金か同等の商品に交換ですか……」
大野香織は、平謝りの高坂を可哀相だと思いながらも、返金や単なる商品の交換で、この問題は解決しないと思っていた。大野香織が求めていたのは個性をくれる商品だった。今更、値段こそ上の有名ブランドのオンリーワン商品をもらっても大野香織には何の意味もなかった。しかし、ブランド物のオンリーワン商品は本物のオンリーワン商品ではないと高坂に演説するわけにもいかない。大野香織は何も言えなかった。
大野香織の戸惑った様子を見て、高坂は話を前に進めるために自らのカバンをゴソゴソと漁り、小さな指輪ケースを取り出した。
「これは?」
大野香織が尋ねると、高坂は微笑みながら説明した。
「これは、大野様がお買い求め頂いた商品と同等のレベルの指輪でございます。」
大野香織は高坂の言葉に冷ややかな反応を示した。
「申し訳ないですが、私はあの指輪が欲しかったんです。あの指輪と同等と言われても……」
高坂はそれでも笑顔を崩さずに答えた。
「いいえ、これは本当に同等だと思います。一度ご覧になってみて下さい。」
高坂は、ゆっくりとケースを開け、中に入っていた指輪をつまみ上げ、大野香織の手のひらに乗せた。
「この指輪は、正真正銘の世界に一つしかない指輪なのです。」
高坂の自身満々な態度に、大野香織は少しイラつきながら答えた。
「それは、どのオンリーワン商品でも同じでしょう?」
大野香織のこの台詞を待っていましたとばかりに、高坂は大野香織の手のひらにある指輪について説明を始めた。
「いいえ、これは、そこらのオンリーワン商品と訳が違います。この指輪はつける人によって、その色を変えるというガラスの指輪なのです。」
「つける人によって色を変える?」
「そうです。大野様がこの指輪をつけたとします。そうすると、この指輪は大野様の心の変化にあわせて刻々と色を変えていくのです。違う人がつければ、指輪はその人の心に合わせて色が変わってしまいます。ですので、この指輪の色は、つけている本人だけが見ることができる。本当のオンリーワン商品なのです。」
高坂が熱くそう語り終えるころには、大野香織は自分の手のひらにある指輪を右手薬指にはめていた。これが自分が求めていた本物のオンリーワン商品と思ったのだ。前の指輪は、制作者が指輪制作を再開してしまったら真のオンリーワン商品にならなくなってしまう。しかし、この指輪ならば違う。その時その時、つけている人の心の様子に応じて色が変わる。これ以上のオンリーワン商品はない。大野香織は目を輝かせた。
「高坂さん。これをあの指輪の代わりに頂けますか?」
高坂はにこっと笑って答えた。
「どうぞ、気に入っていただけたようで、こちらも本当に嬉しいです。今回は、こちらの落ち度で大野様に大変なご迷惑をお掛けしましたので、指輪の代金も返金させていただきます。」
「いいんですか。ありがとうございます。」
「はい、今後共東栄百貨店を、どうぞよろしくお願いいたします。」
高坂が帰った後も、大野香織はずっとリングを見つめていた。リングは窓から差し込む光を反射しキラキラと輝いていた。大野香織は、プリズムガラスでできた刻一刻と変化する指輪の色をうっとり眺めた。大野香織は、今度こそ個性を手に入れることができたのだった。
大野香織は、ガラスの指輪をつけた日から、人が変わったように積極的に行動するようになった。仕事も趣味もボランティアも何でも精力的にこなすようになった。彼女が積極的に行動するごとに、ガラスの指輪は輝きを増していった。指輪の輝きが増すたびに大野香織も輝いた。
今日も、東栄百貨店二階の雑貨売場では、一九八〇円でプリズムガラスの指輪が売られている。
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