Ⅱ THREE MONSTER
no.50 ----『HappyBullet』
弾丸が
「まるで受精だな」
オイルライターの青い火を弄びながら。こっちは殺したいのになとひとりごちる。
『
黒髪の女は叫喚をあげてマシンガンを乱射する。もっと意味ある言葉で訴えるべきだとドルトンなら諌めるだろうが、あの天頂に己の声が届くことはないと黒髪の女は
『
Comaは炎にまかれている。青い光がゆらめく街にもはや陽射しは必要ない。青い火炎で家屋は倒壊し、住人の死体を巻き込みながら世界はゆっくり壊れていく。黒髪の女とドルトンとソグ博士による、実質2人で行われた復讐劇の最終幕だ。
そう、最初は闇に沈む街を歩く影がひとつ在っただけだ。屋根をゆくその跡には血。カラの薬莢がカンカンガラガラ、それに続いて鉄錆にまみれた凶器が点々と輝く。
……これは太陽が地に肉薄する数刻前の物語。
『
次の標的を見つけて屋根から降りる影。長い黒髪が揺れ、かと思えば街灯に照らされて短い黒髪に戻った。
開戦の合図はない、それは彼女の戦法ではない。
出会い頭に命を奪うのが一番いい。できれば迅速に、抵抗の隙を与えないのがお互いのためと知っている。
銃は便利な
『
転がる薬莢を金だと勘違いした給仕種が鉄筒に手を伸ばし、触れた瞬間あまりの熱さに声をあげる。その声を合図に振り向いて、ドルトンは給仕種の頭にネイルハンマーを振り下ろした。人ならこれで簡単に死ぬ。
このようなことの繰り返しで、子種はComaに住む者たちを端から順に殺してまわった。罪悪感の表情はなく、かといって達成の表情もなく、黒髪の女はひたすら機械的に命を奪っていく。
情念が欠けた殺戮は「必要な工程」と完全に割り切られたものだ。子種を殺してHappyBulletをつくるのと同じこと。HappyBulletの製法と異なる点は、ここの死体は火葬されるという点だった。ソグ博士は殺戮現場に遅れて現れ、油とライターで死体を焼いて回る。骨が残らぬことが望ましい。
『おかあさんは辱められる』
「またあの子が来たぞ」と笑いながら鐘をつく者がいる。懲りずに来たのかと呟き本を閉じる者、飽きないねと連れ合いに話しかける者、こわいねと子を抱き戸締まりをする者、その反応は千差万別だった。嵐はいずれ去ることを、皆が経験則で知っている。
巡り巡って再びComaを襲撃した嵐は、しかし今宵は執拗だった。大きく口を開き、叫び、手を振り下ろし、血を浴び、また次の人、次の人へと、飛び上がり、踊るように殺す。
闇夜の街はようやく騒然と狼狽の声をあげた。街灯の上に立つソグ博士だけは腹を抱えて笑っている。まだ太陽は降りてこない。尊大、悠々と距離をとる。
『
凶器をふるうドルトンから逃げ惑う者もいれば、銃を撃つ黒髪の女の前で立ち尽くすだけの者も居た。
神種だけで良いはずだろうと吐き捨てた者は、別の種らによって殴られ死んだ。
ただ彼の場合はそれだけでは済まず、死んだあとも殺され続けた。
……そのやり方には覚えがある。
ドルトンは消沈する。人の秘めていた可能性を目前に彼は恐れ慄いた。
邪悪は
その祈る手も実はとうの昔に血に染まっているが、黒髪の女は指摘しない。
『
神は絶対である。それを嬉々として証明したがる種たちは、銃を構えたまま祈る黒髪の男など眼中にない。裏切り者の亡骸に群がり跨り、めいめい思いつく方法でその死体の損壊に耽った。湧き上がる糾弾の唸りと雄叫び。神への祈り。
黒髪の女がマシンガンを構えたことに気を払う者はいなかった。一呼吸をおいて、彼女は鉛弾を撒く。人は順番に地に伏して動かなくなる。
『
パタ、パタ、パタ、と倒れる人の様子が愉快だったので、ソグ博士はパチ、パチ、パチ、と緩慢なスタンディングオベーションを行った。街灯の下を通りかかる『親子』がソグ博士を見上げ、親が子に優しく耳打ちをする。
「ご覧、あの子は失敗だった。でもお前は
ソグ博士にもちゃんとその言葉が聞こえていて、だから肩を竦めるだけに留める。
ややあって被害者と加害者が混ぜこぜになった肉の山の向こうから黒髪の女が頭を出した。キョロキョロと、次の標的を探す動きだ。足元の親子から視線をはずしてソグ博士は自嘲する。
「おれはあんたになれなかったよ、ドルトンと違ってな」
白衣のポケットから品種不明の花びらをひとすくい取り出すと、足元の親子に向かって撒いた。笑顔で手を叩くと花びらは燃え上がる。親子は死ぬ。
『グレゴリールームは死体の匂い』
街は血で烟っている。鐘の音はとっくに止まっている。何人かは
「お聞きなさい、子種よ、人には忘れる力が備わっているのです。それが心の傷を癒す、私たちはそのようにできている、だから、なあ」
離れて書を読みあげる男を見て、ドルトンはフンと鼻を鳴らし、死肉の山から離れる。走る、跳ぶ、男にナイフを突き刺す。
「うちの教えとは違います」
『Comaはこうして火にまかれ』
死体からナイフを抜いて黒衣の裾で血を拭うドルトンの背後にまたひとり。
「教えましょう、嘆く者の身は白くなければ。貴女の手の色はふさわしくない」
「私の眼はもうないから知らない」
『
唐突、背後から首根っこを掴まれた。黒髪の女は宙に浮く。
「お前も大きくなったじゃないか! 自分から腰を振るんだよ!」
思い出を騙る男を見て聖職者は舌打ちをすると、女の死体から目線をはずす。振り返る、突き飛ばす、男にハンマーを振り下ろす。
「それでお前は"何人前"だと言うのでしょう?」
『
「でも、あなたなんて産むべきじゃなかったと皆が思っているわ。本当よ」
絵本を手に微笑む女を見て、黒髪の男は首を真横に折るように傾ける。怒りに任せて足元に転がる男の死体を踏み潰した。力が強すぎて、男の頭は爆ぜてしまう。
『
ストリートに並ぶ家屋の窓すべてに人のシルエットが映り込む。Comaに住む者たちは揃って黒髪の女に指を指す。
「お前だって
ドルトンは一番近くの窓に走り寄ると、握りこぶしで硝子を割った。中にいる者を引き寄せ、舌に拳銃を突きつける。ぬたりと濡れる赤、緊張による過呼吸。子種を見上げる糾弾者の眼は黒い。もちろん撃つ。
丁寧に丁寧に殺して回った。アパートメントに彼女が入ったのち、窓はひとつずつ順に血に濡れていく。叫び声、叫び声、叫び声。
黒のグローブで覆われた彼女の手は細かく震え続けている。感覚が麻痺してくれれば楽なのだが、なかなか都合よくいかないものらしい。
やがて黒髪の女は屋上に立つ。黒いコートの裾が生暖かい風を受け揺れる。夜の街、
ふたりは舌打ちをすると地に向けて飛び降りる。残りの生者はどこに居る。
『
遠くから、遠くから。動こうとしない
死体街道にてソグ博士はランプの下。ステップを踏んで軽快に踊っている。
「"われらは認める、罪の赦しのための唯一の洗礼を"」
その言葉の真意も忘れ、ただ流行歌の一節のように口ずさむ。饒舌である、上機嫌である。靴底に仕込んだ魔道インクが石畳に印を刻み、摩擦によって点火して、彼がおどけるたびに街は青い火に飲み込まれる。それは闇夜の街にたいそう映える色だった。
『
他方、中央広場では乱闘がはじまる。大柄の男たちが黒髪の女の、その長い髪を掴もうとして、その細い足を折ろうとして、思い思いの武器を片手に反撃に転ずる。黒髪の女は発砲を試みるがこういう時に限って弾を外してしまうので、コートの袖からハチェットを取り出すと彼らの腕を斬り落とす戦法に変えた。とても馴染んだやり方だ。
『
街灯は争いの終わった広場を頼りなく照らす。芝は踏み荒らされ無残なものだ。
「人生は往々にして理不尽でしょう……それを受け入れて、未来に進まなくては」
誰かの説得の声は、花壇に埋まる花種だけが聞くだろう。そのうち広場に姿をあらわしたソグ博士は、魔法のじょうろで花壇や死体に水をまいた。口笛で奇妙なメロディを奏でる。溶液は赤色で、かけた端から炎があがる。誰もその緋の美しさを讚えようとはしない。ソグ博士だけが心の中で自画自賛する。
『
太陽を睨みながら街を走るドルトンの足に、少年が泣き叫んですがりついた。少年は靴にかじりつくような勢いで、足の甲をフォークで貫こうと何度も小さな手を振るう。使命感にかられた殺意だったが、黒髪の女のそれは革靴なので小さな刃が通ることはない。
「"汝、感情を須らく享受せよ、それは他者には分与できぬ竜の恩賜である"」
ドルトンは竜典(既に廃れしとある宗教の教典)から引用すると、少年の頭を撫でた。赤茶色をした指通りのよい髪だったが、触覚の情報はグローブ越しでは伝わらない。震える頭頂を撃ち抜くと少年は動かなくなった。ドルトンは目を閉じる。
『
「「後悔はしています、あまり気持ちの良いものではなかったので」」
その言葉を吐いたのは、ドルトンと、彼の前で爆ぜた男だ。
「殺戮は楽しいだろう、無抵抗の者を? お前をなんと形容すればよいか、凶暴という言葉で足りるものか? それとも『子種』がその役割を果たすようになるのか? 残虐なる者の名前をこれから担うか?」
訳知り顔の老人も、定義の途中でドルトンの射撃にて命尽きる。ドルトンは竜典からさらに引用を試みる。
「"
『
「"
聖職者の祈りは続く。
「この
血塗れの竜の首飾りが揺れている。
『
転がる死体はぎょろりぎょろりと白く濁った目を動かした。去る女の背に向けて呪詛を吐く。
「はやく大人になりなさい」
「わたしはどうすれば大人になれる?」
黒髪の女は死体に問う。
「自分で考えなさい」
Comaを襲う彼女は『子種』だ。黒髪の女はフンと鼻であしらう。死体の譫言は呪詛としての機能をもちろん満足に果たせなかった。
「なぜ亡骸に問うのです?」
ドルトンだけが不気味に思って、己の口を手で覆った。
『なきがらはどれも弾になった』
生き残る種を残してはならないと、ドルトンは生者を求めて街をさまよった。子種に連なる者を探していた時と同じ眼で。ドルトンはむせ返る血の匂いに咳き込む。街を覆う熱で目が霞む。コートの内ポケットから清潔なハンカチを取り出すと顔を拭った。吹き出す汗は赤茶色だ。
「まあ」
道を曲がると同時、死体の埋葬をしている恰幅のよい女性と遭遇した。彼女は嫌悪の眼差しで黒髪の男を睨む。
「こんな子を産んでしまうだなんて、やあね、やっぱり母親の方こそ欠陥品だったのでしょうね」
ドルトンは自分の母の教育が真っ当なものだと理解しているし、母は古竜教の使徒として立派な人物であると尊敬しているので、母に似た目の前の死体が告げたことにはピクリとも心が動かなかった。銃口から煙がゆらめき、すぐにかき消える。この攻撃で鉛弾が切れたので再装填を試みる。しかしこれにて生者は最後のようだ。マーダー・コンプリート。
『
空を追い街道をゆく子種の黒衣から鉛弾ばかりがこぼれ落ちる。それは天頂からゆっくり降りてくる
かくして
『
黒髪の女は憎悪の目で太陽を睨む。神様に目があるならば同じ目で見返したのだろうか。ややあって、始祖は街に転がる死体に向けて斑色の液体を吐いた。オオオオ、オオオオ、と死体から歓声があがる。その声に粘液がからみ、ヴォオオオ、ヴォオオオ、という啼き声に変わる。
堕ちた粘液と絡みながら立ちあがる
『
新しく産まれた種たちは、悪辣な子種を取り込むためにゆっくりと歩きだす。粘液にもつれて倒れ、別の誰かを支えに起きあがり、懸命に前に進むのを目の当たりにしたドルトンは思わず涙を流した。
「ああ、ウルク・グア・グアラント様」
自分が信じる神が貴方で良かったと、湧き上がる悦びを歓待した。斑色の津波は害悪を飲み込むために這い寄ってくる。
『
他方、貴族種の遺骸を燃やすことに夢中だったソグ博士は、産まれたばかりの種たちの啼き声に気づいて立ち上がった。
「堂々めぐりのウロボロスか、陽に炙られて醜いこった」
斑の津波をよく眺めようと、顔にあてていた鳥仮面を投げ捨てる。それは遺骸の脂と絡んでよく燃えた。
壊せるものは全部壊して回ったこの街は、もう二度と機能しないとソグ博士は思っている。それでも太陽は諦めないだろうとも理解していた。だってそれは自分でも諦めないだろうからと、脳裏を流れる黒い川を想う。
そしてすぐに考えを改めた。
『ハッピーバレットはまだたくさん』
産みなおされた種たちは鉛玉では倒れなかった、そう造りかえられた。つまり種は進化を迎えた。黒髪の女は弾をいよいよHappyBulletに切り替える。マシンガンを構え直し、息をとめ、引き金に手をかけた。轟音と反動。標的の数が多いほど当たる確率が跳ね上がる。魔法の弾丸を選んだ彼女たちの判断は、まったくもって正しかったのだろう。
『
新たな種たちは次々と、7発当たって死んでいく。黒く染まった体は、斑の体液に飲み込まれごまかされた。
神種は大きく身震いをする。御身を覆う幾千もの手の塊が割れて、虹色の粘液が地に溢れた。ズルリ、ドシャリと音を立て、新たな生命が生まれいづる。新生。転生。輪廻。その繰り返しだ。
消耗戦であることは黒髪の女は理解していたし、ソグ博士だって十分彼女に言い聞かせてきた。あれだけ殺して回ったのに、それでも弾数には限界がある。でも弾をつくる時間だって惜しい。
『
『
子種を逸れた弾はそれでも他の種に当たり殺傷道具としての役目を果たす。彼らは撃ちぬかれて縺れてうめき声を上げるだけで、そのうちゆっくりと身を起こす。奇妙な動作を見て、彼らには足はないと理解した。死んだ街に新しく産まれたミルククラウンは、街に繁栄するためではなく、別の何かの役割を与えられた「使い捨て」の存在だ。
『
子種は財産種のひとつ、隷属の性、守られ育まれるもの、虐げられるもの、可能性を孕むもの、反発するもの、予測がつかないもの、矯正がきくもの、大人ではないもの、まだなにものでもないもの。
付け加え、鉛弾を浴びても困ったような笑顔を浮かべる者。
『マザーの名は荷が重かった』
「あんたが
ソグ博士は傘を広げて空から降りてきた。ドルトンから離れた位置に着地すると、傘を閉じその先端を空に向ける。銃を構える仕草だ。
「すべてを殺さない限り、そう、何度でも夜は繰るぞ」
「アドバイザーのつもりか」
黒髪の女は吐き捨てるように言うと、標的に狙いを定める。
ダララララというすっかり耳に馴染んだ轟音に押されて産まれたばかりの命が散っていく。ミルククラウンは漆黒の王冠に変わり、後には静寂のみが遺された。それでも太陽が哀悼を告げることはないのだ。白天に座す神はただ幾千もの腕が蠢く姿。その動きから「読み解け」とでも告げるように高慢に。
『
ややあって、腕がもう一度花開いた。赤い液体にまみれて次なる子種の"黒髪の男"が産み落とされる。その貌が
『
ふたりの男は殴り合うだけの原始的で凶暴な争いを試みる。ひとりは怨嗟の声を耐えること無く呻き、ひとりは覚えている限りの教義を並べてひたすら諭した。
産まれたばかりの自分がウルク・グア・グアラント様の教えの素晴らしさをまったく理解する気がないと認めざるを得ないドルトンは、苛立ちを込めた呼吸をすると懐から取り出した火かき棒で彼の頭蓋を強く打った。
手のしびれを覚えながら、両親への尊敬と教育の正当性を一層深める。
『
「躊躇しないんだな」
ソグ博士が閉じた傘を弄びながら問う。
「これで理解できましたよ」
ドルトンは震えている。胸に去来するのは歓びと誇り。
「私は私だ!」
息絶えた死体を前に雄叫びをあげる黒髪の男を見て、ソグ博士はウエーッと声を絞り出した。
「宗教の偉大さを痛感するよ」
神は不在かもしれないが、確実にその心を
『
"私"だと高らかに笑うドルトンの背から2本の腕が生える。華奢な女の腕だった。ソグ博士は一瞬目を見開き、ああ、ああ、と納得した声をあげる。ドルトンは自我を強め、黒髪の女を追い出そうとしているのだ。それは太陽と同じ行動であり、つまりは
『
ソグ博士はドルトンに似た死体にライターで火をつけ、勢いよく蹴り飛ばした。枯れ木のように細い脚は思った以上に力がなかったが、それでも死体の首がすっぽ抜けて
一方で狂信者の手は組まれ、代わりに背から生えた手がマシンガンを受け取った。おまえはやめておけとソグ博士が力なく声をかけるも彼女は応じない。
『
祈る男、狙う女、そしてそれを見守る男。3人の子供が見上げるのは地に落ちた大きな太陽。黒髪の女は息を吐き、太陽に向けてHappyBulletを放つ。轟音ののち、銀の豪雨は唸りを伴って
『
……弾丸が
「まるで受精だな」
オイルライターの青い火を弄びながら。こっちは殺したいのになとひとりごちる。
『ライフルは【盗む】の動詞でもある』
黒髪の女は叫喚をあげてマシンガンを乱射する。もっと意味ある言葉で訴えるべきだとドルトンなら諌めるだろうが、あの天頂に己の声が届くことはないと黒髪の女は
代わりに命ごと唸りをあげて迫る、自殺行為の反抗期。
死者は何も語らない。黒髪の女に無残に殺された者だって、幸福のうちに殺された者だって、殺されたことに気づかない者だって。その骨、そして血と肉、魂は、7つに分けられ凶器に作り変えられる。そして自分の存在をもって、着弾した者を死に至らしめる。
HappyBulletは魔法の弾丸だ。魔法はいつだって、だれかの痛切な願いから生み出される。
『
目論見は当然
『
蠢く腕は次々力を失っていく。
代わりに彼女が唸り声をあげた。それに呼応するように黒髪の男のこめかみからは肋骨が生え、尾骶骨から絡まりあう長い脚が伸びた。分離したいのだろうが混ざりあい化け物の姿になっていく彼女たちは、神殺しの罰を受けているようにも思えてソグ博士は嗟嘆する。
『
とうとう
彼は何からつくろうか迷っている。どこからやりなおそうか考えている。
目は決して、彼女を見ない。
『
その手のひらを銀の弾丸が貫通する。熱さで弾かれたように地に転がった彼は、名前のない弾丸の行く先を追う。
黒髪の女のHappyBulletだった。太陽の身に食い込んだ弾丸が射出し返されたことを悟る。痛みは感じないが、腹の底に厭なものがひとつ溜まった。どんな守りを施していても、7発当たれば必ず死ぬことは母種との殺し合いで実証済みだ。つまりあと6発受ければ、黒髪の女だって死ぬ。
『ワーストエンドは母の手で』
ソグ博士は傘をさしている。傘にHappyBulletが食い込んでいたが貫かれてはいなかった。ソグ博士を背にしてドルトンは吠え、もう一度マシンガンを乱射した。怒りが形を得たものとして、HappyBulletは
「命のやりとりそのものか」
ソグ博士は傘に隠れて煙草をふかす。彼女たちの殺し合いは、流星群を見ているようだった。
『
黒髪の女が放つ幾千もの銀の光は天を刺し、蛍光水色の体液を噴出させた。
心臓は大きくうねり、やがて思考を終了したのかその表皮に答えを現す。
「おかあ、さん……」
答えを得た黒衣の聖職者の4つ目が歪んだ。彼はせわしなく目をバラバラに動かす、怒られた時にどこを見たらいいか戸惑う子のように。
黒の染みが広がる心臓の中央で、まさしく在りし日の母が、笑みを浮かべ、そして大粒の涙を流している。
「おかあさんは、こんなことを願っていないの」
母種は首を振る。泣いている。黒髪の男の2つの眼からも涙がこぼれた。黒髪の女の2つの眼は赤く染まっている。
「さあ、復讐なんて、やめましょう」
『
太もも、腰、腹、肩、頭、肩、胸、腕、腕、太もも、ふくらはぎ、腹、腹、胸、首、頭、頭、頭。
「ごめんなさい」
声に許しを乞う温度はなく、ただ淡々と。ドルトンは天を讃えるような動作を見せているが実態はマシンガンを支えるための動きだ。黒髪の女だって祈るように手を合わせたが、その中心には冷たい鉄の凶器が在る。
「……これはッ、私のッ! おかあさんを殺されたッ私の怒りをッ!」
子供は引き金を何度でも引く。
「私はッわたしこそがッ、お前を許さぬ唯一の種であることをッ!」
HappyBulletは大好きなおかあさんごと
『
"おかあさん"の形をうつした
かくして太陽は無事に呪い殺される。残弾数は互いにゼロ。
黒髪の女は降ってきた弾丸に撃ち抜かれビクビクと跳ねた。どこかで似たものを見たことがあるなとソグ博士は自分の実験を思い出し、自分に返ってきたかと煙を吐く。そして煙草を消し潰し、黒髪の女に歩み寄った。
『
さすがにもう駄目か、と考えながらもソグ博士は倒れる彼女に傘をかざした。振ってくる体液からふたりを守るためだが、しかし巨大な天球の爆発はそんなものでは受け止められなくて、波と化した体液にふたりは押し流されてしまう。Comaを燃やす火はこれで残らず消えるだろう、そしてかつて街だった残骸も。
蛍光水色の体液よりからくも顔を出したソグ博士は、夜の街が青く塗りつぶされていくことを知る。波間にゆらめくドルトンの四肢は黒く濡れていた。HappyBulletの影響下にあるのは明らかだ。
『
水かさが増していき、粘性のある体液からは逃れられずふたりはもう一度沈んだ。無理に目を開けば、見えるのは街の瓦礫と死体と薬莢が渦巻く絶望的な宇宙空間だ。やがて呼吸を諦めたソグ博士は、黒髪の女の手を握ったまま意識を手放した。Comaは渦巻き、押し流される瓦礫と一緒になって大宇宙の中心にたゆたう。
命の起源はこうして終わる。
ある伝承。
かつてComaには、命の起源たる太陽とその眷属が生きていた。
----も眷属のひとりだった。
----はComaを追放された。
----は必ず人を殺せる魔道具を手に入れたのち、Comaを襲った。
----に眷属はすべて殺され、太陽は破裂させられた。
破裂した太陽の体液はやがて海になった。
(その伝承に、HappyBulletの素材になった子種たちの名の記載は無い)
(この伝承に、不足している情報があることは明らかになっていない)
(この伝承に、追記が行われる日が訪れるかは分からない)
(グレゴリールームに時間跳躍の力は無い)
(数多の世界に流れ着く船)
(子供たちの難破船)
(たゆたう)
……誰かが私を引っ張り上げてくれた。
反動をつけて、放り投げて。
冷たい床に転がる私を見て、ああごめんなさい痛かったでしょうと労る。
なんとか答えようとしたが、声がかすれて何も伝えられやしない。
私の瞼が開かないのは、神種の体液がこびりついているからだろう。
ややあって優しく頭を撫でられた。
それから、いたずらを咎める「お決まり」のおでこ叩き。
最後に頬へ優しく唇が寄せられた。
「さよなら」の挨拶だ。
おかあさんって声をかけたけれど、どうやっても伝わらなかった。
温度が離れる。
部屋は静寂に包まれる。
おかあさんとの2度目のお別れだった。
頭をふると、瞼に張り付く体液がようやく剥がれ落ちた。
薄目を開けば、そこにあったのは汚れたハンカチだ。体液じゃない。
邪魔だと思ってどけようとしたけれど私に手がなかった。
そういえば私は母種に殺され死んでいる。
自分がどうなっているのかを把握する前に、まず此処が何処なのかを理解する。
グレゴリールームだ。
戻ってきた。
目線を動かすと、鏡が私を覗き込んでいた。
状況に思考が追いつかない。鏡には首だけの私が写っている。
私の頭はもう無いはずなのに。
ドルトンから奪ってしまったのかもしれない。
鏡をよく見ると、鏡の下には白衣がくっついている。
そこから枯れ木のような手が覗いていた。
指輪をはめた枝が香草煙草を弄んでいる……。
「お前、ソグか?」
生首なのに私からは問題なく声がでた。
名を呼ばれた鏡頭はゆっくり頷く。
よく見ると、削げ落ちた顔の表面が銀色になっているだけだ。
耳から後ろは頭が存在している。
どちらにせよお互いマトモな人じゃない。
鏡が角度を変えると、鏡面に別の人影が映った。
「5発食らいましたよ」
黒衣の男だ。この声はドルトンだろう。
右目があるべき部分には骨が長く生えていた。代わりに左目が2つ在る。
袖から覗く手、そしてズボンの裾から覗く足は黒く染まっている。
それはゆっくりと歩きだした。
ズルリと長い竜の尾が赤茶に汚れたリノリウムの床をこする。
「ならあと2発か……」
「弾は全部撃ち尽くしましたよ」
ドルトンは私を抱える。思ったよりも優しい手付きだった。居心地が悪い。
ソグが私を追うように鏡面の向きを変える。
グレゴリールームには3人いる。
太陽は爆ぜて、Comaが生命のスープに変わったところまでは覚えている。
それから調べてわかったこと。
太陽はあらゆる世界に流れ込み、
すべて混ざりあい、混沌の存在に成ったあと、人はまた分離したようだ。
再生機構が壊れたので、産まれなおしも存在しない。
つまり私たちが気を失っている間に、人はそれぞれの役目を解かれてしまった。
もう私には、彼らが何の種にあたるか分からない。
みんなからみんなを感じる。
みんなに子種も混ざっているが、私たちはそこに混ざれない。
「お前の神殺しの結末がこれですよ」
グレゴリールームの窓の外には新しい世界が広がっている。
「そして、受けた罰がこれです」
ドルトンは私と、ソグと、自分を順番に指さした。
最後に竜の首飾りがあったはずの胸元を虚しく弄る。
あの激流で失くしてしまったのだろう。
「もはや私たちは旧種と言えましょう……」
「子種がいないなら、HappyBulletはつくれないな」
ソグが自分の鏡面に口紅を使って文字を書いた。
『1億殺せば2発分くらいになるかも』
「バカを言うな」
ソグの冗談は前から嫌いだ。
「もう
ドルトンがぎょっとした顔を見せたのは、鏡に映っているから私にバレている。
どつくための腕はもう無い。
なぜ頭だけが遺されたのだろう。
もう
でも、おかあさんに頭を撫でてもらえた。
キッチンは封鎖されている。
白い床には血の跡が遺っている。
武器を集めた木箱は捨てられていた。
空いた壁にはこれまでに殺した私の名前が記されている。
「これからどうしましょう?」
ドルトンが問う。ソグは肩をすくめるだけだ。
これからのことなんて、何も考えていなかった。
神を殺したあとにやりたいことなんてない。
もとより私は死んでいる。
ドルトンとソグを置いて、どこに消えるつもりだったのだろう。
「……お前たちを故郷に返そうか」
「もう無いのに」
ドルトンが呆れたように言う。
ソグがバカにするような仕草を見せる。
いっそ私も頭が遺るより胴だけ遺してほしかった。
この姿では考えることしかできない。
『新種を驚かしに行こう』
見かねたソグ博士が提案する。
「まったく、お前というのはいつもそうばかなことを」
ドルトンが私の頭を抱えなおした。
このままではソグの提案が通ってしまう。
「じゃあ、海が見たい」
「驚いた」
ドルトンを見上げると、口から青い舌が覗いていた。
「海なんて見てどうするつもりです」
『神様の死骸見学だろ』
「ちがう」
見れば何か答えが出るかもしれないと思ったにすぎない。
罰として海に放り投げられるのもそれはそれでいい。
久しぶりに得た脳は重く痛む。
「お前たちは」
私はこれからの振る舞いが分からない。
「まだ生きるのか?」
ドルトンとソグが顔を見合わせた。
息のあった動きが腹立たしい。
「アー……そうですね。お前のせいで、私のすべては、めちゃくちゃで」
ドルトンは私の頭を強く抱きしめる。
「もうウルク・グア・グアラント様の御許に逝けない身なのです」
苦しくはない。今の私に呼吸は必要ない。
『そいつが起きて最初にしたことって』
ソグが文字を消しては書くことを繰り返すたびに白衣の袖がピンクに汚れる。
『焼身自殺』
「でも燃えませんでした」
私の頭をドルトンの竜の尾が撫でる。
『燃え盛るComaで無事だった時点で諦めろ』
「お前の信じる神なんていないとあれだけ言っただろう」
「お黙りなさい」
尾が私の口を塞ぎ、ドルトンの手は黒衣の胸にあてられる。
「御許には逝けませんがその御心は私と共に」
『そしてそのしっぽと共に!』
狂信者かくありきである。
『あんたが死んでもおれは生きるぞ』
ソグは無様でも生にしがみつく男だ。
哀れにも自分の生だけは決して手放そうとせず、だから今もこうして居る。
どうやらドルトンは消極的に生を、ソグは積極的に生を選んだ。
私はどうしようか。
『支度しろ、海を見にいこう』
話を強制的に切り上げられる。
「3人で行くのか?」
「お前を置いていったら意味がないでしょう」
「発案者は私だ」
「そうでしょうとも」
『おれも行くのが不満?』
「そうじゃない」
『新種を驚かしに行こう』
「それが目的ですか?」
『せっかくこんなおもしろいツラになった』
「魔法とやらで戻せばいいではないですか」
『瓦礫に前頭葉を削がれたからできない』
「……。」
『Never mind!』
死ぬためじゃない外出はいつ以来だろう。
『ところでこの状況だと不便だから』
ソグが私の眉間をつつく。
『名前を教えて』
「なまえ……?」
「お前のですよ」
「これまでなくても差し支えなかったろう」
扉を開けてからそんなことを尋ねるなんて。
目の前には草原と青空、遠く遠くに海が見えるのに。
私たちは足踏みをするようにグレゴリールームの出入口に立っている。
『"
名を借りようと思ったが真っ先に"ユー"が潰された。
それに
その死は意味あるものだったという称賛は慰めにもならないだろう。
これにて永遠のさようならとする。
「無いならつけてあげましょうか」
「やめろ、自分で考える」
悩みだすと時間がかかりそうだ。
私ははやく、海が見たい。
「道すがら、考えよう」
銀の弾丸にもう刻めない名を。
HappyBullet・完
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