no.49 ンョシイネカンイリ『更生ショップ』
Comaにて『この世の支配者』たる神を殺す。
黒髪の女の悲願をかなえる準備は、もはや整ったと言えるだろう。
グレゴリールームには溢れるほどのHappyBulletが転がっている。弾丸に刻まれた名前を指でなぞると、各々は非業の死を嘆き訴えた。
歪んでしまった起源の犠牲者たち。ソグ博士は嗤う。自分はこうならなくてよかった、と。
一方で、ドルトンは狂気の渦中にいる。
黒髪の女が神を殺せと叫ぶ。「そうあるべきで当然」という、かの宣告に噛み付くために。
たとえ自分の企てが
あの一言で膨れ上がった感情は自分だけのものだ。
HappyBullet。7発当たれば必ず殺せる魔法の弾丸。
腕の悪さを補うために、子種は幾度となく
「今回はうまく行くといいなァ」
煙をくゆらせながら、灰髪の男は扉を眺めている。手は大きいが骨のよう、体躯は細く枯れ木のよう。
「もっと気合いが入るお言葉がほしいところです」
黒髪の男は、古竜をあしらった首飾りを握りしめている。
グレゴリールームの扉を開き、ふたりの男はComaに飛び込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
水色の空、ちょうどよい気候。ふたりは芝の上に落ちた。
ドルトンが先、その上にソグ博士が着地する。ウッと短い声をあげるドルトンを無視してソグ博士は辺りを見回した。
白い太陽が輝いている。Comaはこんなに明るかっただろうか?
「お客さーん、大丈夫ですかー?」
遠くから声がした。ソグは銃型の魔道具を反射的に向ける。
丘の上に立っているのは、黒い髪をした少女だ。彼女よりも後ろの方に、小さな家も確認できる。
「あれは『子種』です。もうComaに再生したのか……」
ソグ博士の下敷きになりながらも、ドルトンは絶望の声を漏らす。
「だからあいつの声、もう聞こえないのかね」
ソグ博士の言葉に反応するようにドルトンの右腕がバンバンと動いた。ちがう、と否定を訴えている。
「いや……あの少女は
「子種に分球でも居たっていうのか。そんな話は聞いたことがなかったなァ」
ふたりが言い合いをしている間に、黒髪の少女は丘を駆け下りる。
「立てますか? 大人を呼んできましょうか?」
そしてソグ博士が構えている銃型魔道具に気づいて首をかしげた。大きな目をキラキラと輝かせて、興味深げに小さな白い手で触れる。
「それはなんですか?」
お前を殺す道具だとソグ博士は告げようとしたが、直後に「ンイリー」と呼ぶ大きな声がしたので機会を失った。
「お客さんなら案内しろよー」
今度は若い男がやってきた。ドルトンは反射的に腰元の銃へ手を伸ばして立ち上がった。
ドルトンの上に乗っていたソグ博士が転げ落ちたので、黒髪の少女があわててソグを抱き起こした。
「裏口から入られたのですか? 珍しいお客さんだ」
黒い髪の男は朗らかな笑みを浮かべ、ドルトンとソグ博士を交互に見る。
「ともかく、ようこそいらっしゃいました。お持ち帰りをご希望ですか? それともイートインご利用ですか?」
ドルトンが殺意を言葉に変えて吐き出そうとした瞬間「ンイリ! ルァヴ!」という別の声が飛んできたので、結局その言葉は喉奥にとどまった。
「お客さん帰るから案内してあげて~!」
陽気な女性の声。少女が「はーい!」と返事をし、男は「ンイリは行っておいで。おれはこの人たちを案内するから」と指示を出す。
『ンイリ』なんて呼ばれた少女は「この人たち、私と
「ここはどこだ?」
とうとう困惑の声をあげたのはソグ博士だ。
「Comaじゃないのか?」
「……なるほど、お客さん方は"迷い込んで来た"方ですね?」
男は慣れた様子でふたりを案内する。
「うちはお菓子屋なんです。家族経営の、ちっちゃいお店ですが」
ルァヴという名の男は、丘の上の小さな家を指さした。黒髪の少女が客を案内をしている様子が伺える。客は麻袋をかぶった見目なので人かどうかも判別できない。アレはかつて渡界先で見かけたことがあるなとソグ博士は気づいたが、ドルトンには分からなかった。
「イートイン利用がおすすめです。庭を眺めながら、ゆったりした時間をお過ごし下さい。それに」
敵意のない、それでいて営業スマイルというわけでもない、気持ちの良い笑みを浮かべる男。
「ここは確かにComaですよ」
彼は『護衛種』である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
チリンチリン、と控えめなドアベルの音。店の中、漆喰の壁にはたくさんの絵画が飾られている。ラフな似顔絵のようだ。ソグ博士が顔をしかめたのは、内装がかつての自分の住居と似ていたからだろう。
店に入ってすぐに、チョコレートが並べられたカウンターが目に飛び込んでくる。客側からはガラスで隔てられているので、欲しいものを店員に頼んで取ってもらう形式のようだ。
カウンターの向こうに立つ白衣を来た店員が、チョコレート・トングを持って「いらっしゃいませ」と冷たい営業スマイルで応対する。
「イートイン、新規様だよ」
ルァヴはカウンターの女性に告げてから、メニューをソグとドルトンに渡す。白衣の店員は、2人の客の足元から頭のてっぺんまで一通り見て冷ややかに告げた。
「お客様、銃器はこの店では不要なものです。差し支えなければロッカーをご利用くださいませ」
店員を見てドルトンは『家主種』と呟いた。ソグ博士は「手元にないと落ち着かないんでね」と店員にヘラヘラ笑う。それ以上は彼女から追求されなかった。強制ではないらしい。
「ちょうどテラス席があいています」
ルァヴがふたりを案内する。色とりどりの花に溢れた庭を眺めることができる良い席だ。ソグ博士は庭を眺め、ドルトンはすぐメニューに目を落とす。
「『ハッピーコース』で」
ドルトンはすぐに注文を決める。
「承知しました。スイートとビター、どちらかお選びいただけます」
「スイートでお願いします……」
「承りました。そちらのお客様は……お決まりになりましたら、この呼び鈴を鳴らしてくださいませ」
銀のベルを置いてルァヴが去る。
だが去り切る前にソグ博士が乱暴にチリンチリンチリンとベルを鳴らしたので、一瞬つんのめった動きを見せた後にテーブルまで引き返した。
「お決まりですか?」
「おすすめをくれ」
そんなのメニューにありましたっけ、と訝しむドルトンをよそに、ルァヴは「お任せ下さい」と笑顔をみせ、今度こそテーブルから離れた。
「ずいぶん人気のお店のようです」
「人がいるようには見えないが? おれたち以外はな」
ふたりは顔を見合わせ、そして互いに厭な笑みを浮かべた。きっとそれぞれ見えているものが違うのだろう。
「ここは、本当にComaですか?」
「そんなわけがない。おれのミスだ。渡界先を間違えた!」
「お前が素直に誤りを認めるとは」
顔をつきあわせ会話するふたりに黒い影がかかる。
「ウェルカムティーです」
ルァヴと似た面影を持つ中年の男が、カップとポットをテーブルに並べた。
「これはソーマ・ティー。葉はうちの庭で採れたものを使っています。極めて高いリラックス効果が証明されていますよ」
自信を持った様子で告げる彼は『塔種』だ。
「砂糖はお好みでどうぞ。ソーマ・ティーを飲むのがはじめてでしたら、まずはミルクを入れずにお楽しみ下さい」
「庭で
ソグ博士は不遜で人を試すような物言いにも、父種が動じることはない。
「彼の管理する、自慢の庭ですよ」
手のひらを向けた先には草木を手入れする『庭師種』の少年がいた。
「彼は植物の世話に関して天才的な腕を持っています。将来が楽しみです」
身内自慢をしてすみません、と謝ってから男はテーブルを離れた。そして別のテーブルに置きっぱなしだったカップを下げる。
ソーマ・ティーはお菓子の味を邪魔しない、ほどよい甘みのあるお茶だった。
頼んだメニューが来るまで、ふたりは庭師種の少年を眺めている。やがて赤いリボンの少女が姿を見せた。彼女の仕事、客の見送りは終わったようだ。
少年少女ははしゃいだ様子で、そのうち「やったね」と手をあわせてじゃれる。
「世に生きる2割の人はおれのことが好きなんだってよ」
「急に何の話ですか……」
「どこかの世界で聞いた、そういう割合の話だ」
庭師種は往々にして、庭へ遊びに来る子種を歓迎する。
「で、他の6割はおれのことをどうでもいいと思っている」
「残りの2割は?」
「おれのことが嫌い」
「じゃあ私をその2割に含めておいてください」
ソーマ・ティーのおかわりが入ったポットをふたりは奪い合う。渡界先で知った指勝負をした結果、ソグ博士が勝利をおさめた。
「逆に、私も世の2割の人を好いているのだろうか」
古竜教の信徒はみな好ましいが、さすがに全人口の2割には至らない、とドルトンは溜め息をこぼす。
「俺は
飛び石のように並ぶ人間を思い出し、ソグ博士は自嘲の笑みを浮かべた。
「『ハッピーコース』のお客様」
店員は入れ代わり立ち代わり現れる。今度はふくよかな女性だ。彼女の顔を見て、ドルトンが立ち上がった。
「母さん、どうしてここに……!?」
「アラ? わたし、あんたのお母さまに似ていたかい?」
ウフフと『母種』が笑う。茶目っ気のある女性だ。
「あいにく人違いよ。私はね、ルァヴとイァフとンイリしか産んでいないわ」
ほらあそこにいる子がンイリ、と店員は続ける。
「あんたみたいな男前、わたしにゃ逆立ちしたって産めないわよ」
ケラケラと笑う店員だが、ドルトンの価値基準でいえばルァヴは整った顔立ちに分類される。ドルトンは力なく着席した。
「さあ、まずはうちの自慢のクッキーをどうぞ」
金の皿に乗せられた四角いクッキーをテーブルに置いて『母種』は去った。
クッキーを口に運べばホロリと崩れる。ドルトンはそれを咀嚼しながら泣いている。ソグ博士は気にせず、庭にいる2人の子供を眺めている。
やがて喧しくドアベルが鳴った。
顔を伏せたままのドルトンはそれには無反応で、ソグ博士だけが緩慢な動きで店の入口に目を向けた。
現れたのは身長200cmを超える大きな男だ。『貴族種』特有の鳥仮面を付けているので彼の表情は伺えない。
男は飛びつくようにカウンターにすがり「これと、これと、これと、これと、あとこれと、これと、これと、これだ」と次々チョコレートを指さした。
白衣の店員は指先を目で追って、商品名を淡々と告げる。
「確認します。ライカ、テセウス、リョウコ、ソグ、ヌイト、リゴール、ドルトン、セイジですね」
銀のトレーに並べられていくのは小粒で見目の良いチョコレートたち。
「今日はおひとつずつでいいんですか?」
「妻から甘いものを控えろってとキツく叱られてね!」
男はハハハと大きく笑った。店員はそうですかとだけ答え、薄く四角い上等な箱にチョコレートを移し替える。
――カウンターのやりとりをふたりは渋い顔で眺めていたが、現れた少女に遮られた。
「ハッピーコースのお客様、こちらリンゴタルトとブラッドローズティーです」
子種の少女が色の良いタルトと赤い紅茶をドルトンに差し出す。そしてソグ博士に白いケーキを差し出した。飾りつけもなにもない、ともすれば未完成品にも見える立方体のケーキだ。
ソグはそれを見て目を見張った。ドルトンは、俯いたままでケーキを見ていない。
「こちらは、おすすめの『愛情たっぷりケーキ』です」
子種の少女・ンイリは照れ笑いしながら誇らしげに告げる。
「それが商品名か?」
「はい。店長が名付けました。当店のオリジナルケーキです」
ペコリと元気よく頭を下げ、ンイリはテーブルを離れた。貴族種が彼女を呼ぶんだので少女は軽い足取りで駆け寄った。
鳥仮面の男は上機嫌そうに笑い、子種の頭を撫でる。それを眺める白衣の店員は口元が少し緩んでいた。
ソグ博士は視線を戻してケーキを食べることに従事する。しかし、口に運んでも口に運んでも、味がまるで感じられない。
「おい童貞」
「な、んですか」
悪口に言い返す気力もないようだが、それでもドルトンは涙声で短く答えた。
「リストアドラッグの味、覚えているか」
「何の話でしょう?」
「いや、いい」
ソグ博士は残していたソーマ・ティーを飲み干す。次に呼び鈴を雑に鳴らし、やってきた老人にソーマ・ティーのおかわりを注文した。
老人の背を見て『司書種』とドルトンはつぶやき、それからようやくリンゴタルトを口に運ぶ。その速度はどんどん早くなり、最後にはがっつく形になった。
おやおやと言いながらそれを眺めていたソグ博士は、手持ち無沙汰になったので内ポケットからタバコを取り出す。火をつけようとしたが、どこからか手が伸びてきてタバコの先が握りつぶされた。髪をひとつにくくった気の強そうな女性店員が立っている。
「店内禁煙です」
『仕立種』はキツく言うと、タバコごと取りあげる。
「そいつ、高いんだけどなァ」
「他のお客様にご配慮をお願いします」
イートインスペースに他の客など――ソグ博士には見えないが、これ以上やりあう気もなかったので「ハイハイ気をつけます」と雑に返すしかない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ドルトン、それで、いつ殺そうか?」
ソグ博士はおかわりのソーマ・ティーをチビチビと飲む。ドルトンは答えず、漆喰の壁に貼られた『働き手を募集中』の広告を眺めている。
「おーい聞けよ童貞」
「やめときなよお客サン、この店で物騒なことは」
第三者が空いている椅子に勝手に座った。
金髪で、あごひげのある、軽薄そうな男だ。ドルトンは彼に見覚えがある。前の渡界先で会った"占い師"の男とよく似ている……。
目の前の彼も、いつかの占い師と同じく『花種』だった。男はソーマ・ティーと共に提供された『ワトシン』という名のチョコをソグ博士から奪うと一口で食べてしまった。彼の青い舌は人の目を引く。
「おまえは何だよ?」
「イァフってんだ」
カウンターからルァヴが「イァフー働けー」と声をかけるが、当のイァフは追い払う仕草をしただけで立ち上がる気配は一切ない。
「Comaに賢者はいないぞ? なんせすべてが愚者だからな」
ソグ博士が嫌味を言う。イァフは片眉をあげた。
「オレも『賢者種』なんて聞いたことがないね。やっぱりアンタら、菓子目当てのお客サンじゃないな。おっと、手荒なことはやめてくれ花は折れやすいって決まってる……うちの庭師が悲しむだろう?」
「おまえがこの
もともとは黒い川の渡し人だったソグは、やがて川ほとりに建つ古小屋を中心に『生死』を管理する存在になった。だから自分と同じように管理の役目を担う者には興味がある。
「管理なんてそりゃあ、花には荷が重いだろ」
「
ソグ博士はいよいよ銃型魔道具を構えた。イァフの眉間に照準を合わせる。
「オレの
「呼びにくいなァ」
「殺される前に知っておいてほしくてさ」
ソグは発砲しなかった。
代わりに握りこぶしでティーカップを叩き割ったので、それまで消沈していたドルトンは驚いて顔をあげる。イァフもソグの癇癪に似た行為に目を丸くした。
「花は子以上に健気だなァ」
「褒めてる? うれしいね」
「いや。役割に忠実すぎて吐き気がする。花相手じゃ話にならない。ここの責任者はどこだ? 出てこい!」
ソグがわめき散らすので『ルァヴイァヴリ』が落ち着かせるために飛び出した。
しかし直後、彼の進路を遮るように木の扉が開いたので、鼻頭をぶつけて転がってしまう。
そうやって開いた扉の向こうからは、枯れ木のような腕が伸びた。
骨にも似た大きな手を動かしソグとドルトンを招いている。
「VIPルームへどうぞ」
ぶつけたルァヴの鼻はンイリが診ている。イァフがソグとドルトンを連れ立って木の扉に誘導した。そしてふたりの背を強く押す。
「この部屋にいるのが、アンタの会いたがっている責任者さ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『その家は2階建て。1階にはあらゆる幸福在り』
『2階には富在り。この家に、2階へ至る階段はない』
VIPルームの壁には血文字の走り書きがあった。
漆喰の壁、木の床、そして3つの粗末な椅子。それ以外には何もない。
――そして黒い服を着た、ソグ博士に似た男が窓際に立っていた。
「双子ですか!?」
「んなわけあるかよ」
ドルトンの驚嘆をソグ博士が即座に否定する。
「おまえが『神種』だな」
「つまり、お前に似た彼が
ドルトンは牽制のために銃を構えるが、
「……騒ぎを起こすようであれば、私の店からお引き取りいただけないか」
「『ンイリ』の骨をもらえば勝手に帰るよ」
「それは駄目だ、承知できない。親から子を奪うな。そんなことは、辛くて見ていられない」
神種の男は途端に饒舌となる。
「今さら!」
今度はドルトンが声を荒げる番だった。その口から飛び出したのは、黒髪の女の憤怒の声だ。
「今さら……そうだね。しかし私は更生をしたんだ。愛を知って私は変わった」
「おれのツラして『愛』とか言うのやめてくんないかなァ……」
「君は愛を知らぬからそんなことを言うんだろう」
ソグ博士は口元を抑える。
ここで食べた白いケーキの味は、確かに分からなかった。
「ここはいい所だろう。みんな、ここでは本来の役割を全うできる。だから安心して愛し合える。笑顔に溢れて、幸せに過ごせて……なんてうまくいっている世界だ。理想郷だ。これこそが正しかったんだ……」
「だから救いを感じてヨソから客が来るんだな」
部屋の窓にはカーテンがない。歪んだガラスの向こうに、整備された庭が見える。
たくさんの客の影が行列をなしてこの店の扉を叩く。
麻袋を被った者を思いながらソグはタバコに火をつけた。
神種は
「私はここで店を広げ、新たな街をつくろうと考えている。だから君たちには、そっとしておいてほしい。代わりにComaへの手出しは妨害しない」
「ここがComaだと店員は言っていましたが?」
ドルトンの問いに神種は含み笑いで首を振る。
「真に受けるなドルトン。ここは『デッドコピー』だ」
つまらないと言いたげな顔をしてソグは言う。
「あるいは、君たちが本当に求めているものが此処にあるかもしれない」
「今度はきっとうまくやれるでしょう、ってか」
「騒ぎを起こさないと約束してくれるのなら君たちもここに居て良い。この店は君たちを歓迎する。その時は働いてもらえるとありがたいな、客が増えて、人手が足りていないんだ」
「ノアの箱舟の話をあんたは知ってるか? 旧約聖書にある」
「……私と会話をしよう、ソグ」
神種は説得を中断する。ソグ博士は朗らかに笑い返した。
「おれは現存する『子種』で最も頭がいい男だ。おれより頭がいいやつはみんなHappyBulletにしちまったからな。おれは賢くてクズな
「子種たるソグ」
神種は説得を再開する。
「
傍から見れば真摯な説得。
「それは
賢明に対話を望む、かつての支配者が反省した姿。
「君がどう在るべきかは
だがその根底はもちろん。
「そんなの嫌だね!」
駄々っ子のような声をあげて笑う
「君はいつでも私の理想を踏みにじる……」
「いやいや見解の不一致だよ、おれたちの偉大なるパパ。子供ってのはわがままを言うもんなんだ。あいつもわがままだったしなァ。そして
「違う、違う、
ふたりのソグの応酬を呆然と眺めるドルトンの腕をとって、ソグ博士はVIPルームに背を向けた。
「さよならだな、粗末な
「それは……吉報だし、残念でもある」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
勇んでVIPルームから飛び出したソグ博士だったが、ドア止めに足をひっかけて躓いてしまう。ドルトンを巻き込んで倒れてしまい、ふたりの持ち込んでいた銃器や魔道具がバラバラと床に散らばった。
見かねたンイリとルァヴが手を貸し、落とし物を拾う。ソグ博士の目線はテーブルの下に向けられていたが、皆はドルトンが引き取るたくさんの銃器に目を奪われているので、ソグ博士の弧を描く口には気が付かない。
「ありがとうな、お嬢ちゃん。
急に愛想がよくなったソグ博士に、ドルトンと、傍で聞いていたイァフが面食らった顔で目配せをした。
「ンョシイネカンイリっていうの」
「くっそ呼びにくいな」
「だからみんな、ンイリって呼ぶよ」
「アッやっぱりみんな呼びにくいって思ってんだな?」
「
ルァヴの言葉に「そんなもんか」とソグ博士が気もそぞろに答える。そのやりとりの間にドルトンは支払いを済ませていた。
受け取ったレシートには『TrueComa』と記されている。
店名を見てドルトンはとびっきり嫌そうな顔をして、ソグ博士は引き攣ったように笑った。
「お客さんがお帰りだから、見送ってあげなさい」
店の子供たちに指示する母種を制し、ソグ博士は笑顔で「大丈夫です」と答えた。
ドルトンは彼が
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
店を出て門までは一本道だ。こちらが本来の出入口となのだろう。空から落ちてきたふたりはイレギュラーな訪問だったと思われる。
石畳の道の左右に水辺が広がっていた。鏡のような水面に『TrueComa』と名付けられた店が逆さに反射する。
窓辺で見送る3人の子供も逆さに映りこんでいた。彼らの品種は
「今さら7発あったって、もはや誤差の範囲だと思わないか?」
「まぁ、そうかもしれませんが」
門までは距離がある。ふたりの男は同じ速度で並んで歩く。ドルトンはンイリを殺さなかったことを不服としていたが、ソグ博士は気にしていないようだ。
「そうだ。神種と同じ見た目をしていて、どんな気分でしたか」
ドルトンは、神種の説得に応じて退いたことを気に病んでいる。
「『ドッペルゲンガーに会うと死ぬ』って話を思い出したなァ」
「ドッペルゲンガー?」
「自己像幻視を見ると死ぬんだと」
「そうなんですか。お前は死ななくて良かったですね」
「ドルトン君にそんな優しい言葉をかけてもらえるとは!」
「だって次こそ本当のComaへ行くのですから……」
どこかの世界の田舎町に似た、のどかな光景を進む。自慢の庭師による美しい庭が遠ざかる。どこまでも続く水面に店が映り続けている。ふたりを見送るようにも、監視しているようにも思える。
「愛を知らない、とお前は言われてしまいましたが」
ドルトンが立ち止まる。ソグ博士は立ち止まらない。
「あの女への想いは、『愛』と呼ぶには不足でしょうか?」
ソグ博士は立ち止まらないので、置いていかれてはたまらないとドルトンは慌てて追いかけた。
「それを『愛』と名付けるなら、おれがそれを覚えるまでに何千年が必要なんだ」
ソグ博士は苦笑する。
「あの女が現れず、ずっとあの世界にいれば……いずれは俺も『愛』を覚えて、良き統治者になっていたのかもしれないなァ」
それを聞きドルトンがウエーと声をあげた。素直な反応にソグ博士は嗤う。
「んなわけないよな」
ソグ博士は懐から鈍色の筒を取り出して先端の水晶球を押した。背後で大きな音が炸裂し、水面が小波だつ。
ソグ博士が店に残した
ドルトンだけが唖然として来た道を振り返る。
「ハハハハハハ! Comaのコピーなんて残すわけねぇだろ!」
ソグ博士は手を広げ、演説のような仕草。大きな声で嗤い、くるくるとまわる。子供がふざける動きと同じもの。あわせて彼の白衣が舞った。
「あいつにできないことをするためにおれは生かされたんだろう?」
「ああ、なんてお前らしいのですか」
呆気にとられていたドルトンだったが、やがて急におかしく思えて、彼も大笑いをはじめる。そうしてふたりで、馬鹿みたいにはしゃぎながら走った。
誰に諌められることもなく悪童たちは門を出ていく。
二度と戻ることはない。もう戻れる場所でもない。
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