no.46 于ェルダシャ『喰う意味、喰う意義、自問自答』

 昨日はボロを着て寝る日。

 今日はきれいな衣装の日。

 周りの種は好き勝手に、彼女へ役目を押しつける。


 『財産種』の中でも『母種』と『子種』は一貫して立場が悪い。創造主にこだわりがあるのだと『貴族種』が嗤う。はたしてそれが真実か、相手に問える日は来ない。

 太陽は高く昇っていて、子種には手がとどかない。


 昨日までずっとひもじい日。

 今日はステージで舞うための日。

 媚びて甘える仕草を見せれば、相応の報酬がいただける。

 この時ばかりは母種も子種のようにふるまった。


 子種はそんな母種が嫌だった。いつもの、たおやかな人でいてほしいのに。


 ふたりは『親子』という組み合わせを義務付けられた関係だ。

「ごっこ遊び、楽しそうでいいなぁ」

 『庭師種』にはそう憐れまれるが、子種には"ごっこ遊び"というつもりがないので聞こえなかったふりをする。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


「呪われそうだな」

 ソグ博士は笑う。

「こういう追悼儀式もあると耳にしたから……」

 ドルトンも引きつった笑みを浮かべながら皿を並べた。


「なあ、ハンバーグって偉大な料理だと思わないか? たとえ肉の見てくれが悪くても、叩き潰してこねてしまえば見た目がすっかりごまかせる。肉の質が悪くても、たくさんの混ぜ物のおかげで味すらごまかせる!」

「知らない料理はつくれませんから」


 金の皿には薄く切った肉が積まれている。たっぷりかかった香草ソースで色も匂いも気にならない。きっと味だってごまかせるだろう。


「あんたのところの宗教は"人喰い"が禁忌だったりしないのか?」

「ウルク・グア・グアランド様は『罪人を食らい罰する』という役目も持っています。竜典第5章13節です」

「ああそうかい」


 テーブルの隅には銀の弾丸が転がっている。それらには一本線が刻まれていた。意匠に深い意味はなくただの目印に過ぎない。

 転がる3つの弾丸は"黒髪の女"の骨肉から創られしHappyBullet。そして彼らの今日の食事は、弾からあぶれた死肉である。


 これは、ある儀式のため。ふたりは自分に言い聞かせて口に運ぶ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


 "母種の派生"に殺された黒髪の女の死体は、それはもう「酷い」の一言であった。かつて彼女は、とある世界のタイムトリッパーの手で何十もの死体になったが……それでも本体(グレゴリールームの3人が認識している"黒髪の女"を指す)は無事だった。


 ところが今回はどうだ。

 本体が犠牲者だ。

 とりあえず、以前にそういった経験があったこともあり、ふたりは黒髪の女の死体を弾丸化した。

 ルーチンワークをこなすことで、ひとまず大きな混乱から目をそらす。


 でもこれからどうすればいいのだろう?

 子供たちはただ、先を走る子に着いていっただけだった。

 転がる弾丸を前にふたりの男は呆然と立つ。


 しかし待ち望んだ"天啓"は存外早くに降りてきた。それもドルトンの右腕から。


 弾丸を並べて項垂れる彼らの前で、ドルトンの右腕が急に動き出し、置いていた銃を乱暴に掴んだ。

 驚き息を飲むドルトンの意志に従わず、右腕は壁の時計に向け鉛弾を撃つ。それは大きくはずれて壁に当たった。

 目を丸くしていたソグ博士だったが、やがて「下手くそ」と悪態をついた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


 ドルトンは覚えている。かつて黒髪の女に殺されて、彼女に取り憑いた魂がいた。

 ゆうれい、ゴースト、さまよえる魂……古竜教において「地にとどめてはいけない存在」。黒髪の女の凄惨な殺人旅行は、彼女に死後の振る舞い方も齎したようだ。

 どうすれば死んでも自分の目的を達成できるかを。

「だからって、よりによって私に憑きますか!?」

 ドルトンは覚えている。ニイナという名の少女の、哀れな魂の慰めにずいぶん時間がかかったことを。


『生前の無念を晴らしたら、天に召されるという話が古竜教うちにある』


 確かに己の口でそう告げた。

 でもそれは、彼女の憎悪する"Comaの主"をこの手で殺すこと!

 そして彼女にとっての"天"とはComaそのもの!

 黒髪の女の代わりに彼女の悲願を達成しても、彼女の還る先がない。


「であれば、別の方法か……」

 ソグ博士は煙草をふかす。白い煙が彼の顔を隠しているのに、笑っているのはわかってしまう。


 塩をまく。退魔の呪文。高周波。炎で炙る。念仏を唱える。ナメクジを這わす。滝に打たれる。プラズマダイブ。日光を浴びる。髪を切る。写真を燃やす。魔除けのタトゥ。お香を焚く。ブドウを食べる。聖歌。除霊アプリケーション。涙を枯らす。ネクタルを飲む。酒風呂に浸かる。ドリームウェブ起動。念仏をとなえる。虚に堕ちる。アンテナを立てる。御札を貼る。霊峰に登る。破魔矢を飾る。十字をきる。静脈から血を流す。逆立ちをする。月光を浴びる。魔法陣。墓をつくる。死肉を食べる。


「自殺はちょっと……」

 弾丸を込めたサブマシンガンを前にして、とうとうドルトンは困惑の意を述べた。


 これまでなりふり構わずやってみたが、結局何をしても無駄だった。音を上げるソグ博士とドルトン。

 ふたりのあがきを幽霊の女が何も言わずに眺めていたのがまた不気味である。


「そろそろサーチが終わるだろう」

 ドルトンが口を動かした。その声は黒髪の女のものだった。ソグ博士は目を細める。ドルトンはずっと観念したような表情だ。

「弾数は多い方がいい」

 ドルトンは声に促され席を立つ。聖職者の背後に影が広がる。

 髪を揺らす黒髪の少女が、まるで守護霊のように憑いている。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


「僕を食べてくれないかな?」


 さて、標的はほぼ全裸の状態でソファの上に寝転がっていた。


 彼の白い表皮には蛇が這う奇抜な入れ墨。全裸であるという視覚情報から、入れ墨が幾分か気をそらしてくれる……。

 彼の股間の上で、子鹿に似た毛むくじゃらの生物がうずくまっているので、幸いにしてことはない。

 とは言え、人を殺しに来た身としてはあまり気の進まないシチュエーションだった。まだ道を歩いている時に不意打ちで殴り殺す方がマシだとドルトンは思う。


「そんなつもりで来たわけではないのですが……」

 つい毛むくじゃらの子鹿を眺めてしまうが、あまりここを注視すると思いもよらぬ事故が起きそうだ……なお黒髪の女は、今は何も言わずドルトンの影に潜んでいる。「ずるい」とドルトンは苛ついた。


「君に殺されてあげるんだから、お願いを聞いてくれてもいいんじゃないかな?」

 月の満ち欠けを瞳に宿す青年は、ドルトンの持つ銃を指さした。彼は人差し指の爪だけが長く尖っていた。

「于ェルダシャ、有利な立場を装うな」

 黒髪の女が毒づいた。彼女の影はソファの後ろに掲げてある巨大な額縁に写り込んでいる。書かれているのは樹形図のような絵。手のような形をした黒い染みが樹形図をなぞる。

「お前はではないだろう」

「よその人なのに、この図画が読めるの?」


 ほぼ全裸の青年は観念したように息を吐くと、ゆるゆると子鹿の頭を撫でた。それを受けて子鹿が嬉しそうに頭を振る。ドルトンはハラハラしながら、それでも銃口を彼の胸元からそらさない。きっと黒髪の女だったら青年の眉間のあたりを狙っていただろう。当たるわけがないのに。


「あの、自分にも分かりやすい説明をお願いします。簡略的なものでいいので……」

 ドルトンが于ェルダシャに頼んだが彼は小首をかしげて笑うだけ。ドルトンは黒髪の女に同じお願いをすると、彼女は舌打ちの後に図画の内容を読み上げた。


 ――この世界には人喰いの怪物がいる。

 怪物に食われることが、この世界において天に召される条件である。

 怪物の腹に収まらなかった遺骸は不浄の存在として海に落とされる。

 そしてこの世界の人喰いの怪物は、すべての人を食べてくれるわけではない。

 発生した順番待ちは、いずれ身分となり、そうして今に至る。――


 そこまで聞いて、ドルトンが気分の悪さを訴えた。

「あのう、于ェルダシャさん。古竜教に改宗しませんか? 怪物に食われずとも、死後に竜の火に焼かれることで浄化ができるのですよ。ウルク・グア・グアラント様の加護を共に受けましょう、きっとそれがいいですよ!」

 今度は黒髪の女が気分の悪さを訴えた。

「いつになったら理解する? お前の信じる神など居ない」

「居ますとも。神は我が故郷の空に、そして私の胸の内に」

「君は竜の使徒なのか!? 最高じゃないか」


 ほぼ全裸の青年が起き上がろうとしたので、ドルトンは頭上を狙って1発撃って牽制をはかる。

 その音に驚き子鹿が逃げて、"ほぼ全裸の青年"は"全裸の青年"と成ってしまう。ドルトンはアーアと落胆の声。青年がその声を意に介することはない。


「人の身でありながら怪物の所業を行う竜の使徒なんて、理想的だ。どうか僕を骨まで残さず食べてほしい」

 于ェルダシャはうっとりとした目でドルトンを見る。彼の両頬には妙な印が彫られていた。ドルトンの右腕、長袖の下に隠した魔除けのタトゥに意匠が似ている。


「――私を」

 ドルトンは口元を手で覆った。

だと?」

「違うと言うのかい?」

 于ェルダシャと視線がぶつかった。青年の瞳は月の満ち欠けを繰り返す。すべてを見通す目。ドルトンは、魔法使いのたぐいがすっかり嫌いになっている。


 確かに、人肉を食べた。

 の成仏を祈って。

 しかしその目的は果たせなかった。

 竜典第5章13節はウルク・グア・グアラント様の人喰いを赦している。実はどれだけ拡大解釈をしても一介の聖職者には適用できない。もっと位の高い指導者なら話は別かもしれないが。


 であれば自分は、人喰いの怪物となったのか?


 大義を果たせなかったなら。

 その過程にある理念は無に還り、糾弾されるべきものと成る。

 黒髪の女が、骨を集めて回る行為だって。

 目的を果たせなければ、ただの殺人異界ツアーだ。

 では、それに加担していた自分はなんだ?


「わ、我らの始祖の、猛き竜よ」

 震える声のち銃声ひとつ。

「我らが神よ」

 銃声ふたつ。

「我らが祖よ」

 銃声みっつ。


 お前の祖は"私"だと、黒髪の女は説き続けているのに。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


「ウルク・グア・グアランド様、ウルク・グア・グアランド様」


 グレゴリールームの入口で、青年の死体とドルトンを迎えたソグ博士は、いつものように「ただいま戻りました」と言わないドルトンに少々面食らった。

 除霊を試みた時の、念仏を唱えるのと似た早口で、彼は彼の信じる神の名を繰り返し唱えている。

「ウルク・グア・グアランド様、どうか助けを、私に慈悲を」


「宗教ってすごいなァ」

 ソグ博士は煙草をふかしなおす。彼がいつもと違う香りをまとっているのは、その手にあるのが除霊に効くと云われた薬草をたっぷり使った煙草だから。

「折れる心を、ここまで保たせるもんかね」

 ドルトンはソグ博士を無視して、神の名を伴いながらキッチンに向かう。

 それに憑いていく黒髪の女も扉の向こうに消えていった。彼女の身体は黒い影、楽になれない哀れな魂。


 キッチンからは「食うなよ」という女の声。「食べません」という男の声。

 ふたりの心は、それぞれの神が支えている。

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