no.45 ヰナイ『死神の慈悲』

 星を見てしまった。


 それは不可抗力だった。少女は、水たまりに視線を落としただけだったのだ。

「あ、」と呟く少女に対して母親が咄嗟にとった行動は、運んでいた油壺を少女の体にぶちまけ火をつけることだった。


 一瞬のことだった。

 最初こそ慌てふためく周囲の人々だったが、母の"懺悔"を聞いて、火を消すための水を運ぶ手を止めた。そして次第に湧き上がる拍手。

 少女はその間も、燃えている。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇


 病院の白いベッドの上で少女は苦しんでいる。その隣の部屋で、たくさんの大人が言い争いをしている。

 戒律、権利、命、冒涜、保護、時代錯誤。少女に向けたキーワードが、彼女に届くことなく流れていく。


 少女は火傷で爛れた表皮を歪ませて、なんとか部屋の端に目を向けた。この部屋に入るのは白衣を着た人しか許されないのに、窓の側に黒い服を着た男が立っていた。

「あ、」と少女は呟く。

 爛れた、口だった箇所から覗く歯をすり抜けて、その声は吐息のように漏れる。

「しにがみだ」

 唇はなくても言葉は紡げる。少女の言葉を聞いてドルトンは眉根を寄せた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 この国において、領民は"星"の所有物である。

 夜空に浮かぶ星々は領民を囲い、所有物あるいは財産として扱っていた。

 星は欲深く、まれに自分の所有していない領民をたいらげようとすることがある。

 それを防ぐため、領民たちはつばの広い帽子をかぶって、よその星から姿を隠す。


 星からは一瞬、領民からは長い年月の後、その意味合いは変わっていった。

 「見られる畏れ」から「見るなのタブー」へ。

 領民が星を見ることは、恥ずべき行為だと認識されるようになった。

 つばの広い帽子は、星から身を守るのではなく、空を見上げないための物となった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇


 星を見てしまった。


 それは不可抗力だった。少女は、水たまりに視線を落としただけだったのだ。

「あ、」と呟く少女に対して母親が咄嗟にとった行動は、運んでいた油壺を少女の体にぶちまけ火をつけることだった。

 わざとじゃないと弁明する少女の言葉は、油に絡んで誰にも届かなかった。


「この子は未熟児として産まれた。私はこの子を生かすかどうか悩み、育てることを決めた。でもこの子は"星を見る"ことを選んだ。あの時の私が間違った行為を、ここで正そうと思う」

 母親の懺悔を受けて炎は強く燃え上がる。

「我が血族が星への忠誠を欠いているわけではない。私は、あの子と、あの時の私を罰した」


 拍手、拍手、拍手。あなたの発作的な殺しは、正しい。

 街角でも、事情聴取でも、病院でも、母親は同じことを言い、領民は同じように赦す。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇


 ところで、この世界に住む者すべてが空の"星"に忠誠を誓っているわけではない。"月"や"陽"の支配下に置かれた民だっている。


 空を渡って来る月の民は、みな揃って黒眼鏡を身に着けている。そして星の民の領土で「民の命を優先する」と啓蒙活動を行なっていた。

 星より民を重視するなど、星の領民にはない思想だ。


 陽の民はもっと過激であった。彼らは直接人と話そうとしない。不思議な通信で「星のルールは時代錯誤」と叫ぶ。

 貴方たちの歪んだ慣習は、今こそ脱却の時を迎えなければいけない。人は星の所有物ではないのだと荒い語調で語る。


 人々は言い争う。


 武器を手に取り対面することは、星と月と陽の間で結ばれた条約にて禁止されていた。彼らはあくまで平和的に、理論整然の舌戦で魂を削り合う。

 互いの主張を通す、それだけのために。


「少女に正しい治療を」

「いや、このまま死なせる」

「命を軽んじる母親に処罰を!」

「彼女の殺しは許される」

「貴方たちのルールはおかしい」

「余所者が口を出すな」

「星の民は変わるべきだ、世界は変わっているのだから」

「我らは他人に変われとは言わない、互いに不干渉でいるべきだ」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇


 彼女を救わんとする舌戦を壁越しに聞きながら、少女は"死神"に懇願した。

「わたしをころして」

 彼女の真っ黒な瞳はドルトンの握る銃に向けられている。彼女の瞼は溶け落ちてしまっているため、瞬きは無い。ひたすらの凝視が続く。


「それで、ころして」

「どうして諦めるのでしょうか」


 ドルトンは困惑する。目の前の標的は、生きることを簡単に手放そうとする。

 ドルトンは震える足で慎重に、一歩ずつベッドに近づいた。窓からは強い白い光。星の灯りだ。

 この時間、領民は外を出歩くことはできない。そういった戒律である。


「わたしがあきらめたくないことは」

 焦げた表皮がもごもごと動く。

「どうやってしぬか、えらぶこと……」


 焼けただれた肉の身の少女は、数々のチューブに繋がれた身でドルトンに訴える。


「おかあさんに、やきころされたんじゃなくて。しにがみに、ころされたことにして、らいせへむかうの」


 慈悲を、と乞われ、ドルトンは撃った。

 決断したらそう動くのは早かった。たった1発で彼女を楽にしてやった。

 サプレッサーを付けていても銃声は小さく響いてしまうが、隣の部屋は激論の討論会で大いに沸き立っていたので、きっと誰にも聞こえていない。

 流れる血も枯渇した身で、焦げた肉の身はベッドに横たわっていた。ドルトンは其れを覗き込む。


 その様子を部屋の隅で見ていた"黒髪の女"は、かつて誰かに読んでもらった怖い絵本を思い出した。それに描かれた『死神』の姿は今のドルトンにそっくりで、思わず小さな笑みがこぼれる。

 いつか自分も死神と呼ばれたことがあったが、それよりドルトンの方がよっぽどふさわしかった。


「なにを笑っているのですか?」

 死体を抱えた死神ドルトンが振り向く。

 部屋の隅に立つ黒髪の女は、透けた身がドルトンの影に繋がっていた。

 ドルトンがいくら瞬きを繰り返しても彼女ゆうれいが消えることはない。

 早くグレゴリールームに帰れと、黒髪の女は強い口調で促した。


 隣の部屋からはなおも怒声。

「狂ってる」「名誉を守れ」「世界の常識」「我らの規則」「命が大事」「余所者が」「治療を」「殺せ」「嘆かわしい」「こんなことになるのなら、生まれて来るべきではなかった」「人でなしの領民たち!」「今死んでおくのが正解だ」「なんておぞましい思考回路!」

 当事者不在のまま、大人たちの言葉の弾丸が戦場病室を行き交っている……。

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