no.44 WORST END
「あんた、最近ずいぶんこわい顔で、あいつの寝顔を見てるよな」
ソグ博士の吐く煙の量はいつもより多い。そのため彼の表情は煙に隠れてちっとも伺えない。
ドルトンは首をかしげるだけで返事をしないが、その様子もソグ博士からは見えていないだろう。
「どんなに待ってもカワイイあの子に戻ることはないぞ」
「わかっていますよ、そんなことは」
ドルトンは苛立ちながらもサブマシンガンの手入れを再開する。
ちょうどこの間、黒髪の女から同じことを指摘されたばかりだということは、恥ずかしいので言えるわけがない。
黒髪の女がグレゴリールームを出ていって、しばらく経つ。部屋の時計はすべてが狂っているので、どのくらい経ったかは分からない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
華奢な背中を押し倒すのは想像よりも容易かった。うねりのある長い髪を握りしめると、そのまま勢いよくひっぱり上げる。ギョロリとした彼女の目と、自分の視線がぶつかった。
彼女が無表情であることがとても気に食わない。
そのまま勢いをつけて、石の床に頭を振り下ろした。何度も、何度も。できるだけ強い力で。往来から叫び声が上がるが誰も近付こうとしない。それでいい。
衝撃を受け続ける歪な音が右手に伝わる。打ち付けた箇所の皮膚が裂け、血が吹き出して地をしとどに濡らす。
でも、これで死ねるほどの痛みではない。こんなもので、死なれては困る。
「おま……え……は……」
彼女の問いかけに答えようとしたが、それは怨嗟の呻き声にしかならなかった。もはや人同士の言葉のやりとりではないと自嘲の想いがこみあげる。これは獣の咆哮の一種に過ぎない!
もう一度、彼女の髪を掴んで曇天を向かせると、その小さな口に薬を流し込んだ。手でふさいでやると、もう相手は薬を飲み込むしかない。これでいい。
飲ませたものは麻痺薬だ。1日経つと血反吐を吐いて死ぬ程度の弱い毒だが、これはあくまで保険のつもりである。自分が、この女を、殺せなかった時のための。
やがて四肢が動かなくなった彼女の両手両足を、調達したハチェットで順番に切り飛ばしていく。相手は痛みに叫ぶ。いい、それでいい。もっともっと苦しめばいい。
あの子はどうやって死んだのかなと思って、四肢もなく転がる彼女の首に手を伸ばした。そのまま力を入れると、くきゅ、と呼吸が詰まる音。でもこうやって殺すのは何かが違うなと思い手を離した。
涎と鼻水と涙でぐちゃぐちゃの彼女の顔は、大きく歪みながら粗い呼吸をしている。それがとても滑稽に思えてきたので、血が流れ出す彼女の腕、その切断面から自分の手のひらに血をすくいあげた。
そのまま彼女の鼻と口に当て、血だまりに浸す。手の中で彼女の血が泡立つ。
自分の血で溺死するってどんな気持ちだろう!
それに溺死は苦しいと聞いている。そうだ、この方法だ。しかし手から血がこぼれて、この諌め方はすぐに終わってしまった。血液の量が足りない……。
このやり方は最後でいいやと思って責め方を変えることにする。準備していた薬を女の背中に垂らした。アシッド・アタック、それは強力な酸であると雑な説明を過去に受けたが仔細は忘れた。効能はどうでもいい。こいつが殺せればどうでもいい。
ざわめきが周囲を覆う。距離を保って咎める声。誰も手を出さない。誰も救いの手を伸ばさない。母と子は、誰にも助けられることはないと、ふたりの在り方がそれを証明している。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ハ」
気分がよくなって笑い声が出た。その時、急に言葉を思い出したような気持ちに囚われる。恨み節が嘲笑に変わっていく様子が自分でも理解ができる!
「私が」
【母】は諭すような声を出す。
「どうして、こんなことをしているのか、分かる?」
『母親』ならばこう言うだろうと、必死に想像した声色で。
黒髪の女は首を歪に曲げて女を見る。
「私の赤ちゃん、殺した」
【母のなりそこない】は酸を手に取ると、それで黒髪の女の目を覆った。黒髪の女は絶えきれず絶叫をあげる。
相手の目と同時に自分の手がただれるが【母種の女】は意に介さない。すでに痛覚は魔法でなくした。溶けた皮膚だって、あとから再生できる。その方法もどこかの世界で習ったもの。渡界の成果。
「私と、あの人が結ばれるの、すごく大変だった」
薬液を黒髪の女の太腿と生殖器めがけてぶちまける。痛みに跳ねようとする身体はそもそも痺れているから満足に動けない。
びた、びたと地上に打ち上げられた魚のような動きを見て「ハ」と呼吸するように笑うと【母だったもの】は彼女の体を踏みつける。蛍光色のスニーカーに、融解する彼女の皮膚が付着して汚す。
「やっと生まれた子。私とあの人の愛の結晶。みんなで名前を考えて、これから健やかに、愛されて育つはずだった」
【母親】は泣き出す。
「ろくな思い出もつくれないうちに、貴女は、私たちから、あの子を奪い去った」
カバンから大型鋸を取り出した母親は、それを使って彼女の太ももを叩いた。
力任せに胴体から切り離そうとする。黒髪の女は意識を飛ばすことができない。
子供は母のお話を聞かなければならないものだ。
「あの子のこと、思い出そうとしても、あなたに攫われ泣く声ばかりが耳を衝く!」
母は泣く、泣きながら反対の足にもノコギリを叩きつける。足が雑に解体される。切断面はぐちゃぐちゃだ。
しかし自らの身に起きている惨劇も、美しく泣く母の顔も、黒髪の女の溶けた眼ではもう見ることは叶わない。
「私たちが何をしたっていうの!?」
母は咆哮した。それは一時期グレゴリールームに届いていた風の音で、この時ようやく黒髪の女は、あの声が母のものだったと悟る。
黒髪の女の意識は細い線のようになっていた。両足はすっかり失われ、内臓も先程から貫かれ殴られまともに機能していない。両腕は、今まさに母にねじ切られようとしている。いや、ねじ切られた、無理に回して、人体では許容できない向きを超えてちぎられた。
黒髪の女を救える者はいない。母種は彼女がたったひとりになる瞬間を狙って飛来してきた。別の世界から、同じ『母種』を犠牲にしながら、魔の力で渡界を続けてきた。すべては黒髪の女への復讐のために。
「謝って! あの子に謝って!」
口を動かそうとする女の鼻と口を手で押さえつける。血でどろどろの手の下で黒髪の女が口を動かしているが、もちろん何も喋れない。
「なんとか言ってよ! 謝ってよ! あの子の尊い命を奪ったこと、懺悔してよ!」
遠くでようやくひとりが声をあげた。
「だ、誰か、あの殺しをやめさせるんだ!」
黒髪の女にだけ分かることだが、勇気を出して呼びかけたこの声の主こそが、今回の彼女の目的だった。
『子種』の行動は「自分ですら自分を救えない」という事実を明らかにするだけのものだった。
空は曇天。石畳の隙間に赤い血液が流れていく。Comaにいた頃でさえ黒髪の女はこの様に虐げられたことはなかった。当然だ、あの場所では『財産種』は殺さずに、いたぶり続けるのが
酸素が欲しくて咳き込む子種の口に母種は手を突っ込んだ。そういえば「舌を噛み切れば人は死ねる」ということに、舌を奪い、奪われたことで、ふたりはようやく思い出した。何もかも遅かった。舌が引き抜かれた口から血が溢れる。痛みは何重にも重なって全身を蝕む。
「ほらほら、謝って、謝って、ほら謝って!」
引き抜きたての血まみれの舌で、黒髪の女の喉元を叩きつける【銀髪の女】。黒髪の女は心の中で、己の母を呼び続けていた。
おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん。
見えなくなった眼の向こうで、在りし日の母が笑っている。
おかあさん。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇
黒髪の女はついに事切れた。それに気づいた【母種】は、ブツブツと恨み節を呟きながら、黒髪の女の体をギザギザしたナイフで突きはじめた。頭を、胴体を、とりあえずめちゃくちゃにするために。
凄惨なショーに人々は身が竦んで動けない。みな、狂った女によって殺された狂った女の末路を見物する客でしかない。
【お母さん】は黒髪の女の内臓を少しずつ取り出したり、脳をすくいだしてみたり、鼻や耳な目立った器官をそぎ落としたりしては、肉をその辺りにばら撒いたり。取り出した骨は細かく叩きつけたり、並べて文字を作ってみたり、髪の毛を燃やしてみたり、とりあえず思いつく限りの亡骸の損傷を目指した。
時折、内臓をつかって悪趣味が過ぎるジョークを見物客に披露したが、誰も笑わなかったので自分で「ハハハ」と笑った。
6回目のジョークを披露したタイミングで、女のキャップが飛んだ。とんできた鉛玉のせいだ。まとめられた銀の髪が解放される。
銃を構えた黒髪の聖職者が立っていた。彼の顔は悲痛に歪んでいる。いたぶっている最中の黒髪の女より、もっと歪んだ顔をしていた。
「もう、やめてください」
「お母さんに逆らわないで……」
【母だったもの】は立ち上がり、レンガブロックを構えた。その手は正確に撃ち抜かれるが【子殺しの女】がブロック片を手放すことはない。
「そんなの痛くないわよ?」
【母志望者】は優しく笑ってみせる。いたずらをたしなめる時はきっと、こんな顔をすべきだろうと想像しながら。
「お母さんね、あなたのいたずらなんて、なんともないの」
両手と顔を血で真っ赤にして【母の演者】は笑う。
「だから、もうやめて?」
ドルトンによって脳や心臓を撃ち抜かれるが、1歩ずつ距離を詰めていく。
いたずらなんてこわくないから。そう繰り返しながら。
Mother will be Madness。
彼女は狂った復讐鬼。
彼女の脚に黒髪の女の腸が絡み、悲痛な赤色を石畳に広げていく。
「お母さんね」
弾丸は肩や子宮を撃ち抜く。【母種】は歩みを止めない。
黒髪の女の生首がごろりと転がった。彼女の骨の大部分は、薬品で溶けてしまっている。
ドルトンは【母種】の両足の関節を撃つ。耐えきれず【母種】は崩れ落ちる様にその場に座った。でもこんなことで、死ぬわけがない。
「あなた、悪い子ね……」
「申し訳ございません」
それについては悪びれた様子もなく、ドルトンは【母種】の喉に最後の1発をぶち当てた。
それが皮膚を食い破り肉に宿った瞬間、【母種】の体が真っ黒に変色する。
「え?」
彼女の肉という肉から、赤子の叫び声があがった。
「赤ちゃん!? 私の! 私の!」
母は自分の肉を抱きすくめる。泣き出す。どちらが赤子かはもう分からない。黒く染まった人肉が、赤子の泣き声を全身からあげながら抱きしめようとのたうち回る。
やがて【それ】は動かなくなった。赤子の泣き声は、もう聞こえない。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇
魔法が解けたかのように、見物客たちは我に返ると、ほうぼうに散っていく。街頭に残るのは、倒れる死体と散らばる肉片と、そして殺人者のドルトンだけだ。
「7発当たれば必ず殺す、魔法の弾丸……」
ドルトンは呟く。そして、かつて黒髪の女だった、無残な肉片の前に歩み寄った。
その末路はズタボロも良いところである。溶けた目玉はくり抜かれ潰され地に染みをつくり、開け放された口と破れた頬から白い歯が見え隠れしている。
彼女の体の半分ほどはドロドロに溶けていて、遺された部位でつくられる弾は、3発ぐらいにしかならないだろう。薬で溶かされていなければ、一人前に7発の弾ができたのに。
ドルトンは誰に指示されることもなく、黒髪の女の切れっ端を集めはじめた。彼の大きな手が溶けた肉と血で汚れていく。着ていたコートに彼女だったものを集め、ひと抱えの荷物ができあがる。その間、銀髪の女の死体に目を向けることはない。
「冥土の土産、と言うべきでしょうか……」
ドルトンが撃った弾は、かつて黒髪の女が殺した赤子の骨で出来たものだ。
「本来は彼女の復讐のために使われるはずのものだったのですが、お返しします」
ドルトンはコート越しに血濡れの肉塊を抱きしめた。
「ああ、すべてが、無駄になってしまった……」
肉塊は、それでもまだ温かい。赤子に戻った黒髪の女を抱いているようだった。
頬をすりつけるとコート越しに滲んだ血で顔が汚れた。
奇跡でも起きないかと、そっとコートをめくって中を見てみたが、赤とピンクの塊がこちらを覗き返しているだけだ。
「せっかく彼女を憎き『殺人鬼』に戻せたのに」
ドルトンは泣く。
「死んだら、意味がないじゃないですか」
ドルトンは泣く。そうして、肉塊を抱えて、グレゴリールームに帰っていった。
そういうわけで、黒髪の女は死んだ。
享年不明。死因は判別不可能。
悲願であった復讐を果たすこともなく、彼女の生は虚しく絶えた。
石畳の床の上にはかつて誰かの母親だった死体が残されている。
彼女はHappyBulletにされないので、グレゴリールームの者が死体を回収することもない。
不可解な事件のサンプルとして、この街の資料に遺される。
そういうわけで、【名称不明の女】も死んだ。
享年24歳。死因は呪殺。
悲願であった復讐を果たし、自らの子との再会した上で、その生を全うした。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇
誰かが手をたたく音が聞こえる。その世界での祈りの仕草なのか、それとも終幕を讃える拍手なのか、人によって捉え方が異なるだろう。
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