no.43 ロア『ロストチャイルド』

 青天は高い。干された洗濯物が風を受けてはためく。それを見上げて黒髪の女は少しだけ口元を緩めると、ゆっくりと視線を下ろした。

 はためくタオルの群れの下で、老人とソグ博士がふたりで機材を並べて弄っている。ブルーシートの上にいくつもの銀色が煌めく。


「久しぶりに見ますね、彼の嬉しそうな顔」

 ドルトンがコップを黒髪の女に差し出した。中には冷たく透明な水。森の奥で汲める湧き水だと、ロア老人から事前に説明を受けている。

「あれの感情が分かるの」

「いえ別に。ただ『大魔女様』が死んでからは、彼、様子がおかしかったですよ」

「彼女とは兼ねてから、親交があったようだから」


 ルゥリエを思い出しながら黒髪の女は水を飲む。白い喉が、ごくりごくりとまるでそれ自体が生き物であるかのように動いた。

「グレゴリールームのほとんどの技術は、あの大魔女の魔法が由来だ」

「そんな恩人をお前は、よく殺せましたね」


 呆れるように、咎めるように言うドルトン。黒髪の女は彼を見上げ、睨みつけた。返す言葉はなく、無言を貫く。

「言い訳すらも思い浮かびませんか?」

「お前も、最近なんだかおかしい」


 黒髪の女は手元の武器を探したが、銃は"改造屋"を自負するロア老人に託している。嬉々として武器改造に勤しむソグ博士も傍に居るので、老人を危険視はしていない。

 ポケットを探るとナイフがあったので、黒髪の女は袖の中に仕込み直す。

 黒髪の女がそこまでしている間、ドルトンは首元に下げた竜の首飾りをもてあそんでいた。


「お前に何が分かるというのですか……」

「人が寝ている間ずっと顔を眺めているのは、さすがに気持ちが悪いと自覚しろ」

「ッ」

 返す言葉もない。ドルトンは思わず手に不必要な力を込めてしまい、借り物のコップを割ってしまった。草むらに砕けたガラス片が堕ちる。


 破片を拾うこともなく古竜に祈りを捧げはじめたドルトンを置いて、黒髪の女は山小屋を離れた。

 丘の下には牧歌的な光景が広がっている。小さな、平和な村。遠目に見える子供たちは、みな『母種』の系列だ。

 眺めていると、子供のひとりが転んでしまい大きな声で泣きだした。黒髪の女は耳をふさぐ。


 おかあさんの泣き声は苦手だ。


「お嬢ちゃん」

 丘の上からロア老人に大きな声で呼ばれたので、黒髪の女は泣き声から逃げるためにも丘を駆け登った。

 血と埃にまみれた靴が柔草を踏みしだく。小さなバッタが飛びだしてそのままどこかへ消えた。強い日差しと、風の匂い。ここはゆったりとした世界だ。


 そうして、ようやく声の主のもとにたどり着く。

 短く刈り上げた髪に、火傷の跡が目立つ頰の男。ロア老人はいつも無愛想な顔を崩さない。

 それはいつも黒髪の女が浮かべている表情と同じで、たまにソグ博士やドルトンが見せる目つきそのものだ。


「やっぱりサブマシンガンだな」

 前置きと共に突きつけられたものは、これまで使っていた"得物"より大振りになった銃だ。とても懐に忍ばせられるサイズではない。

「こんなの、私に扱えるとでも?」

 黒髪の女の憮然とした呟きに、ソグ博士が自慢気に割って入る。

「扱うんだよ。あんたの銃の腕は見てられないからなぁ。才能もないのに、一発一発、丁寧に当てようとするからダメだ。『数打ちゃ当たる』をもっと、もっと突き詰めるんだよ。それがあんたに必要なことさ」

「これはずいぶんと上機嫌なようですね……」

 ドルトンも話に入ってきた。彼の手と首飾りには血が付いている。嫌というほど強く握りしめていたのだろう。

「ロア爺さんのおかげだ。おれはこれでひとつ重火器に詳しくなった。あんたの英知はおれが継ごう」

 饒舌なソグ博士に、ロア老人は頭を掻くだけで返答はしない。


「HappyBulletは使えるのか」

 黒髪の女は怪訝を伴って凄む。

「そのための『サブマシンガン』だ」

 本当はバズーカがいいんだが、と老人は吐き捨てるように言う。

「メンテナンスは……ソグ博士に任せても?」

「お任せあれ。おれはおまえの派生でもっとも頭がよく、そしてもっとも無価値な命の『ソグ』だ」

 ソグは恭しくわざとらしく一礼をしてみせた。


「なぜ銃にこだわるのです? 包丁でも麺棒でも人は殺せるのに」

 ドルトンの嘆きに、ソグ博士とロア老人は顔を見あわせて目元と口元を歪めた。このふたりは気が合うようだ。

「銃は殺すためにつくる道具で、それ以外には用途がないからな」

 殺意の具現化だ、とソグ博士が満足そうにタバコをふかす。


 黒髪の女は恐る恐るサブマシンガンを構えると、ロア爺さんに向けた。

「今この中に入っているのは?」

「ただの鉛玉だ」


 ……ドルトンは目を閉じて祈る。言葉にすると全員に気味悪がられるので、心の中でロア老人の魂の救いを願う。


 すぐに音が炸裂した。聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚、肉と弾が混ざりあう様を五感すべてで味わう。鉄と赤の無慈悲な轟音は、黒髪の女が我に返るまで続いた。数打ちゃ当たる――望めばいくらでも。至近距離で"人"を撃った黒髪の女は、ロアの返り血で真っ赤に染まっていた。


「……骨も、肉も、破損した」

「ううむ、我ながらこの高威力。本来の目的に使うしかないだろうよ」

「"本来の目的"、ですか……」

 もはや形をうまく保てないロア爺さんの死体を、ドルトンは干されていた大きなタオルで包み胸に抱えた。命の重みを感じる。嫌な臭いがする。


「これで良かったんでしょうか」

 ロア爺さんは答えない。もう、考える脳もない。


 やがて帰還の準備が整い、3人は彼の住処たる丘を後にした。

 ロア爺さんの家の壁には『災害は去る。老いた男に祈りを』と血で書かれていた。


 ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして。

 誰もいなくなった山小屋に。

 ひとりの女が訪れた。

 

 彼女は、スポーツキャップをかぶっている。

 彼女は、ウィンドブレーカーを羽織っている。

 銀髪をまとめて、長い髪に血がつかないようにしている。

 彼女の腹と両手は赤く濡れていた。


「ハ」

 短く、笑うように呼吸をすると、女は抱えていた3人の子供の死体を山小屋の床に落とした。

 そして死体から血液をすくいとり、壁に書かれた文字を塗りつぶす。その下に小さく血文字を残した。

『こどもはつれていく』


「ハ」

 もう一度笑うと、女は地団駄を踏んだ。足から赤という赤が飛び散り、やがて女は消えた。この世界から出て行った。


 ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「殺されるのは別に構わねぇ。だが殺す前に、俺を『英雄』にしろ」

 ソグ博士は回想する。小屋を訪れた自分たちに銃を突きつけるロアという男の顔を。彼の言葉を聞いて、鼻で笑ったことを覚えている。


「俺ぁこんな仕事についてるから、村の者からノケモノ扱いを受けてきた。そんな行き方を66年続けて、俺はそれで良いと思っていたが……最近病がちでな。俺の人生が"がらんどう"に思えてきて」

 早口でまくしたてる老人の表情は、救いを得た信徒と同じものだとドルトンは発見を得た。ロアの眼は黒髪の女に向けられている。


「ストーリーは今考えた……お前たちが俺を殺す。俺は村を守って殺されたことにしてくれ。それが分かるような証拠を残せばいい。星書の一節だ、それを書き残せばすぐに分かる。この村の者たちなら、そうだ。ああ、ちゃんと俺の言うことにしてくれるなら、そうだ」

 ロア老人は、室内に並べぶ魔工具を眺めるソグ博士の肩を叩いて嗤った。


「お前たちの目的も達成しやすくしてやる。力が欲しいんだろう? ようく知っている、分かる、俺はそういう目を持つ」

 老人も、黒髪の女も、もう何もかも終わりにしたかったのだ。


 銃の改造準備をはじめる老人に黒髪の女は問う。

「なぜ『母種』たちに恨まれる」

「曰く、俺は生まれたことが罪だそうだ」


 黒髪の女は目を伏せた。握りしめた手が僅かに震えていたが誰も気がつかない。


 ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 さて、この村の顛末。

 子供たちが消えた。

 村人のひとりがそれに気づき、母親たちは血の跡を辿った。


 山小屋には、恐ろしい武器の数々と、血を抜かれた死体が転がっている。

 壁にはベタベタと赤い色。

 そうして母たちは気づく。

 血文字で『こどもはつれていく』と残されていた。


悪魔ロアめ」


 母親たちは嘆き、ロアを呪う声を叫んだ。その音は強い嵐のように、虚空に渦巻き、残響となってこだまする。


 お前は罪だ、ロア子種

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