no.42 レイ『母親たちは後を追う』
離れた場所から、心臓を一発。
少年に鉛玉が食い込み崩れるように倒れた。
破裂した心臓から溢れるのは、後悔という何の役にもたらない感情。
ああすれば良かった。こうすれば良かった。授業をサボらなきゃ良かった。今ここに来なければ良かった。
血液は地面を伝っていく。どこにたどり着くこともなく、地に染みていく。
パチパチと拍手が聞こえたので、黒髪の女は振り返った。ドルトンが無感情な目で両手を叩いている。
「お見事です」
「馬鹿にするな」
「いえ、逆です。こんな離れた位置から一発で仕留められるなんて、お上手になられましたね」
「やっぱり馬鹿にしている」
黒髪の女は鉛玉をドルトンの脚に向けて発砲した。彼より数歩手前で弾がはじける。
「やめてくださいよそういうことは!」
「生意気をきくから」
「そういうつもりでは!」
「いいから死体を運べ」
黒髪の女はドルトンの薬のおかげですっかり元に戻っていた。逆に調子が良くなったぐらいである。今回は標的を見つけるのも早かったし、殺すのも手際が良かった。
この少年から弾が5つ分しか造れないのは、きっと彼に小動物を殺す趣味があるせいだが、そんなこと黒髪の女は知らないし周りも知る由がない。
レイ少年の死をもって、彼の秘密は永遠に葬られる。
めでたし、めでたし。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇
「レイ……」
母親は、血の染みの前で涙をこらえた。
愛する息子が行方不明になって半年がたつ。
警察によるとこの出血量では助からない可能性が高いという。
彼がどこに行ったかは誰も見ていない。この血だけが、彼の居た証明である。
そこは小学校の裏手で、飼育小屋の前。ウサギたちが餌の野菜を食んでいる。
レイ少年が死んでから、ウサギの脱走事件が減ったのだが、その因果関係にはまだ誰も気がつかない。
「あなた、子供を殺されたんですね」
声をかけられたので母親は顔を上げた。銀髪の女性が此方を見下ろしている。
逆光のはずなのに、彼女の表情はよく見えた。憐れみを湛えた優しい瞳。
銀髪の女性は陽から自分を守るようにキャップを被っていた。
ウインドブレーカーを羽織り、下はぴっちりとした9分丈のスパッツ。蛍光緑のラインが目立つスニーカー。
この人は、スポーツをやっているのだろうか?
そんなことをぼんやりと考えていたので、見知らぬ銀髪女性の言葉に返事ができなかった。いや、言葉をそのまま受け止めるのを拒否していたのかもしれない。
「子供を、殺されたんですよね」
念を押すように畳み掛け、銀髪の女はキャップの下で目を歪める。
「ま、まだわかんないんです……」
証拠がないのでそう答えるしかない。
レイは殺されたのか。どうして? あんなに良い子だったのに。
「あなたの子供を殺した人はもうこの世界にはいないんです」
「……え?」
母には目の前の女が何を言っているのか理解できない。つまり息子を殺した犯人も死んだということなのだろうか……。
だとしたらこの人は何者なのだろう。死者の遣いだろうか。
レイの母親の頭は、混乱で破裂寸前だ。
「犯人は、別の世界に逃げたのです!」
「えぇ?」
もうどうでも良くなった。息子を失って辛いのに、どうしてこんな冗談に付き合わなくてはいけないのだろう。それとも新手の宗教勧誘だろうか。
母親は無性に腹が立ち、銀髪の女を無視してこの場を去ろうとしたが、彼女がいつのまにか包丁を構えていたので、怯えた声を漏らすことしかできなかった。
「犯人は別の世界に逃げたけれど、私からは逃げられません。あなたの息子の分も、私が殺してみせます!」
「あなたは、何をしようとして……」
「復讐です!」
キャップの下で女が浮かべる晴れ晴れとした笑顔に負けた。「だから渡界に必要なエネルギーを下さい」と言われて腹を刺されたことにもうまく反応できなかった。
吹き出す血を媒介にして、銀髪の女は魔法を使う。呪文を呟けば彼女の両足に血液が絡まった。そのまま女は空を蹴る。青空に赤い穴がぶち抜かれ、女はそこに飛び込みこの世界を後にした。
後には、倒れる死体だけが残る。
レイ少年の血の染みが母親の血で上書きされることはない。
――彼女の血はすべて、見ず知らずの女の渡界の燃料として消費された。
やがてこの場所は「かわいそうな親子が小学校に潜む通り魔に殺されてしまった場所」と呼ばれる怪奇スポットになってしまうが、それはまた別の物語である。
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