ⅴ 転がり堕ちる銀の弾丸

no.41 ルゥリエ『黒髪の女は帰らない』

 湖のほとりに男女が立っている。鏡のように美しい水面を眺めているのは"黒髪の女"だ。柔らかな風に、彼女のつややかな黒髪が揺れる。

「ドルトン」

 黒髪の女は優しい声で男の名を呼ぶと、彼の長い指を手にとった。手のひらではないところが、またいじらしい。


「あそこ、はじめて見る鳥がいます」

 そう告げる彼女の黒い目は、宝石のような青い尾羽根を持つ鳥を追っていた。

「あれは……自分も見たことがありませんね」

「大魔女様に報告しましょう。でもその前に、ベリー集めですね」

 片手に持った銀のカゴを見る女。その中には白銀のりんごしか入っていない。

「どっちが多く集めるか競争しましょう」

「あの……敬語つかうの、落ち着かないのでやめてもらえませんか?」

「そうですか? ごめんなさい、この話し方が慣れていて……」

 女は恐縮した態度を見せると、えへんえへんと咳払いをした。


「ドルトン、今度はあっち、行こう」

 照れ笑いと共に、森を指差す黒髪の女。握られた指先まで自分の手汗が伝うことのないように、ドルトンは慌てて手を離すと、取りつくろうように咳払いをした。


「ほだされるなドルトン……」

 黒髪の女には聞こえないように、精一杯低い声をつくって自らを嗜める。

「この女を赦すな……」

 先に駆け出してしまった黒髪の女は、すぐに木の根に躓き転んでしまった。せっかくの藍のエプロンドレスが乾いた土に汚れてしまう。ドルトンは慌てて彼女にかけよって、起き上がれるよう手助けする。彼女の手は白くて小さい……。


「ゾッコンだねぇ」

 湖畔に建つ魔女屋敷にて、ふたりの様子を魔法の双眼鏡で眺めているソグ博士が吐き捨てるように呟いた。

「かわいいねぇ、ワタシの若い頃にそっくり」

 ロッキングチェアを豪快に揺らしながら老婆が笑う。

 彼女の名前はルゥリエ・チャイルド・ルール・ウィキッドゥ……以下略。

 名前がとても長いので、皆は彼女を『ルゥリエ』あるいは『大魔女様』と呼ぶ。

「それで、どうやったらあの女を元に戻せる?」


 結論を言うと『庭師種』の世界で受けた性格改変は、まだ黒髪の女に影響を及ぼしていた。

 グレゴリールームに帰っても黒髪の女が元に戻ることはなく、例えば銃を持たせても震えて床に落とすだけで、キッチンに至っては怖がって入ろうともしない。


「自分でやろうとしないのが、ソグ博士の悪いところだね」

「おれは何でもできる男と思っていたが、どうも原種オリジナルの力には及ばないようで」

「原種と大魔女様には及ばない、だろう」

「ああそうだな


 魔女屋敷の天井からは、そこが花畑だと言わんばかりに色とりどりの花束が下がっている。

 壁一面に敷き詰められている本は、その筋のものなら心臓でさえ喜んで差し出すぐらい貴重な魔導書の数々だ。

 足元に転がる頭蓋骨の中では毎秒ごとに魔法薬が精製され、ひとりでに魔法の小瓶の中に入ると薬棚に歩いて戻っていく。

 棚の奥に貼り付けられている紙はたくさんの魔道具のレシピで――その中に『HappyBullet』の造り方も混ざっていた。


「困った時に大魔女ワタシ頼みなのはやめなよねぇ。心臓が幾つあっても足りないわぁ」

「どうせあんたが殺されるのは一番最後だ。『子種』の中でとりわけ有用な存在だからな」

「その恐怖からも解放されそうじゃないの? 今の、あの状況」

 大魔女ルゥリエは庭先を指差す――ドルトンが黒髪の女をおんぶしていた。目を離すたびにあのふたりは距離を縮めているように思える。

「さすがワタシの起源!」

 ルゥリエは花の茎を口から離し、光る粒子を紫煙のように細く吐いた。ソグ博士が咳き込んでみせるがルゥリエが気にすることはない。


「子ってのは愛されるものさね」

「おれは愛された記憶なんてねぇなぁ」

「アナタはの人生だったようねぇ。アナタを見ているとワタシがいかに恵まれた人生だったか実感できるわぁ」

「そんな素敵な人生をあいつの手でグチャグチャに終わらせてもらうために、どうか元に戻してやってくれ!」

「むちゃくちゃ言うわよねぇ」


 魔女屋敷の扉が開かれる。黒髪の女とドルトンの帰宅だ。

 黒髪の女の両頬は泥で汚れていて、長い髪には枯れ葉が絡まっている。

 ドルトンは疲れ切った様子で、銀のカゴを扉脇の台の上に置いた。中には金や銀や宝石色に輝くフルーツがぎっしりとつまっている。本日のふたりの成果だ。


「おかえんなさい」

 大魔女が声をかけると、黒髪の女はパタパタとルゥリエに駆け寄り彼女の皺だらけの手をとった。

「ただいま戻りました。言いつけ通りベリーは16個、ちゃんと見つけてきました」

「おや他にもいろいろ取ってきてくれたみたいだねぇ、えらいねぇ」

 ルゥリエが目を細めて笑うと、黒髪の女ははにかむような笑みを返した。褒め言葉が嬉しくていっそ何も言えない様子だ。

「ドルトンもがんばってくれたので、いっぱいほめてあげてください!」

 ようやく黒髪の女がそう言うと、ドルトンに向かって「こっちおいで」と手招きをした。恐る恐る近づくドルトンの頭をルゥリエはぐしゃぐしゃと豪快に撫でる。

「あはは」

 髪がボサボサになったドルトンを見て黒髪の女が笑う。

「わ、笑わなくても」

「だってドルトン、わたしよりひどい髪になってます」

「はやくお風呂に入ってきなさいな。エンデルの森に行ったから香草は多めに使うのよ。森に憑く悪魔の残滓を念入りに祓わないとね~」

「はい!」

 黒髪の女は素直に返事をすると、ソファ脇の木箱から香草を正しく取り出した。

「大魔女様、ツヤ出し草もいいですか?」

「いいけんど? 何かあったのかい」

「ドルトンみたいに綺麗な髪になりたいんです」


 ドルトンと大魔女は互いに顔を見合わせた。ソグ博士は不機嫌そうにソファの角で、花の香りに負けないくらい香りが強い煙草を燻らせる。

「……好きなだけ、お使いよ!」

「ありがとうございます!」


 黒髪の女が部屋を出ていくと、全員が大きな、とても大きなため息をついた。


「気持ちわりィ」

「悪くはないですが、調子が狂います」

「素直でいいわぁ、もう一生あのままでいてほしいくらいだわね」

 全員が違う感想だった。


「ドルトーン……」

 ソグ博士が心底軽蔑した声を絞り出す。ついでに煙草も投げつけたが、それは即座に反応されて、大きな手で握りつぶされた。

「分かっています。自分でも頭がおかしいと分かっていますとも。ウルク・グア・グアラント様、どうか私を正気に戻してください……うう、強烈な幻覚をかけられているようだ、大魔女様、どうか自分をお助けください」

「いや絶対にあのまんまがいいと思うの、あれが『子種』としてあるべき姿よ」

 緑色に光る液体をちびちびと飲みながら大魔女は答える。天井から下がる紐をひっぱると、足元に置いたスピーカーから水音と鼻歌が聞こえた。

 シャワーを浴びる黒髪の女の音声情報がダダ漏れである。プライバシーなんていう概念はこの世界には存在しない。

「この歌」

 ドルトンが耳を赤くして、口元を手で覆った。

「何の歌なの?」

「聖歌です……まさか聞かれていたとは、そして覚えてくださってるなんて」

 思わず祈りの手をつくって自らの神に感謝の言葉を捧げだすドルトンの背を、ソグ博士が蹴り倒す。花びらまみれの床に倒れてもドルトンは呆けたように祈り続けた。


「ルゥリエ様ぁ、"原種"の恐ろしさは嫌というほど身に沁みた。『庭師種』が固執する理由も、この童貞聖職者を見ていりゃわかる。なぁ同じ『子種』仲間だろう? 手を貸してくれ、金ならある、労働だってやる、っていうかこのおれがここまで頼んでいるんだ。切羽詰まっているのは十分に理解できるだろう?」


 土下座、深い礼、胸に手を当てる、大魔女の足に額をあてる……ありとあらゆる世界で見かけた礼を尽くす姿勢を再現してソグ博士は懇願する。彼の顔色はいつもより3割増しで悪い。

「ふふ、長らく連れ添った相棒の変化に戸惑いを隠せない大悪人め」

 ルゥリエは鼻で笑い飛ばすと両手で四角い窓をつくった。一瞬指先がピンク色に光り、ソグ博士の懇願の様子が大窓に転写される。

「おれを辱めたければ好きなだけドーゾ……」

「あらら、すっかり弱っているじゃないの」

 大魔女が手を離すと、窓の外は静かな楽園の景色に戻った。


「このまま放置しておけば、きっとソグ博士だってあの子を可愛がりたくなってくるはずよ。本来あの子は、Comaにて愛され、そして貶される役目なのだから」

「あのような愛しい子を、どうして貶そうと思えるのです……!」

 床に転がったままドルトンが嫌悪に呻いた。

「だって、壊したくなるでしょう?」

 ルゥリエは何も疑問に思うことなく言い切った。ソグ博士もゆっくり、同意するように頷く。

「……大魔女様は、あの子を壊したいと思っておられるのですか?」

 ドルトンがゆっくりと立ち上がった。髪の毛をはらい、花びらを落とす。

「壊したくて仕方がないわよ」


 ガタン、と音がした。

 振り向くと風呂から戻った黒髪の女が、部屋の入口で尻もちをついて倒れている。


 柔らかな黒髪から水滴がポタリと落ちた。着替えた服から伸びる四肢は華奢だ。思わずドルトンは彼女に駆け寄って助け起こしていた。

 彼女からは、いい匂いがする。多分、香草風呂のせいだけではない。

「大魔女、様……その、ごめんなさい」

 目に涙を貯めながら、黒髪の女は謝った。

「よく理解していないのに謝ろうとするのは『子種』の悪いクセなのよ」

 ほらね、と言いたげに大魔女ルゥリエはソグ博士に目線をやった。俺に話をふるなとソグ博士は首を振る。

「さあ、アナタが何について謝っているのか、説明してごらんなさい!」

「……わたし、別の世界で、人を殺して……その罪の償いが終わる前に、大魔女様のところに来てしまいました」

 震える彼女の肩をドルトンが支える。黒髪の女は細い指でドルトンの腰のあたりを掴んだ。縋るような動作にドルトンは思わず鼻で強めの呼吸をしてしまった。


「わたしは、自らの罪も忘れて、ここで楽しい時を過ごして……」

「ここでの暮らしを楽しいと思ってもらえるんなら、この世界の管理者として嬉しいこたぁないね」

 大魔女はソグ博士に見せつけるように誇らしげな顔を浮かべる。

 同じく世界の管理者だったソグ博士は、ズタボロだった自分の世界を思い出そうとしたが、すっかり仔細を忘れていた。だから特別悔しいとも思えなかった。


「我らが起源よ、アナタはもっといっぱいの人を殺しているのよ。あなたが覚えている数の、何百倍も! でもワタシが最も許せないことは、ワタシの魂の双子・ウゥリエを殺しておきながら、しっかりHappyBulletにできなかったことね」


 大魔女ルゥリエは、赤に燃える瞳で黒髪の女を射抜く。

「あの子の命をムダにしたことを怒ってんの。わかる?」

「わ、わたし、どうしたらその罪を償えますか……?」

 小動物のように震える黒髪の女を、ドルトンは思わず抱きしめた。黒髪の女は彼の胸の中でハラハラと涙を零す。この子を守ってあげなければという強烈な想いにドルトンは支配されている。

「もういいでしょう、大魔女様……貴方の嗜虐心の理由は、よく分かりましたから」

「フフ、責めてるわけじゃないのよ。我らが起源、アナタの本質がどうしようもないだけなんだから」


 ふたりのやりとりの大部分が理解できない今の黒髪の女は、大きな瞳でドルトンを見上げている。水滴が光る彼女の長いまつげを見てドルトンは、ああ、と深く息をついた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 寝室の扉が唐突にノックされたので、思いのほか元気な声でドルトンは返事をしてしまう。

 ――返事をしたが、しばらくは次のアクションがなかった。扉に向け歩きだしてようやく「ドルトン……」という黒髪の女の消え入りそうな儚い声が聞こえた。ドルトンは慌てて扉をあけ、彼女を部屋に招待する。


「どうされましたか?」

「あの、あの……」

 恐縮しっぱなしの黒髪の女をなだめるためにドルトンは彼女の頭を撫でる。しかし『庭師種』の世界でカフェテリアの店員が彼女にそうしていたことを思い出し、その手は止まった。

 黒髪の女は動かなくなった手を怪訝に思ってドルトンを見上げたが、やがて自分がこの部屋を訪れた理由を思い出したようだった。

「今夜、いっしょに寝てもらえませんか?」

「ねぇ、ねるって、私とですかぁ!?」

「ひとりじゃ、ねむれなくて……あと」

 黒髪の女が眉を寄せる。自分を恥じている表情だ。

「ドルトンといると安心できるんです……」


 さあどうぞ、と白い布団をバサリと上げたドルトンは実に単純な男であった。


 かくして共にベッドに入ったドルトンと黒髪の女。ドルトンは配慮して距離をとろうとしたが、彼女がぴったりとくっついてくる。自分の心臓の音がうるさい。ドルトンは聖職者であり、女性とこのような夜を過ごしたことはない。添い寝すらない。添い寝すらないのだ。聖職者だから。

「なんだか……」

 黒髪の女が小声で喋りはじめたのでドルトンは思わずビクリと跳ねた。極端に緊張しているのが自分でも分かる。黒髪の女からはいい匂いがした。いつもの血の匂いとは、まるで違う。

「おかあさんと寝ていた時を思い出します」

「お母さん、ですか」

 がっかりしたような、安心したような気持ちがないまぜになった。


 彼女が復讐のために淡々と人を殺していることをドルトンは知っている。しかし、彼女のパーソナリティについてはほとんど知らない。興味も沸かなかった……これまでは。


「あなたのお母さんは、どのような方だったのですか?」

 ドルトンの問いに黒髪の女は急ぐように答えた。

「やさしくて、きれいで、たおやかで、やさしくて、だいすき」

 母親のいいところを少しでも多く伝えるために。

「ここよりもずっと簡素な寝床だったけれど……わたしが寒くないように、おかあさんはいつも温めてくれたんです。こうしてぴったりくっついて」


 彼女の温かな身体が触れるのでドルトンは話を聞くどころではなかった。

 黒髪の女に与えられた寝間着は大魔女ルゥリエのお古のために極端に大きなサイズで、黒髪の女はワンピースのように着用していた。

 あらわになった彼女の白い足が、ドルトンの薄い寝間着越しの足に絡まる。


「……あの、自分は貴方の母君ではないので、こうもくっつかれてはちょっと」

「ドルトンの身体もあったかいですね……」

「うぅ」

 彼の理性より彼女の無垢が勝った。ドルトンは敗北宣言を心の中で繰り返す。


 ――ふと、黒髪の女にグレゴリールームまで連行された時のことが脳裏をよぎった。彼の世界から切り離されてしまった最悪の記憶。ドルトンは、殺される前にせめて一人前の男になりたかったことを思い出す――


 魔法のライトは睡眠を阻害しない程度にぼんやり明るい。彼女の肩、首筋、頬が白く光って見える。

 黒髪の女の顔に視線を戻すと彼女の目はいつのまにか閉じられていた。小さな唇からはスウスウと安心しきった寝息が聞こえる。

 グレゴリールームに居た頃はガサガサだった唇が、今では丁寧な手入れで柔らかく艷やかになっている。震える指で彼女の唇を触ると、ふに、と柔らかかった。

「っぶない……」

 ドルトンは慌てて指を離す……これが子種の起源の為せる技か、とドルトンは指で自分の唇をなぞっていた。


 邪な想いを振り払うために、彼女と出会ってからの最悪の日々を思い返すことに決める。気が重く、狂いそうで、実際狂っていて、血なまぐさい、最低の日々。


 ふと背中にぬくもりが返ってきた。黒髪の女が自分にすがっている。首だけでそちらを向くと、愛しい子がそこには眠っていた。まるでこの至福の瞬間は『これまで耐えてきたご褒美』だと言わんばかりのあたたかいものである。

「……神よ、どうかお許しください」

 古竜に簡素な祈りを捧げると、ドルトンは黒髪の女の首筋にそっと自らの唇を寄せた。なめらかだ、いい匂いがする、柔らかい。手を彼女の胸元に忍ばせる……柔らかい。


 これ以上は、無理だった。


 ドルトンは勢いよく起き上がると、ベッド脇でトントンと垂直ジャンプを繰り返す。自分の心を落ち着かせるため極力意味のない行動に従事する。彼の心臓は早鐘のように鳴っていた。がむしゃらに深呼吸を繰り返す、髪をかき乱す、屈伸を繰り返す、うめき声が口から漏れる。


「神よ、やっぱりお許しくださらなくて大丈夫みたいです」

 顔は真っ赤で全身汗だく。そういえばドルトンは自分の年齢がいくつになるのかとうに認識できていない。グレゴリールームにいると時間感覚は大きく歪む。

「ああ、自分はきっと一人前にはなれない……」


 結局その夜、ドルトンは木の床の上で寝ることにした。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 夢の中でドルトンはグレゴリールームに戻っている。

 キッチンの冷蔵庫の横に立ち、ソグ博士の吸っている煙草を自分が燻らせていた。味も匂いも感じないのに「まずい」と思う。

 作業台の上には血に濡れた麺棒が転がっていた。きっと先程まで自分が使っていたものだろう。


 窓枠を見ると、銀色の弾丸が陽の光を受けて並んでいた。そのすべてには名前が刻まれている。


 アリシア。イヨリ。ウゥリエ。エッタ。カケル。キャロル。ケード。サミュエル。ジョアシャン。スーコ。タイダラ。チルチル。ツー。ニイナ。ネガラシ。ノア。ヒーゼル。フエル。フタリ。ヘラッキス。ミカゲナ。ムーンストラック。モラル。ヤマカド。ユー。ヨルダ。


 そして名前が認識できない沢山の弾丸。黒髪の女からつくられた弾丸は、名有りの弾丸よりも多いかもしれない。

 並ぶ弾丸の中にドルトンとソグの名はない。彼らはHappyBulletになれない。人としての価値がないからだ。命を対消滅させるに値する重みがない。


 いつのまにかドルトンは、白いベッドの上で黒髪の女を組み敷いていた。柔らかな笑みを浮かべる彼女を、ドルトンはこれから損なおうとしている。

 殺す価値すらない自分が、こんなことをしていていいのだろうか?

 苦渋から顔を上げると、まだ役目を果たしていないHappyBulletたちが床に転がっていた。困惑して視線を黒髪の女に戻すと、そこには嫌悪の顔を浮かべたがドルトンを睨んでいた。

 ボサボサの黒い髪を投げ出して、ガサガサの唇を動かして。

「ドルトン」

 苛立っている声だ。ああ、ドルトンのよく知る彼女だ。

 ドルトンはなんだか安心して、愛おしむような手付きで彼女の憎悪に歪んだ目を覆い隠した。


 夢はそこで終わった。布団の気配がする。身を起こすと、木の床の上でドルトンと一緒に黒髪の女が眠っていた。布団は彼女がかけてくれたのだろう。黒髪の女はドルトンに甘えるようにぴったりとくっついていた。


 彼女の本質とは何なのだろう。ドルトンは黒髪の女の頬をくすぐると「ベッドに戻りましょう」と声をかけた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ヤッたか?」

「ヤるわけないでしょう、彼女相手に!」

 ソグ博士になじられながら、ドルトンは薬液の重さを測る。

「おやおや? 昨日、あんたの部屋がドンドンうるさかったんだけどなァ~」

「自分のジャンプ・トレーニングの音でしょう」

 まったくウソではない。まったくウソではないのだ。ドルトンは銀の卵を割ると、卵黄だけを薬液に入れて溶く。カチャカチャと軽快な調理音。

「一応ゴムも枕元に仕込んでおいたんだけど?」

「なんですかゴムって?」

「コン……いやなんでもない。おれが全面的にわるぅござんした」


 観念して煙草の煙をガーッとやけくそに吐くソグ博士。ドルトンは「やめろ」と言うかわりに彼の足を踏んだ。この場に居ない黒髪の女は、大魔女に言いつけられて川へ水汲みに行っている。


「これがになれる最後のチャンスだったのになァ」

「『一人前』になったら殺される。お前や大魔女様と違って、自分にしか出来ることは無いんですから」

 ロッキングチェアを激しく揺らしていた大魔女ルゥリエが、長い花の茎をドルトンに向ける。

「そんなに自分の命を大事に思うんなら、つくらなきゃいいんじゃないのソレ」


 ドルトンは今、黒髪の女を『元に戻す』薬をつくっている。

 レシピはソグ博士が部屋の薬品棚から見つけ出したものだ。ソグ博士はそれっきり、協力しようとはしなかった。


「貴方たちが、HappyBulletなんて代物を彼女に教えなければ、こうはならなかったんですよ」

 ドルトンは憎悪の目をふたりに向ける。魔法使いたちは顔を見合わせてヘラリと厭な笑みを浮かべた。

「ところでアナタ、お料理じょうずなのねぇ」

 丁寧に薬品造りの工程を進めていくドルトンに、大魔女ルゥリエは賛辞を呈した。

「……慣れているので」

 死体をすりつぶすより、植物をすりつぶす方が断然楽だ。


「ただいま戻りました!」

 黒髪の女がガラス瓶を抱えて帰ってきた。

「なんだかいい匂いがしますね?」

 今日の服装は赤のエプロンドレス。彼女の黒髪によく似合っていた。


「水はそこでいいわ。ちょうど、ドルトンがお菓子をつくってくれたとこよ」

「ドルトンが?」

 黒髪の女は両手をあわせて喜んだ。

「ドルトンはなんでもできるんですね」

「なんでもはできませんよ」

 ドルトンは困ったような笑みを浮かべ、ソグ博士はヒヒっと厭らしい声を漏らす。


「さあ、お食べよ」

 ドルトンの代わりにソグ博士が、枯れ枝のような細い指でテーブル上のケーキを指差した。

 それは彼女の肌のように白い色をしたケーキ。飾りつけも何もない、ともすれば未完成品にも見えるシンプルな"薬"だ。

「それとも愛しのドルトン君に食べさせてもらった方がいいかな?」

「ケーキぐらい自分で食べられます。子供じゃないんですから」

 冗談に反応する、その表情すら愛らしい。黒髪の女は、いただきますと言うと白いケーキを手にとった。開いた口から赤い舌が覗く。それもすぐに白いクリームで隠れてしまった。


 ガシャン、と音がひとつ。


 一瞬のことに誰も判別がつかなかった。大魔女ルゥリエのロッキングチェアがゆらゆらと揺れている。だらりと垂れた魔女の指先から黒い血が滴り落ちていた。ルゥリエの頭は、ガラス瓶でかち割られている。大魔女様の前に立つのは黒髪の女。唇の端に残ったクリームを赤い舌でぺろりと舐め取った。


「ドルトン、死体を運べ」

 いつもの声だ。ドルトンは、まだ残っているケーキの皿を前に立ち尽くしていた。

「さっそく殺すなんて、威勢がいいなァ!」

 ソグ博士が引き気味に笑った。黒髪の女は首をかしげる。あの時のような愛らしいやり方ではなく、首を真横に折るような狂った傾け方を。


「この女には前から約束していた。次に会う時は、お前を殺す時だと」

「あー、そうだったなァ」

 動こうとしないドルトンに舌打ちをして、黒髪の女は自ら大魔女ルゥリエの亡骸を背負った。その時に自分の格好に気がついたようで「なんだこれは」と嫌悪の声を漏らす。誰も何も答えなかった。


「グレゴリールームに帰る」

「じゃあ扉を開くからちょっと待ってな」

 ドルトンには、ふたりのやりとりが遠くに聞こえる。目の前の白いケーキを掴むと、自分の口に放り込んだ。

 自分でつくったものながら、優しい口当たりで美味しかった。きっとも、喜んで食べてくれたのだろう。

 きっときっと、食べ終わったら「ドルトン、これすっごくおいしいです」と、微笑んでくれたに違いない。きっときっと、きっとそうだ。


 彼女を殺したのは自分だ。ドルトンは涙を堪えながら、白いケーキを飲み込んだ。

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