no.38 ヨルダ『よくできた息子』

 相対する男がふたり、調度品に囲まれた応接間に立つ。

「何故だ、どうしてだヨアン!」

「残念だなお父さん、思い当たる節もないのかい」


 月明かりが照らすのは、顔を覆って跪く青年と、高笑いをする恰幅の良い男性。

「魔女に唆されたか!?」

 高笑いする男に食ってかかり、が叫ぶ。

「我がよ!」

 傍目には青年の方が『息子』と呼ばれるに相応しい外見であった。

 そして実際、もともとはその青年こそが彼の息子に他ならない――。


 ふたりは、中身が入れ替わっていた。


「今日から僕がヨエル・ヨルダだよ、お父さん……いや、これからはヨアン・ヨルダ君と呼んだ方がいいかな」

「精神の入れ替えなど禁忌だ、大罪だぞ!」

「ヨアン君、大罪を犯してまで僕たちを入れ替えた理由はなんだと思う?」

「ふざけるなヨアン!」

 青年は先刻まで己だった身体に追いすがるが、あっけなく払いのけられた。絶望的な力の差がある。息子の体は弱かった。


「私の銀行が狙いか?」

 青年の声が震える。

「お前には継がせないと決めたからか!?」


 男はニンマリとした笑みを浮かべた。それはヨエルがかつて鏡の前ですら浮かべたことのない……下卑た笑いだ。中身が違えばこうなるのかと父は絶句する。そして息子も笑みを浮かべて黙ったままだ。


「……別の理由か?」

 かつては柔らかい笑みだけを浮かべていた青年の顔は、今では世の終わりを見たような絶望の色を浮かべている。

「病のない身体が欲しかったのか!?」

「何を言っているんだヨアン君。その体を蝕む病魔は、あと数年もあれば特効薬が完成する」

 男は、しかし今度は繊細な笑いを浮かべた。

「金さえあれば治るさ」

「もちろん払うつもりだ! すべてお前を救うために、だ!」

 青年は叫び、咳き込んだ。口元を拭った彼のシャツの袖口には血液が付着している。


「金でも、体でもないのなら……」

 青年の顔が悲愴に歪む。

「だ、駄目だぞヨアン。リリアンは私の愛する妻だ……お前が手を出してはいけない人だ!」

「その人を手に入れるため、は何人を不幸にしてきたんだっけ」

「私が一番あいつを愛しているんだ! この私が……!」

「ごめんねヨアン君。きみはもう、そのリリアンの息子になったんだ」

「ヨアン、頼む、別の理由だと言ってくれ!」

「別の理由だと言ったら、他の理由が思いつく?」


 かつて父だった青年は黙り込む。

 他の理由が直ちには思いつかない。

 過去の自分の醜態を、より深く抉る必要がある。


 これは一体、何の罰なのか?


「ヨアン……お前はどうして……我が息子よ……愛する息子よ……!」

「ああ、こんばんは中央病院ですか?」

 高価なカーテンを握りしめて苦悩する青年を無視し、ヨエル・ヨルダは病院に通信を入れる。

「いえ、息子がまた倒れまして。血を吐いているので診てもらいたいんですよ」

「"ヨアン"!」

「おっと、錯乱もしているようです……」


 "ヨアン"と呼ばれた男は通信を切ると、床に伏す青年に蒼色の粉をふりかけた。

「フガ、なんだこれは」

「魔女の眠り粉だよ。随分とぼったくられた」

「だから、お前には前から、魔女との、つきあいはやめろと……」

「お父さん……その言葉遣いは、年相応じゃない。これからヨアンとして生きていくんだ、改めてほしい」

 青年は急速に夢の世界に引きずり込まれていく。

「魔女との付き合いがあるから、私の銀行は、わたせ……なかっ……」

 そうして、完全に眠りに落ちた。


「おやすみなさい、お父さん」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


 数刻の後、窓を叩く音。男が足を向けると、白衣の者が数名ベランダに並んで立っていた。

「速いな。さすが中央病院」

「ヨルダ氏、ご子息は……」

「あそこで寝ているよ。錯乱して、魔女の薬を吸ってしまったから当分起きないだろう」

「それは酷い事故ですね」

「彼は魔女に近づきすぎたんだ。魔女に攫われてしまわないよう、病院で手厚く"保護"をしていただきたい」

「もちろん、ヨルダ氏のご期待に応えてみせます」

「ありがとう」


 搬送された息子を見送り、ヨルダ氏はニマニマと下卑た笑いを天井に向ける。

「待っていたよ」

 嬉しそうな声が男の喉から漏れる。それと同時に、心臓を貫く発砲音が室内に響いた。


 ガタイのいい男は、彼よりもずっと華奢な黒髪の女に背後から撃たれた。

「待っていただと?」

 黒髪の女は鼻で笑う。

「人違いじゃないか?」

 女の問いにヨルダ氏は答えることができない。口から血が吹き出て、言葉にならない。


 震える手で、ポケットに忍ばせた魔女の眠り粉を取り出そうとするが、その指先は手斧によって吹き飛ばされた。

 抜けた指輪が大理石の床に落ちて音を立てる。大粒の宝石で飾られた豪奢な結婚指輪だ。


「しまった」

 黒髪の女は落ちた指を拾い集めるとポケットにしまった。

「しかし、こんなにデカい体でも、弾が4つしかつくれないなんて」

 女は舌打ちをして、絨毯の上に倒れる男を見下ろす。

「身なりは立派、家族が居て、社会的地位もある」

 血が広がり、絨毯を汚していく。男は言い訳をする様子もなく伏せたまま。

「私は何かを犠牲にしないと、よりく成れないのか?」

 黒髪の女は足蹴で男の体をひっくり返した。重傷人から死体に変わりつつあるそれは、予想以上に下卑た笑いを浮かべていた。


「何を、笑って」

 黒髪の女は一瞬、怖気付いた。どこかで見たことのある笑い方だったから。

 しかし"ヨエル・ヨルダ"は笑うだけで、何をしようということもなく。

「ざまあ、みろ」

 霞む目で黒髪の女を見てそう言うと、彼の命の灯火はゆっくりと消えていった。


「……。」

 なんらかの異変を感じ取った黒髪の女は、死体の前でグレゴリールームに通信を入れる。

「ドルトン、死体回収に来い」

「え、今日はひとりでやれると言ってたじゃないですか」

 律儀に通信に応じたドルトンの声には、ヨルダ氏のような下卑た感情はなく、ただ純粋に『疑問』の意図が含まれていた。

「なんだか……」

 黒髪の女は言いにくそうに、しかしきちんと理由を述べた。

「怖くて」

「こわい、ですか?」

 ポカンとした物言いで返された。離れたところからソグ博士が笑っている声が聞こえる。


「ゾンビの回収はごめんですよ……?」

「いや、死んでる、確実に死んでいる」

 黒髪の女は、目の前の死体の、心臓や、目や、胸の動きを確かめる。

 そして彼女のギョロリとした目は、電気暖炉の上に飾られた写真へ向かう。

 柔和に微笑む妻と、恥じらった笑みを浮かべる子供と、まだ生きていた頃のヨエルの家族写真。


「『花種』と結ばれ『護衛種』をもうけたか」

 ポケットにしまった、切り落とされた指先を握りしめながら、自分に言い聞かせるように黒髪の女は繰り返す。

「ヨエル・ヨルダはもう死んだ」

 あの下卑た笑みの理由が分からないから、怖かった。

「ヨエル・ヨルダはもう死んだ」

 死んでしまっては何もできない。だから、もう大丈夫だと。


 やがて弾と成るヨエル本質正体を知る日は来ないかもしれない。

 彼もまた、その日が来ることを望んでいない。

 黒髪の女にそれが知られない限り、ヨアンは護られ続けるのだから。

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