no.37 ユー『風俗嬢に博士から、助言をひとつ与えよう』

 今回は、非常に手こずっているようだった。ヤツからは「標的が見つからない」という情けない連絡だけが入ってくる。

 その情けない現在状況以外は、どこで、何をしているのかも、こちらからは取り立てて把握しようとも思わない。ドルトンにヤツの対応を押し付けて、おれは"散歩"に行くことを決めた。


「あの人も、たまにはソグ博士を連れ回せばいいのに……」

 ドルトンはナイフの手入れをしながら、自らの扱いとの差を嘆いた。

「おれはそういうことは最初に断ったからな」

「初動が大事、ということですね……せいぜい、お気をつけて」


 投げやりな言葉を背に受けて、おれはグレゴリールームを後にした。基本的に外の世界に興味はないが、たまにはヤリたいことだってある。この世界で必要な知識や、通貨は、おれたちは既に調達済みだ――ありとあらゆる手段によって。だから基本的には好きに振る舞える。人を殺してまわるヤツのように、だ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


「なんてこった」

 おれは裸の女の前で、大げさなジェスチャーをして見せた。

 女は明らかにオドオドしながらこちらの様子を伺っている。おれが彼女を気に入らなかったと心配しているのだろう。他人がおれの機嫌を伺う行動をとろうとすると実に気分が高揚する。


 彼女は何も不安に思う必要はない。おれが先のような反応をしたのは、決しておまえの胸の大きさ色形が悪いと言いたいワケではないのだ。

 女の柔らかな頬に手を伸ばすとビクンと小さく怯えた反応だ。いじらしいじゃないか。ひょっとしたら身体を売る仕事について、あまり日が経っていないのかもしれない。


「おまえ、近いうちに殺されるだろうよ」


 おれは今、実に気分がいいのだ。眼の前の裸の女こそがヤツが血眼になって探している"HappyBullet"の素材だ。

 そんな女とおれは、これから値の張るホテルの一室で楽しいことをおっぱじめるのだ。ああ、ヤツを出し抜くということが、こんなにも気持ちいいことなんてな。


 さて、そこそこ衝撃的だろうおれの言葉を聞いて、裸の女は困惑の表情を浮かべていた。その後、ハハ、と小さく愛想笑いするというリアクションを選ぶ。

 おれが妙な冗談を言ったと判断したのだろう。そういうご機嫌取りの笑みは、まったく嫌いじゃない。

 なんたって、グレゴリールームの連中はおれに敬意を示さない者ばかりだ。比較的小さな世界で"叡智"の象徴だったおれは、もっと小さな世界部屋では"人で無し"という扱いを受けていた。


 在りし日を思い起こさせる彼女の反応は、おれの自尊心を満たしていく。


 グレゴリールームに居ると忘れがちになるが、元の世界じゃあおれだって人並みに性欲を持っていた。好きなように女をつかえる立場でもあった。実った赤子はすべて実験に使った。おれは何もムダにしない男だ。中絶は教義で禁止されているしな。


 まれに――それは週に1回なのか100年に1回なのか、もはや時間の感覚が狂っているが、ふとこの虚しい享楽に耽りたくなる。そういう時はヤツのいない間を狙って女を漁る。

 そういえばドルトンは童貞をコンプレックスに感じていたようだったが、今ではそういった話題も出さなくなった。あいつは"枯れる"タイプなのかもしれないな。

 ……なんて、お楽しみ中に別の野郎のことを考える必要はまったくないわけだ。おれは久しぶりの快楽を存分に享受する。


「あの、すごかったです」

 事後、寝そべって煙草をくゆらすおれの、あばらの辺りを撫でながら女は感想を述べた。

 殊勝な心がけだ。どうせそう言うように決まっているのだろうから、おれもてきとうに「そりゃよかった」と返してやった。

「こう見えて体力はあるからな」

 枯れ木のようだ、とヤツやドルトンに嘲笑されたことを思い出しのでそう付け加えた。

 すると、もう1回やるつもりか、と思ったようで女は部屋の時計に目をやった。延長なんてこちらは気にしない、金ならある。

 この女の身体をもう一度堪能したいかと問われれば、別にそこまでがっついた気持ちはない。性欲は在るといっても別段旺盛でもないのだ。


「あの……私が近いうちに殺されるって、どういうことですか?」

 恐る恐る女が問う。

「そのままの意味だが?」

 今のおれは素っ裸なので、彼女の骨が"1人分"の価値があるか測る道具が手元にない。こいつがおれと同じくらいクズか、ドルトンと同じくらい社会的に無価値であれば、死ななくて済むかもしれないが。


 そういえば、ヤツを出し抜いたと嬉々として事に及んだが、結局おれは自分相手にヤッちまってるようなものである。気色が悪いなァと自分の髪をかいた。灰色のガサついた髪は、昔はヤツと同じ黒い色をしていた。


 厭なもんだ、おれはヤツで、この女もヤツで、ついでに言うとドルトンもヤツで、しかしヤツはおれで……つまるところ、そのループだ。

 狂っているな。じわりと涙が滲んだ。おれの世界に居た時は「血も涙もない男だ」と散々蔑まれたが、おれは涙が出やすい体質なので、つまり下民共の指摘はまったくの的外れだ。この通り涙はあるし、血も今ちょうどおれの背中に滲んでいる。この女、行為の最中に爪を立てるから。


「あの、なんで泣いて……?」

「おまえの未来を憂いているんだ」

 適当なことを言ってごまかす。賢者タイムのおれは、普段よりも優しいポエミーなことを口走る。どこが"賢者"だ。ちなみにこの阿呆みたいな言い回しは、どこかの世界でいつか寝た女に教えてもらった。皮肉のような例えなので、おれはそこそこ気に入っている。


「あの、あなたは占い師さんなのですか?」

「いや、えらい博士だ」

「そうなんですか」

 適当な言説に丸め込まれやすいというのは、ヤツの称する"子種"の特徴なのかもしれない。そういえばヤツは、おれにもドルトンにもしてやられている。


「あの、誰が、わたしを殺すんですか?」

 女の長い栗色の髪がさらりとおれの胸に垂れる。おれに覆いかぶさっている。迫られているようで、求められているようで、実に気分がいい。女は「それどころじゃない」という顔をしているが。

「誰がっていうと……」


 告げようとして、そういえばヤツの名前を知らないなと気づいた。

 ヤツのパーソナリティにはさほど興味がないし、呼びかけるときも「オイ」と呼べばこと足りた。つまり、知る必要がなかった。それに名前を知ることで新たなるラベリングを自分に付与したくない。

 ヤツが『子種』と呼ぶ、その属性のようなものだって、おれは不愉快に思っている。


「……言えないなァ」

 分からないですとこたえるのは、どう贔屓目に考えても格好がつかないので、あえて賢そうな言い方を選んだ。


 女が、懇願するように柔らかい身体を押しつけてくる。媚を売られるのは非常に気分がいい。でも分からないものは分からないので、おれは薄ら笑いを返した。

「じゃあ、どうすれば殺されないか、わかったりしませんか?」

 女は泣きそうな顔でおれを覗き込んでいる。怖い、怖い、死ぬのが怖い。いつかの自分が浮かべたものと同じ表情をしている。しかし涙も鼻水も流れていない分、目の前の女は見苦しくない。気分をよくしたおれは、最上級の助言をくれてやった。


「殺し返すしか、ないんじゃないか?」


 顔を引き寄せて、耳元でそう囁く。本当にそれが出来たら面白いなァとおれは嗤った。女は、そんな、と小さく絶望の声を漏らした。

 段々と愉快になってきたので、おれは女に唇を重ねるとそのまま続きをすることにした。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


「随分と機嫌がよいことで」


 銃の手入れをしているドルトンは、帰ってきたおれに目をくれることもなく呟いた。

 グレゴリールームにはこいつ以外の気配はない。ヤツはまだあの世界で自分に連なる者を探しているのだろうか?

 あの店にいるよ、と教えてやるのは容易いが、別に教えてやる義務はない。おれはそう思っている。


「おまえもたまにはひとりで散歩したらどうだい」

「サーチと手入れの役目を言い渡されているので」

「はぁ、従順だねぇ。下っ端として善い態度だ」

「お前だって下っ端じゃないか。この部屋の頂点はあの女のみで、他は等しくゴミのようなものだ」

「おやおや? どうしたんだいドルトンくん。随分とヤツに毒された考え方になってしまって……」


 顔をあげたドルトンの、目はまだ死んではいなかった。

「あの女は"一人前"だった」

「……ひょっとして気にしているのか? たくさんあったあいつの死体、全部"HappyBullet"にするのは、しんどかったよな。数が多すぎて、な」


 ドルトンは口を抑える。分かりやすい反応だ。こいつが俯くと長い前髪で目が見えなくなるので鬱陶しさが増す。テーブルの端にあった錆びた鋏を突き出して「前髪切ったらどうだ」と勧めておいた。なぜこのタイミングで、と真顔で返される。説明が面倒なので鋏はそのままドルトンの前に置く。


「あの弾丸の製法は、お前が考えたものだと聞きましたよ。なぜ、このような惨い手法を」

「だってそういう技術だもんよ。ああ、おれだけじゃないぞ。骨が使えるというのはヤツも気づいていて。それにおれだって多くの魔導書と、あとは"大魔女"から確証を得た」

「どいつもこいつも狂っている……」

 吐き捨てるとドルトンはいつものように、ウルクグアなんちゃら様に祈りを捧げはじめた。

 今のおれはそこそこ気分がいいので、今日は「やめろ」と咎めることはしない。好きなだけ祈ればいい。それで気分が晴れるんなら。


「ところで、サーチの方は順調じゃないみたいだな?」

「人が多すぎるのです、今回の世界は」

 サーチ機材を見ると歓楽街周辺は絶妙に避けられていた。ドルトンが己の潔癖症から無意識にそこを避けているのだとしたら、それは随分と笑える話だ。おれはますます愉快な心持ちになる。

「なぁドルトン、お前、しょっちゅうヤツに連れ回されているだろう」

「連れ回されていますね。とても迷惑に思っていますよ」

「ヤツとヤッたりしているのか?」

「えっ?」

 不意打ちを突かれてドルトンは間抜けな顔を晒す。何が「えっ」だよ。童貞の反応のそれだ。眼の前の聖職者は顔が赤くなったり青くなったり忙しいご様子。おれは頬杖をついて反応を眺めている。


「ふ、不潔ですよ!? そそそ、それにこの私が、あの女を"愛する"とでも? 正気じゃない、冗談としても恐ろしい! あのような、愚かな、人殺し、おっかない、悪鬼で、人でなしの、恐ろしい女を、自分が? 失礼ですよ撤回してください。ああ、ひょっとしてお前の方が、あの女とそのような関係になりたいと? べっべつにそれならそれで自分には関係ないからまったく構わないのですが、まったく構わないのですが、その、やるなら、私に知られない場所で頼みます。なんかこう……お前は好きそうなので、その、見せつける行為みたいなやつ」


 最初は早口で畳み掛けるような物言いだったのに、後半は明らかにごにょごにょと声が小さくなっていくのが苛々する。

「見せつけるって……おまえ、このおれをそんな風に思っているのか?」

 嫌味で白衣をはだけてみせると、ドルトンはヒッと恐怖の声を漏らしながら机の上の鋏に手を置いた。反応が攻撃的だ、恐ろしい奴だ。


「それにしてもおまえ、ヤツのことが相当嫌いみたいだな」

「逆に聞きますけれど、好ましく思う理由がありますか!?」

「ストックホルム症候群って知っているか? 知るわけないよな、ストックホルムって何って感じだよな。どこかの世界の地名なんだが」

「はぁ」

「で、結局おまえってまだ童貞なのか?」

「あの、すとっくほるむ症候群とは……?」

「童貞なのか?」

「すとっくほるむ症候群とは?」

「童貞なんだな?」

「ああもう、しつこいな! 私はもう信仰以外を何から何まで諦めているので、放っておいて下さい!」


 かわいそうなドルトンだなぁと、おれはさすがに哀れに思った。

 あの女だって四六時中おれたちを監視しているワケではないから、今のおれみたいに、いくらでも、どうとでもできるというのに。

 と言ってもこの部屋を完全に去るなら、それぞれの世界からかけ離れた位置に居るおれたちはあっという間に擦り切れて消えてしまう。

 「死にたくない」と懇願したおれたちは、グレゴリールームに居続けるしかない、ヤツの気が晴れるまで。


 またドルトンが祈りを捧げはじめたので、すがるモノが在るのは羨ましいなと、おれはそれを哀しく思った。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


 今回は非常に手こずった。

「標的が見つからない」という情けない定時連絡を入れたちょうどその後、私は標的を見つけた。


 栗色の髪をした女が、小綺麗な男と連れ添って小奇麗な建物の中に入っていく。

 金眼鏡越しに分かる弾丸の数は4発。何をしたら、人としての価値が下がってしまうのか、私は各々の世界を理解するつもりはない。

 世界が認定するというより、社会が認定しているという方がふさわしいのかもしれない。結局、そこに生きる人々のさじ加減次第だ。殺すべき"創造主"とやることが同じだ。

 すべての世界は私達の派生なのだから、当たり前のことでもある。


「ど、どういうこと……?」

 シャワールームから出てきた女は、私を見てまず最初にそう言った。

 部屋で待っている人が"男"から"女"に代わっていたのだから仕方がない。


 ベッドに腰掛けてそわそわしていた男は「逃げるか殺されるか選ばせてやる」と銃で脅すとすぐに逃げる方を選んだ。殺さなかったのは「なんとなく」で、いや、実はソグ博士に見た目が似ていたから、哀れに思ったから。白衣を着せたらもっと似ると思う。


「ああ、まさか、あなたが」

 タオルだけを身に着けた女は、早足で近づいてきた。私は銃を構えるが、銃を視認しても女は臆すること無くこちらに飛びかかる。

 引鉄をひいたが弾は外れて壁に食い込んだ。数撃ちゃ当たる派なのに、どうして1発だけで仕留めようと思ってしまったのか。


 体格差か、私は標的に押し倒されていた。女は弱々しい笑みをこぼす。裸体で私にのしかかり、こちらの首に手をかけてきた。

 その目は真剣だ。死ぬのが怖いと訴えている。

 ――どうか殺すことはやめてほしい、人を殺すと、だいたいの世界社会では、そいつの価値が下がるから。私はこれ以上、私から創られる弾の数を減らしたくない。


『襲われているんですか!?』

 タイミング悪くドルトンからの通信が入った。これは私にしか聞こえない声だ。

『はっは、どっちの意味でかなァ』

 ソグ博士の笑い声も続く。畜生、見ているな。グレゴリールームに帰ったらソグ博士のことも殺してやろう。だけどその前に私にはヤるべきことがある。先に殺さなくちゃいけない"私"が眼の前に居る。


 私は服の袖からナイフを取り出すと女の脇腹に突き立てた。「ア」と女は鳴く。長く苦しませる殺し方は不本意なので、女が怯んだすきにベッドから転がり落ちると、今度こそ、しっかり撃ち殺せるように銃を構えた。


「やっぱり、私、人なんて殺せないよ」

 脇腹を押さえながら女は呻いている。白いシーツが赤く染まっていく。

「……殺せないんじゃなくて、殺さなかっただけ」


 5発ほど撃ち込んだら女はすっかり動かなくなった。こんなに近距離で撃ったのに、鉛玉は狙った箇所から外れた皮膚に食い込んでいる。

 それはともかく、彼女が間違いを犯す前に殺すことができて本当によかった。ほのかな達成感。ちょうど部屋の壁に銀色の穴が開いたので、私はもう動かない裸体を引きずってグレゴリールームに帰還した。白い床に、また赤色の線が増える。


「いい身体してたのに、もったいねぇな」

 嗤って出迎えたソグ博士の、それは憐憫を含んでいて奇妙に思ったが「どうせ死んだら皆、骨ですから」とドルトンが代わりにあしらってくれた。

 彼を連れ添ってHappyBulletの制作作業にうつる。そういえば最近ドルトンは、弾をつくっている最中に吐かなくなった。善いことだ。

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