no.36 ヤマカドさん『称賛される人生』

 私は、フラットな男である。「普通」とか「平凡」とかそういった言葉は、私のために用意された言葉だと強く実感している。裏付けはこの43年の人生だ。


 恐らく人生の絶頂は幼少期だろう。笑ってさえいれば周りに喜んでもらえたのだから。しかし、そこに私の自我はない。


 少年時代は取り立てて目立つこともなく、心踊る思い出もなく、人生を決定づける趣味にも出会わなかった。仲の良かった友達は学年が上がるにつれて疎遠になった。時が経ち最初に行われた同窓会で彼らによそよそしい態度を取られて以来、私はその手の行事には参加していない。


 とにかく勉強ばかりしていた気がするが、脳のつくりも「普通」だった。いわゆる三流の大学に受かり、淡々と単位を回収する日が続いた。サークルにはうまく馴染めず、すぐに幽霊部員と化した。


 女性と付き合うこともなく、あっという間にモラトリアム期間は終わりを告げ……就職活動は少々苦労した。あたりさわりのないバイト生活の話をして、人事部の心が掴めようか? いや。結局、大学の学生課に相談して、地元の会社に"引っかかる"ことができた。


 ……まだ続けようか。これでもう人生のビッグイベントは、すべて語り尽くした気もするが。


 会社に入ってからの20年は、平凡どころか低空飛行だ。よい成績を残すことはなく、しかし大きな失敗をおかすこともなく。無難に仕事をこなす目立たない男だ。実は新人の頃に少しだけ頑張ってみたことがあるが、そこで失敗をしたので、わずかに在った積極性は完全に失われた。そんな男に、出世に繋がるチャンスは特に巡ってこなかった。それどころか社内で私の名前を覚えている者も少ないだろう。年下の上司、隣の席の中途で入った後輩、あとは総務のお姉さんぐらいではないだろうか。


 ああ、思い返すと全てが虚しくなってきた。両親ですら、私よりも快活な兄や、活発な妹に目を向けている。それに互いにこの年だ、家族とはすっかり疎遠になっている。病気や怪我といった"大きな痛手"にもあえば省みてもらえたのだろうか? 苛められるとか、痴漢の犯人に間違えられるとか、財布を盗られるとか……幸いにして、いや不幸にして、そういったトラブルに遭遇したことはない。


 悪いことは起きないが、良いことも起きない人生だ。そういえば「くじに当たった」なんていうささやかな喜びですら、私は体験したことがない。


 私は自分のことをフラットだと語った。私の人生には起伏がないのだ。喜びも、悲しみも。いいことも、わるいことも。


 最近はふと物思いにふけることが多くなった。地球の生物の使命である"次代に命を繋ぐ"という役割さえ、私はまっとうできそうにない。では種のためでもなく、自分のためでもなく、私は何のために生きているのだろうか? この社会1人分の枠を食いつぶすだけだろうか。はた迷惑な存在じゃないか。私という存在は果たしてどうなのだろうか?


「お前は"一人前りっぱ"だ」


 見知らぬ黒髪の女性に、出合い頭に唐突に告げられた時、私は、確かに嬉しかったのだ。


 その女性はどうしてか、銃を構えて私の前に立っていた。それは定時であがった日のことで、夕焼け空の海浜公園。人通りは無い。やがて来る夜に備えるため、街灯に明かりが灯りだす時分の出来事だ。その光は、今は夕日に喰われている。私と彼女の影が黒く延びていくのを私は黙って見ていた。


「……"私"のくせに、他者を損なうことなく、よくその歳まで生きてこられたものだ」


 淡々と告げられる。その言葉の真意は掴みかねたが、それは確かな"賞賛"だった。私はついに泣きだしてしまった。小学校の全校朝礼の光景がフラッシュバックする。全校生徒の中から優秀なこどもたちが、校長先生から賞状をもらっている、その背中を思い出した。今ようやく私も、壇上にあがる時がきたのだ。


 銃声は13発。少し、執拗だったと、思う。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「近頃は7発分取れる亡骸が減ってきましたね」

 血が滴る死体を背負い、ドルトンは嘆きの声をあげた。夕焼け空の下、鬼ごっこをしているこどもたちが黒髪の女とドルトンの横を通り過ぎる。彼らはこちらを見向きもしない。


「全体的に素行が悪い」

 黒髪の女が淡々と返す。その声に感情はこもっていない、フラットな声。

「……貴方の行いが、末端まで浸透してきたのでは?」

 ドルトンの指摘に、黒髪の女は眉を顰めた。ふたりは歩みを止めない。


「つまり世界を渡ってまで人を殺して回るという愚かな犯行が、結果的に貴方の目的を遠ざけているのですよ。そう、"罰"というものですね。大変哀れで少々滑稽な展開です。ですが、私はこう考えます! 我らが主神、ウルク・グア・グアランド様の教えに従うのであれば、きっと慈悲深きウルク・グア・グアランド様は貴方にですら救いの手を差し伸べてくれると。遅すぎることは無い、ウアッ!?」


 長口上の最後の方、声が上ずった原因は、黒髪の女が振り上げたナイフがドルトンの首元をかすったから。

「……っぶない」

「だいぶ反応できるようになった」

「あのですねぇ……私はお前の代わりに死体を運んであげているというのに、どうしてこう……」


 ドルトンがブツブツと文句を垂れている間にも、真っ赤な空は闇に喰われていく。やがて何事もなかったかのように、ふたりは歩行を再開した。黒髪の女は動かない"7発分いちにんまえ"を背負うドルトンを見上げる。視線を感じてドルトンも彼女を見下ろす。なんでしょう、と言うその顔つきは、あの日泣きわめいていた聖職者のものから些か雰囲気が変わっていた。


「……お前も」


 言いかけて、黒髪の女は口をつぐんだ。潮風が、女のグシャグシャになった髪をさらにかき乱す。彼女が何を言おうとしたのか、ドルトンはさほど興味がなかったので、続きを促すこともない。

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