no.33 ムーンストラック『ヒーロー殺し』

(ナレーション)

 セカンドシティは、今や怪人が跋扈する魔窟都市と化していた。


 星より到来する悪性生物・虚無ホロウ。それが人に取り憑き怪人へと性質を変える。元に戻す方法はひとつ、聖なる力によって虚無ホロウを浄化すること!


 虚無ホロウがセカンドシティに蔓延した原因のひとつは、この都市を護る神霊柱碑が破壊されたからだ。北東の碑に宿っていた神霊・ホワイトドラゴンの『ワイズマン』は、消滅寸前に出会った青年に「市民を守るため手を貸してほしい」と持ちかけ、力を譲渡する契約を交わした。


 こうしてドラゴンの力を得た青年は、正義のヒーロー『ムーンストラック』として、相棒のちびドラゴン『ワイズ』と共に、怪人と戦う日々がはじまったのだ!


(ナレーションおわり)


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ……そうして黒髪の女が降り立ったのは、今。巨大な象蛇の亡骸の上。先程ムーンストラックが倒した虚無霊柱のひとつ。

 ドラゴンの翼を広げて上空を旋回する男を見て女は確信した。あいつで間違いない、と。どうやら慈善活動のおかげで"7発分の弾"の価値がある人間になったようだ。


 黒髪の女の存在に気づかない市民は「ムーン! ムーン!」と喝采をあげて彼を讃え続けている。象蛇の亡骸を回収しようとする警察官や消防隊員が集まりはじめ、新聞記者が大通りにいる市民にインタビューをはじめる。ヒーローの戦いは今日はもう終わりだと、誰もがそう思っていた。


 飛ぶ対象は撃ちにくい。それに、これだけの人前でを殺すのも億劫だ。どうやってあの男をおびき寄せようか、黒髪の女が考えていると。ムーンの背にしがみついていた小さなドラゴンが喚きはじめた。

「おい、ムーン! なんかヤバそうなヤツが残ってるぞ!?」


 彼は女と同じ黒い髪。目を隠すための銀の仮面。風にはためくマントと、動きを阻害しない薄めの装甲。黒髪の女は『ムーンストラック』なる男を観察する。

 仮面の穴から目が見えた。そう認識した瞬間、黒髪の女にはムーンストラックの眼が歪んで見えた。とても正義のヒーローとは思えない瞳だった。


「場所を変えたいんだけど」

 黒髪の女からそう提案した。彼女の手には新品のハチェット。

「衆人環視の中で殺されたくないだろう、ヒーロー?」

「……おまえ怪人か? それとも薬でもキメてる人? 少なくとも虚無ホロウ影響オーラが見られないぞ」

 ワイズがムーンの肩ごしに黒髪の女を見て、怪訝そうな声をあげる。


「何者であれ、市民に危害を与えることは許さんよ。行くぞワイズ!」

 ムーンストラックが力強く宣言すると、ワイズが頷き天空に向かって吠えた。空から光の雨が降りそそぎ、一瞬にして網目状のバリアに代わる。セカンドシティの中空に、戦闘におあつらえ向きのフィールドが完成した。

 大通り、周囲のビル群。黒髪の女がバリアごしに見渡すと、多くの市民がムーンストラックを見守る様子が伺える。

「人の話は最後まで聞いてよ、ヒーロー」

 黒髪の女が2本のハチェットを構えた。

「私が殺したいのはお前だけ」


 それが合図だった。黒髪の女が跳ね、ムーンストラックが迎撃の構えをとる。ドラゴンの加護たる白い炎をまとったパンチが女の腹に届いた、と思った瞬間それは爆竹のようなもので逸らされた。強い音と光に一瞬惑わされ、ムーンストラックは黒髪の女を見失う。女はすぐ上にいた。手斧を振りかざし飛び降りてくる。彼女の靴裏で奇妙な紋様が光っているのが見えた。宙を自在に駆けるのはあれが由来か。頭上からの襲撃はワイズの火炎放射で逸らすことに成功した。瞬間、斬撃の音。ムーンストラックの手刀が黒髪の女の首を狙ったが、素早く振り上げられた手斧に防がれ、女の長い髪を切り落とすだけに終わった。


「ムーン! ムーン! がんばれー!」

 バリア越しに歓声が響く。煩わしく思った黒髪の女が銃を1発、外に向けて撃ったが、ライトグリーンに輝くバリアに接触すると銃弾は光となって拡散した。

「うっげぇー! あいつの鉛玉ヤバい!」

 ワイズが思わず恐怖に叫ぶ。

「アレほんとにただの鉛玉? ああ、いや、成分はまったくただの金属。でもとんでもない怨念がこめられてやがる! 虚無ホロウどころかさっき倒したヤツより、ずーっとやっべぇぞ!」

「あっそう」

 黒髪の女は短くなった髪をかき乱しながら不機嫌そうに答えた。

「ただの弾でなら、HappyBulletだとどうなるかな」

 試してみる気はないけれど。そう続けて、黒髪の女はムーンストラックが放った炎弾を蹴り返す。どうやらヒーローは彼女の足を狙うように決めたようだ。動き回られると仕留めにくいと、同じことを考えていたところだ。


「ワイズ、危険を感じたらすぐに離脱してほしい。あいつの目的は私のようだが、そのためには私の脚でもある君を狙うだろう」

「脚扱いかよ。相棒って言ってくれよ! それよりあいつが何なのか心当たりはあるのか? 怪人でもねぇのに、なんでムーンを狙うんだ! ひょっとして元カノ……」

の敵だ」


 ムーンストラックは襲いくる女の斧を高温の手で破壊した。距離をとっていた理由は、熱を貯める時間を稼いでいたからだ。女は舌打ちすると、今度はどこからかハルベルトを取り出して……その有り得ない光景に虚をつかれ、ムーンストラックは左腕を斬り落とされてしまった。弧を描く刃の軌道はそのまま血しぶきの軌道に変わる。黒髪の女は切り落とした腕を拾うと懐にしまった。


「なんだあの斧!? マジックか!? 転移装置でも組み込んでるのか!? ……おい、ムーン、しっかり!」

「まだしっかりしている……」

「片腕で戦うなんて正気じゃないぜ! 一旦離脱しよう!」

「いや、この戦いから私は逃れられない」


 腕を切り落とされてもなお抗い戦う気のふれた男ムーンストラック。血を撒き散らしながら、黒髪の女を蹴り、殴り、燃やし、黒髪の女もまた、新調したハチェットを男に振り上げる。

「ムーン! ムーン! ムーン!」

 歓声はやまない。異常な殺戮ショーに対する、市民の熱を伴った声。

「やっぱり、お前は……」


 とうとう両腕を失くしたヒーローは、血にまみれる頑強な女に屈した。仮面がはずれて地に落ちる。晒されたのは整った顔立ち、彼は本業がモデルでありセカンドシティにおいては華やかな世界に身を置いていた。

 しかしとりわけ目立つのは絶望を浮かべた双眸である。どんな輝きも彼の瞳には溶け込んで、消えてしまうだろう。

 彼の荒んだ表情にワイズは思わず息を呑んだ。こんなの「僕らのヒーロー・ムーンストラック」ではないと言わんばかりに。


「ムーン、一旦引こうって! 腕ナシじゃ分が悪いだろう? 歩きはじめたばっかりのお子様だって分かることだ。今回ばかりは他のヒーローと協力しないと無理だって!」

「ならばワイズだけ行ってくれ。私が死ねば、あいつは満足する」

「やだやだ、諦めんなよムーン! なんでそんなこと言うんだ!」

「あいつは……『私』だからだ……」


 ほう、と黒髪の女が感心したように呟いた。ワイズは蒼白の表情で男と女を見比べる。

「嘘だ! あんな化物がムーンなワケないだろ! 幻覚攻撃でも受けたのか!?」

 ワイズがあわてて浄化の光を男にあてるが、ムーンストラックは残念そうに首を振るばかり。

「あいつは……私の中に眠る『邪悪の具現化』だ」

「いや、違うけど」

「人を救っていい気になっている私を咎めに来た存在なのだろう」

「いや、だから違う……」

「咎められる必要なんてないだろ!? お前はこの街と市民を救っている、正真正銘の正義の味方なんだから!」


 否定を続けていた黒髪の女だったが、ヒーローとそのペットがまったく話を聞こうとしないので、とうとう諦め押し黙った。


「ワイズ。私がお前の頼みを引き受けてムーンストラックヒーローになったのは、あいつの存在を心の奥底で認識していたからだ」

 両腕なく、竜の翼のみで宙にとどまる男は、人というよりは一種のモンスターに見える。少なくとも……黒髪の女はそのような認識を持っていた。


「私の中の邪悪は、きっと多くの命を踏みにじってきたのだろう。幼少の頃からずっと私は"贖罪しなければならない"という、正体不明の焦りに心臓を握られていた」

「じゃあ、ムーンが俺と契約してくれたのは……」

の悪行を清算するためだ。軽蔑してくれ。正真正銘の正義の味方じゃなくてすまない、ワイズ」

「俺、ムーンのことそんな風に思わないよ!」

「お前が私を選んでくれて嬉しかった。"ワイズマン"、この街の平和は……どうか、次は正真正銘の善人ヒーローと共に……」


 男を掴まえていたワイズマンから力が抜け、腕のない亡骸は黒髪の女に回収される。どっしりと重い。すでに手に入れた腕とあわせてきっちり7発分ある確かな感触。黒髪の女は嬉しくて、血に濡れた死体をしっかりと抱きしめた。


「ムーン、ああ、ムーンストラック、僕らのヒーロー……!」

 とうとうひとりになったワイズは、大きな涙を地に零す。

「よかったなぁ、お前」

 目的を達成した黒髪の女は神霊柱ワイズマンに余裕の声をなげかけた。

「私が存在したから、無償奉仕してくれるヒーローとやらが生まれたんだ」

 ムーン、ムーンと、遠くからなおも歓声が響く。

「違う! ぽっと出のお前に何が分かるんだ!」

 怒りにかられワイズの目の色が変わる。美しい碧色から、ぎらついた金の眼へと。

「ムーンストラックは最初から正義の味方ヒーローじゃなかった。戸惑いから始まり、声援で成長し、自分を認められるようになったんだ!」

 神霊柱・ホワイトドラゴンの残滓たるワイズは、彼の信じるヒーローのために叫んだ。

「あいつがヒーローになったのは、絶対にお前のおかげなんかじゃない!」

 男の暗い瞳に光が宿ることは、生涯なかったけれど。


「そう。別にどうでもいい。で、どうする? 大好きな人と一緒がいいならお前も殺してやるけれど」

「……俺は、この街を護る、次のヒーローを見つけないといけない」

「こんな惨劇を見て、こいつを継ぎたい人っているのかな」

 ぼさぼさになったムーンストラックの黒髪を、女は血まみれの手でわしゃわしゃと撫でる。

「ここを覆っているバリアは、途中からみんなに見せている映像を切り替えている。偽物の映像だ。まるで映画だよ。みんなが盛り上がってるのは、あんたといい勝負をしているムーンすトラックを観戦しているからさ」

「ああ、どうりで」


 ムーン! ムーン! ムーン! ムーン!

 歓声はやまない、熱気の渦だ。


「お前、ろくな存在じゃないね」

 はひどく複雑そうな顔をして、しかし言い訳をすることもできなかった。そのまま黒髪の女は銀の門をくぐり、この世界を去ってしまう。


「ムーン……」

 かつての相棒の名を呼ぶと、ワイズはバリアを解いて天空に向け敗走した。「かろうじてムーンストラックが勝利した映像」を見せられた観衆たちは、満足しながらそれぞれの日常に帰っていく。こうしてセカンドシティは、平和的な街の喧騒を取り戻す。


 己の役目に忠実という性質が、神の下に残る種とまったく同じだったので、黒髪の女は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。そして久しぶりの"一人前の死体"をしっかり抱きかかえると、足取り軽くグレゴリールームに向かったのであった。

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