no.32 ミカゲナ『好奇心で猫を殺す』

 ドルトンは庭園と道路を分断するフェンスに寄りかかって、老婆の話を聞いていた。銀髪の老婆はゆっくり、そしてぼそぼそと話すので、ドルトンは缶コーヒーを片手にただ頷きを繰り返す。暇な老婆の時間つぶしに使われているのだと理解していたのだが、黒髪の女から離れられるのであればそれは、彼にとって穏やかな時間そのものだ。


 これから殺しを働く黒髪の女にとって、庭園を散歩する無関係者は邪魔になる。だからドルトンは『暇を持て余している旅行者』という身分を装い、老婆の気をそらす役割を担っていた。よく手入れされたガーデンは、それでも朝早い時間のせいか来客はいない。土の上をゆっくり歩くアリの列は、目で辿るとアスファルトの亀裂の中へ潜っていくのだと分かった。


「あのお嬢ちゃん、猫が好きなのかねぇ」

 老婆は低木の間を走り廻る黒髪の女を見て呟いた。ドルトンが顔をあげた時には"猫"の姿など見えなかったので「どうかな」と適当な返事を返すしかない。

「猫はいいわよねぇ、猫に九生ありCat has nine lives.だものねぇ」

 老婆はたちの悪い咳をしたあとにそう続けた。


「8回も死ねるのですか?」

「あら、厭な考え方ね」

 老婆はいたずらそうな笑みを浮かべて、そのままドルトンの肩をポンと叩いた。

「私はもう行くわ」

「どうかお元気で。ウルク・グア・グアランド様の火の加護があらんことを」

「あらやだ、加護をくださるのは我らがしゅだけでいいのよ」

 老婆は杖をつきながらゆっくりと庭園を後にした。続いて庭園から踏み出そうとして、ドルトンは一瞬躊躇し、結局足を引っ込める。

 慣れないスニーカーがどうにも窮屈だ。アスファルトに残る水たまりへ視線を落とすと、この世界の衣服に身を包んだ自分の姿が目に入った。本来であれば修道服に身を包むべきなのだが、自分はこんな所で何を。ドルトンは自己嫌悪に陥るが、遠くで銃声が響いたのでその考えを改める。

「まだ殺しに関与しなくていいだけマシか」


 嘆息をすぐに引っ込めることになったのは、黒髪の女の笑い声が聞こえたから。

「な、なに!?」

 あの女も笑うのか。心底驚いてドルトンは声のもとへ急ぐ。水やり後の芝生を駆け、スニーカーを水滴と泥で汚す。ドチャ、と音をたてて立ち止まると、木の根元に横たわる黒猫、飛び散った血液、木につけられた弾痕、そして銃を片手に持った黒髪の女が順番に目に入った。


「珍しく一撃か……」

 そう呟いた後、ドルトンは思わず自分の手で口を覆った。自分は今なんと? 畜生への哀れみではなく、先に口をついて出たコレは?

 黒髪の女はドルトンの存在など意に介することもなく、ヒーヒーと引き笑いを続けていた。

「畜生でも7発分とれるのですか?」

「あっはは、4発分だったよ」

 ドルトンの背をバシバシと叩きながら黒髪の女はなお笑う。

「あ、は、は、なんでかなァ」

 黒髪の女が指差す先、黒猫はピクリと動くとゆっくりと起き上がる……。


「畜生の身に落ちてすら、4発分にはなったのに」

 黒髪の女は銃を捨てた。

「もうあれは"別人"になった!」

 黒猫はナァーゴと鳴き声をあげる。殺されたことなどとっくに忘れたかのように、黒髪の女の足に体をすりつけた。

「……殺した瞬間、別の魂が発芽した」

 もうその声に愉快そうな色はない。ただひたすら落胆の声。


猫に九生ありCat has nine lives.、ってそういうことか……?」

 ドルトンの呟きに、黒髪の女は怪訝そうに首を傾げた。

「なるほど?」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


「あら貴方。この街は物騒よ。早くに戻ったほうがいいんじゃないかしら」

 モーテルの軒先で、車椅子に乗った老婆と再開した。老婆は前に会った時よりも衰弱しているようにも思える。はははと引きつった笑いを返す、青い顔をしたドルトンに、老婆は持っていた新聞を渡した。

「お古で悪いけどあげるわ。この国の文字は読める? ほら、ここ。猫ばかりが殺されているの。それも色んな殺され方よ」

 車椅子を押す係の男が、困ったように老婆に何かを告げる。老婆は「あと少しだけ時間を頂戴」と返して、ドルトンに向き直った。

「きっとこの犯人、次は人間を襲い出すわ。ノロマな警察には、今のうちに動いてほしいのだけれど」


 曖昧な会釈をして老婆と別れたその瞬間「ドルトン!」と弾んだ声をかけられる。

 驚いて振り向けば、血まみれでもがく白猫を抱えた黒髪の女が立っていた。恐ろしく上機嫌で、だからこそ非常に珍しい、達成感にあふれた笑顔を彼に向けている。彼が初めて見る顔だった。とても、この街の猫を殺しまくっている犯人とは思えないような。


「やっと出てきた! 手こずらせやがって」

 弾んだ声で、黒髪の女は猫の肉球を血まみれの指でぷにぷにと弄る。じゃれあうような仕草が、全てを知るドルトンにはとても恐ろしく思える。

「狙い通り、魂に逃げ場なんてない」

 世界を循環していると云うそれは、なるほど確かにドルトンの信じる古竜教のものと同一の思想であったが。

って、思いつけて良かった」

 猫なら殺しやすいもんだと黒髪の女は晴れ晴れとした表情で告げる。

「ドルトン、あの話、教えてくれてありがとう」


 通り過ぎる車の排気ガスにドルトンは咳き込む。ああ、いずれグレゴリールームの奥に引きずりこまれるであろう白猫の、今はまだ生きているに、ドルトンはどのように言葉を尽くして謝るべきか。どうしても答えは出ないままだ。

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