ⅳ 増える減る、維持する変わる
no.31 Mother will be Madness
柔らかい白布に包まれて"自分"が大きな声で泣きじゃくっている。
渡界先で出会えたのは赤子だった。天井から下がるモビールが、オルゴール音を奏でながら星の回遊を見せる。床に散らばるいくつかの絵本。開け放たれた窓から柔らかな風が舞い込んでくる。
この子は、この世界に祝福されている。黒髪の女は確信する。
一方で、血に塗れた道を行く黒髪の女は、その赤子にとって生まれて初めて見る"邪悪"そのものだった。
ゆえに泣く。泣き喚いて、警鐘を鳴らす。その声に気づき母親が部屋に戻ってきた。白い服を着た、ショートヘアの清楚な女性だった。
母親を見て黒髪の女は瞠目した。きっと間抜けな顔をしていただろう、それは心の底からの驚愕だった。
母親は「貴女、どこから?」と尋ねる。その声は黒髪の女にとっては聞き覚えがある、ひどく懐かしいものに感じられた。眠る赤子と母親を交互に見る。
この子は"
ああ、なんということだ。
『子種』と『母種』が全く同一の役割を持って同じ世界に存在している。様々な世界を渡ってきた彼女がはじめて出会う
窓から舞い込む風は花の香りを伴いカーテンを揺らす。母親のロングスカートもひらひら揺れる。赤子は、今ではすっかり落ち着いている。これらは白く、柔らかく、清らかな存在である。
そしてきっかり7発分。ああ。黒髪の女は息を吐く。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
赤子の遺体を抱きしめて部屋に戻ってきた女を見て、ソグ博士はいつも通り何も言わず、そしてドルトンはいつも以上に辟易とした表情を浮かべた。
「何もこんなに小さな子を殺さなくても」
咎める声に女は俯いた。珍しく
「こんな小さな体から、貴女の求める弾などわずかしか作れないでしょう? だからこういった殺人は極力」
「いーや体のサイズなんて関係ないね」
ソグ博士がニヤニヤ笑いながら口を挟んだので、ドルトンはお手製の経典ノートで彼の手をピシャリと叩いた。そのやり取りを見ても女の表情は変わらない。
「……子供は楽でいい」
黒髪の女は沈んだ声で告げる。
「楽に縊り殺せた」
「……。」
「
黒髪の女は強調した。そしてデスクの上に遺体を置くものだから、ドルトンは思わず「ここで食事をするのに」と文句をこぼす。
「返り血がないな?」
ソグ博士は黒髪の女を指差すと推理ごっこに興じ始めた。
「この子を守る親がいなかった証拠だ。捨て子だな? 弾7発分もあるのか疑わしい。前みたいに"育てた"方が良かったんじゃ?」
「何から何までハズレだ」
黒髪の女が赤子の遺体の首を掴む。
「"育てる"なんて二度とするもんか」
「ああそう」
「この子には母がいた。母は殴って気絶させた。だから私に反撃できなかった。私は今まででもっとも簡単に私を殺せた。弾だって、7発分ある! この子は」
3人の顔が曇る。
「
そう言い残して、黒髪の女は赤子を抱き上げグレゴリールームの奥に引っ込んだ。
やがて響くは骨を砕く音。HappyBulletはきっと正しく7発分。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
作業に夢中になっている女の耳には届かなかったのだが、部屋の掃除をしていたドルトンと、詰将棋を嗜んでいたソグの耳には"母親"の絶叫の声が聞こえていた。
――それは痛ましいものだった。耳にするだけでこちらの心を引き裂く、底の見えない絶望。己の無力さと相手の無慈悲を呪う、激情の声色。母が、母以外の何かに生まれ変わるような、怨嗟の狂渦が聴覚を侵す。
「おかあさんを怒らせた」
ふたりは同時につぶやき、それぞれの作業の手を止める。
「……お前にも母親がいるのですか?」
ドルトンの問いに、ソグ博士はヘラリと笑う。
「クソ女だったよ」
ドルトンは深くため息をつくと、気を取り直すように手を大きく広げた。
「私の母親は敬虔なる古竜の使徒ですよ」
「あーはいはい、よかったね」
適当にあしらわれるのは、もはやいつものことだ。
「……とても、私の口からは言えないが」
「じゃあおれが代わりに言ってやろう」
俯く聖職者の顔に、ソグ博士は煙草の煙をふーっと吐きかける。
「あいつ、母親もしっかり殺しておけば良かったのにな」
途切れることのない母の叫びを聞きながら、それでもグレゴリールームに棲む3人は
「早く、早く過ぎ去りたまえ」
世界とこの部屋の時間の流れは違う。一刻も早く数百年が経過することを、聖職者は耳を塞ぎつつ祈った。
「嗚呼、どうか救済を、ウルク・グア・グアランド様……」
「子供を愛した母親なんて、久しぶりにイイ話だぜ」
おやつに食べた鳥の骨を並べながらソグ博士は病んだ笑みを浮かべる。骨の大きさを比べて「こいつが母でこいつが子供!」と趣味の悪いおままごとをしていた。
やがて呪いの声が途切れた頃に、黒髪の女が作業部屋から出てきた。鉄の腐臭をまといながら、血まみれの手で今回の成果を机の上に転がす。7発の弾がデスクの上に並ぶ。過不足なし。
何も喋らない黒髪の女に向けてドルトンがおずおずと挙手をした。
「その子の母親が、悲しんでいましたよ。貴女も母親を大事にしていたのでしょう。こういう子は、見逃してあげても、良かったのでは」
それはドルトンによる何もかもが遅い提案。
「例外なんてつくったら他の私に失礼」
黒髪の女はバッサリと切り捨てる。
「い、一理ある、のか……?」
そう呟き、赤子の魂の救済を祈るドルトンの大きな手を見て、「狂ってるねぇ」とソグ博士は馬鹿にした。
「次も
黒髪の女は無表情に呟く。それを聞いてソグは声をあげて笑った。
「おまえが誰かに愛されると思うのか?
「ああ、では本当にこの母子の絆は、奇跡の繋がりだったのですね」
ドルトンは思わず涙ぐむ。この女に「間違ったことをしているのだ」と自覚させる絶好の機会であると彼はみていた。しかし、しかし。
「弾が作れるなら何でもいい」
黒髪の女はそう言って、HappyBulletをマガジンポーチにしまいこんだ。
母の恨み声なんて黒髪の女は生涯聞いたことがなく、今も時折響くそれは、彼女には"風の唸り声"にしか聞こえない。
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