no.29 ヘラッキス『殺しにくい男』
「このオレを殺すと言うのかい、お嬢ちゃん!」
上裸の大男は自らの筋肉を見せつけるようにモストマスキュラーのポーズをとった。黒髪の女は、不機嫌そうな表情でそれを眺めている……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
黒髪の女が『おみやげ』として持ち帰ってきたのは、"ドルトン"と名が刻まれた林檎だった。
「悪趣味ですね」
それは既に割れていて、血のような液体を零し続けている。
「食べるのかい」
ソグ博士がふたりに尋ねる。ドルトンも、黒髪の女も、同時に首を振った。
「呪われそうなので遠慮します」
「死体を食べる趣味はない」
黒髪の女の予想外の言葉に、ドルトンはぎょっとした顔を返す。女はそれについては特に説明はしない。
「
それだけ言い残すと、弾造りの作業のために隣の部屋に引っ込んだ。
珍しくふたり分の遺体を連れて帰ってきたが、黒髪の女は「今日はひとりでいい」と
「よほど胸糞悪いヤツだったと見える」
ソグ博士が病的な笑いを見せた。
「クズでも弾がつくれる要領のいいヤツが相手の時、ああやって不機嫌になるんだ」
「彼女についてそこまで詳しくなりたくない……」
ドルトンの返事はつれないものだ。
リビングルームの壁にはいくつかの弾の跡。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
「ほらほらどうした! そんなナマクラじゃオレの皮1枚も破れないぜぇ!」
「クソ、刃物は無理か……」
磨き上げられた男の肉体が光る。適当に買った包丁なんかじゃ、傷ひとつ付けられない!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
ドルトンは台に置かれた林檎へ狙いを定めると、そのまま鉛玉を2発撃った。どちらも林檎に刻まれた"ドルトン"という文字に穴を穿つ。極めて正確に。
「オォ~」
ソグがパチパチとやる気のない拍手をした。
「おまえ、あの女より狙撃手に向いてるんじゃないか」
「やめてくれ、そんな」
「じゃあ何で訓練なんてしてるんだ」
もう2発、林檎に鉛玉が食い込む。
「……あの女には逆らえません」
脂汗がひとつ、ドルトンの首筋を伝う。
「私がなに」
「うわぅ!?」
いつの間にかグレゴリールームに居た黒髪の女の声に、ドルトンは仰天して銃を落とす。ソグ博士は興味なさそうに煙草をふかす作業に戻る。
「お戻りで……」
「あいつ、刃物が、効かなかったから」
苛立った様子の女は思い思いの凶器を鞄に詰め、慌ただしく部屋を出て行く。
「もう行くんですか?」
「ぼやぼやしてたら時間が過ぎる」
渡界先によって時間の流れはまったく異なる。グレゴリールームを一瞬出入りしただけで10年経過していることだって有り得るのだ。せっかく見つけた『自分』を見失うことを黒髪の女は厭わしく思っている。
壊れそうなほど大きな音をたてて扉は閉ざされる。
「……ハァ」
扉を眺めながらドルトンは深くため息をついた。
「お前の考えてることを当ててやろう」
壁にもたれかかっているソグ博士は、天井を眺めながら言葉を続ける。
「『あの女、逆に殺されればいいのに』」
「そんな恐ろしいこと、とても思いつきませんでしたよ」
「ヒッヒ、ずいぶんと善人思考じゃないか。おれのくせに」
ドルトンは床に落とした銃を拾い上げた。どこかの世界で誰かが作った、お手軽で汎用的な凶器のひとつを。
「お前たちを見ていると、ますます私の考えが肯定される」
「ほう、聞かせてくれたまえ」
ソグは吸いかけの煙草をドルトンに向かって投げた。ドルトンはそれをはたきおとす。このやり取りにすっかり慣れてしまったようだ。
「私のこの善性、清らかな思想は、最初から決定づけられたものではなく、優れた教えと後天的な努力によって培われたものなのだと……」
「はぁ」
ソグは苦虫を噛み潰したような顔をみせた。ドルトンが自身の
「お前たち、特にあの女の行いは非道だ、とても嘆かわしい。だがそうであるほど、ウルク・グア・グアランド様の教えと偉大なる加護を、私は身近に感じることができるのです」
「ハァ、童貞聖職者がよく云う」
「お前も改宗してはどうですか。ソグ博士、貴方の肉体は古竜の由来を持ちませんが、今から教えに従えば、必ずやウルク・グア・グアランド様のもとで安らかな」
「ああもういい、いい」
「竜の炎を」
「だからいいって」
ソグはドルトンの鼻を摘んで黙らせる。
「俺はキリスト教徒なんでね」
「古竜教は他の
「さて、忘れたなァ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
「ウワハハハハ! 残念だったな! それで終わりか!?」
「無傷って……」
殴打がまったく効かなかったので、今度は巨大な岩を落として潰そうとしたが、その頑丈なボディで受け止められた。当然、銃撃だって鋼の肉体で無効化される。
この大男は単純に強い、強すぎる! とうとう黒髪の女は、死体が破損する覚悟で手榴弾を投げたが、爆炎を背景にゆらりと立つ大男を見て「狂ってる」と零してしまった。
「さすが俺、スーパー・ヘラッキス様だ!」
大男は黒髪の女をおちょくるように決めポーズ。
「さぁさぁ次はどうする!? やっぱりお嬢ちゃんにも、オレを殺すなんて無理なのかぁ!?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
「そういえば」
ふたりで食事を摂取している時、ふいにソグが呟いた。
「あの女、おれにはお土産を持って来たことないな」
そう言われ、ドルトンは台に放置されたままの穴だらけなリンゴに目を向ける。もはや名が刻まれていたことも分からない有様の物体だ。
「お土産を欲しがる人だったとは、意外です」
「いや、付き合い長いのに新入りに先を越されるのが癪」
ドルトンは、思わず食事の手を止めてソグを凝視した。灰髪のやつれた男は怪訝そうな顔でドルトンを見返す。
"人間らしい感情のない、完全にぶっ壊れた、ヒトの形をした異教徒"。
ドルトンはこの部屋に住む者たちをひたすら不気味に思っていた。
とても居心地が悪く、ドルトンは気が気じゃなかったし、その想いを何度も口にしている。
しかし目の前にいる不気味な博士は、確かに"嫉妬"という人間らしい感情を持っていた。そしてドルトンの信じる古竜教では、ある程度の嫉妬はむしろ推奨されている感情でもあった。
「……フフフ」
思わず笑みが溢れる。安堵からの、気の緩みだった。
「何を笑ってんだ、気持ち悪いな」
ソグにすねを蹴られたと同時に、バァン!と威勢よく扉が開く音。
黒髪の女が巨大な男の亡骸を引きずり帰って来た。
「うわ、食事中なのに……」
「うるさい」
女に凄まれドルトンはヒッと小さな声をあげる。それから思い出したようにカトラリーを投げ出すと、死体運びを引き受けた。
「今回は随分と手こずったんだな」
ソグ博士は食事の手を止めない。黒髪の女に言葉だけを投げかける。
「でも殺せた」
女の声は、ひたすら疲労の色に染まっていた。
「わたし、あいつ、嫌い」
大男を指して女はフラフラとソファに座り込んだ。苦悶の表情を浮かべたまま事切れている大男は、ドルトンに運ばれグレゴリールームの奥へ消える。
ローテーブルに転がったカラの瓶には『劇薬注意!』とだけ書かれていた。
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