no.28 フエル・フタリ『林檎がいっぱい』
黒髪の女は林檎園を訪れた。点在する木々に、驚くほどたくさんの林檎が実っている。どれもが毒々しく赤く、そしてひとつひとつに名前が刻まれていた。気味悪さを感じたので、黒髪の女は林檎を手にしない。
木々の緑、彩りを添える林檎、視界に散らばる林檎の白い花。空は金色で、しばらく眺めていると、白い星々が渦巻いているのが分かる。
この林檎園に人の気配はない。倒されたままの脚立や、乱雑に積み重ねられたカゴはあるので、人が居ないというよりは見つからないだけだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目的の人物に出会えないので、黒髪の女はため息をつき木陰に腰を下ろす。するとドサリと音を立て、林檎が目の前に落ちてきた。
『クルミ』の名を刻まれた林檎が砕けて転がる。林檎からは、金色と赤色が混ざりきっていない粘液が流れ出た。
「……。」
「ソレは寿命なの」
声の方向を振り向くと、木陰に黒髪の少女が立っていた。赤いリボンを身につけた華奢な少女。黒髪の女の目がぐっと細くなる。"彼女"が、"彼女"で、間違いない。
「財団法人ゆたかハートプラザ・みことの森支部へようこそ」
少女は小ぶりの林檎をもぐと、銀のフォークを突き刺して黒髪の女に差し出した。
「この子は『ココット』。笑顔が愛らしい、みんなに好かれる子だったわ。どうぞ」
銀のフォークを伝って、金と赤の粘液が滴り落ちる。
「……。」
嫌悪を込めた瞳をもって、黒髪の女は林檎の拝受を辞退した。
「神様の真似事はやめろ」
苛ついた声。女はコートのポケットから金槌を取り出した。
「まぁステキなハンマー。林檎なんて簡単に割れちゃいそう」
「あんたの頭もね」
「あはは! 面白いこというねえ!」
別の声が、また背後から。
振り向くとちょうど額にゴツンと林檎が当たった。
『ナエ』と刻まれた林檎が、パカリとふたつに割れて落ちる。
林檎を投げつけたのは黒髪の少年だった。赤いリボンの少女とまったく同じ顔をしている。
黒目がちで、まつ毛が長く、健康的な肌をした、美しい少年と少女である。
「その子は、優しいお兄さんだったんです。少し内気だったけれど」
黒髪の女は、地に落ちた林檎を見る。流れ出す粘液に嫌悪を感じていた。
「お前たちは、双子なの?」
「「せーいかい」」
ふたりは黒髪の女を中心に、ぐるぐると周り、歩き、跳ねはじめた。
林檎にまつわる歌を別々に口ずさみながら。
星空は高く、じりじりと熱射が地に降り注ぐ。
此処がこの世界における『命の管理所』であることは明白だった。
「お姉さんの歓迎のために、ふたりほど捧げてみました」
「うふふ、もっと捧げてもいいわよ」
「ですから僕らを殺すのはだめですよ」
「私たち、この世界になくてはならない者だもの」
ふたりが手をパンとあわせると、周囲の樹から一斉にドサドサと音を立てて林檎が落ちた。
林檎のものとは思えない、ドチャリドチャリという厭な音が響く。
「今のは別に寿命じゃないわ?」
「落ちたのはぜんぶ、お姉さんにあげますから!」
明確な侮蔑の意志をもって、黒髪の女は金槌を握りしめる。
吹き抜ける風にのって甘ったるい林檎の蜜の香りが届いた。
「あらら、ひょっとして怒っていらっしゃる?」
「怒るなんておかしいな、だってお姉さんは」
双子は同時に女を指差す。
「いっぱい人を殺しにきたんでしょう?」
黒髪の女は舌打ちをした。
「そうだね」
そして金槌を振りかぶる。
「でも、お前が考えてることと、少し違うかもね」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
双子はわぁと叫ぶと、林檎園の中を駆け出した。
次から次へと林檎を落とし黒髪の女にぶつけていく。
命を粗末にしながら、自らは助かろうと逃げ惑う。
「なんで私を殺すの!」
「なんで僕を殺すの!」
「「命ならその辺にいっぱいあるよ!」」
黒髪の女は怨嗟を含んだ声で応えた。
「
落ちた林檎を飛び越えながら。
「ひとつめは、お前たちだけが弾の材料になるから」
転がる林檎を避けながら。
「ふたつめは、神のごっこ遊びが許せないから」
「私がそんなことをするなんて、私が……」
強く、息を吐く。
「これは罰だと思えよ」
黒髪の女は、とうとう転んでしまった少女の右足をとらえる。
そして強く金槌で思い切り叩くと、ゴキャ、という音と共に少女が泣いた。
「だったら、お姉さんに罰は、一体いつ下るのかしら!?」
今度は左足を強くハンマーで叩く。こちらもゴキャ、とおんなじ音がした。
「お姉さんが来なければ……!」
少女が笑いながら喚く。
「この世界の命たちは、実ったままだったのよ……!」
少女の背中を打つと同時に、林檎がボタボタと落ちていく。
雨のように。涙のように。血のように。
『財団法人ゆたかハートプラザ・みことの森支部』はむせ返る甘い香りで充満している。無意味に摘まれた命の匂いだ。
「『フタリ』、ありがとうね」
枯れた木の上に立つ少年が、双子の片割れが、地に伏す少女へ声をかける。
「きみは僕で、僕はきみ」
「そうよ、私たち双子だもの」
「お姉さんが云う『罰』ってやつ……フタリが僕の分も引き受けてよ」
「ちょっと? 勝手なことをを言わないで」
片割れを見捨てようとする少年に向け、少女は、自らの背に乗る殺人鬼とまったく同じ目を見せた。
「『フエル』、私を置いて逃げる気なの?」
「わざわざふたりもいらないでしょう?」
それを最後の言葉にして、少年は背を向け逃げだした。
直後、パンと乾いた音がひとつ。
黒髪の女の撃った鉛玉が少年の華奢な体を貫いた。
少年はどさりと地に落ちて、赤と金の粘液を撒き散らす。
「……フエル」
少女の声が震えている。管理者の死はあっけなく訪れた。
ふたりが雑にもぎとった林檎とちょうど同じように。
「……ああ、私の身代わりになってくれたのね」
少女が背の上の女を仰ぎ見て云う。
「ほら、あの子を持ち帰って。それで終わりにしましょう」
震える指で新鮮な死体を指差す。
「わざわざふたりもいらないでしょう?」
「お前も要るよ?」
黒髪の女の言葉に少女の表情が凍った。
「私がいっぱい必要なんだ」
ガツンと音が響き、それっきり。
どれも等しく呆気ないものだった。
「これで閉園か」
林檎ひとつ残らぬ木々を見て、黒髪の女は低い声でひとりごちた。
「ここ、ソグの場所みたいで厭なんだ」
ちょうど足元に転がる林檎へ目をやると、女は口元だけで笑い、それをポケットに突っ込んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
誰もいない林檎園には、膿んだ命の匂いで淀む、重苦しい空気が漂っている。
わずかに残る白い花も、いずれすべてが枯れ落ちるだろう。
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