no.26 ハッピーバレット

 精神を堕落させるような甘い匂いがComaに立ち込めていた。空は、青く輝く点のような星々で満たされている。


 青白い手が、いくつもいくつもの青白い手が、黒髪の女を手招きする。数々の手は絡み合い、根っこは分からず、女の眼前のそれは、人の手で構成された『太陽』。


「ひとつの命で、ひとつの命……」


 黒髪の女は震える手で銃を構える。HappyBulletは装填済みだ。あとは7発、


「愚かだなァ」

 女の足元に転がる『護衛種』が笑う。彼の腹はすでにいくつかの鉛玉が打ち込まれていた。黒い血溜まりに仰向けに寝転がる、白仮面の男。彼の体からだだ漏れる血の量は『護衛種』の命が長くないことの証明となる。


根源たいようを、太陽かみを、きげんを、起源げんえきを、原液そうぞうしゅを、創造主ひかりを、こんげんを……」

 白仮面の男の声は次第にかすれていく。話が長いと言いたげに、黒髪の女は男の腹を踏んだ。だが白仮面の男は譫言を止めない。

「分化した、派生した、上澄みに過ぎぬお前に、れやしないさ」

 黒髪の女はもう一度男の腹を踏んだ。それでも男はひるまない。


「『子種』よ、仇を討とうなんて滑稽なことを!」


 忠告とも受け取れる護衛種の言葉を無視して、黒髪の女はHappyBulletを7発標的に撃つ。

 タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン。

 的が大きければ外すことはない。

「ウカ、グ」

 奇妙な声と共に"ソレ"は小さく蠢いた。そして、それっきりだ。


始祖ちちにしてしそ根源かみまたはこんげん原初たいようであり太陽げんしょにわとりたるたまごははあるいはおう

 男が"ソレ"を讃える言葉は、血と共にボタボタと零れ落ち続ける。


「私の母はあの人だけ」

 そう告げて銃を構え直す黒髪の女の眼前で。

 "ソレ"は新たな『種』を吐き出した。

 ……幾千もの手の塊が割れ、やせ細った人が、産み落とされる。

 斑の粘液に溺れながら、世界に、新たな種が、排出される。


「再生……いや誕生だ、あらたなる『母種』の」

 白仮面の男が笑う。黒髪の女も笑う。ひとりは爆笑で、ひとりは苦笑だった。

「お前も、再生しちゃうの」

 黒髪の女が力なく男に尋ねる。

「我らが太陽しはいしゃ在る限り」


 男はそれを最期に動かなくなった死体に変わった。腹いせに、黒髪の女は死体を踏み砕く。もう反応はない。あるわけがない。


「……おかあさん、私が死ぬまで待ってて」

 黒髪の女は生まれたばかりの『母種』たる生命に銃口を向ける。

「理由? 貴方は『子種』の私を守る役目があるから」

 粘液まみれの全裸の人は、ぼんやりとした眼で黒髪の女を眺めていた。


「また、どこかで」


 HappyBulletを12発撃って、ようやく7発分が当たった。

 ドチャリという音をたて、『母種』は再び粘液に伏す。

 黒髪の女の瞳は太陽を見据え、絶望の色に浸っていく。


「Comaではない場所での、貴方と私は」

 蠢く太陽はゆっくりと空に沈んでいく。

「意外と……強い縁ではない」


 母と子の関係は、今生限りの物だと理解している。


 ――『子種』。『財産種』のひとつ。隷属の性。守られ育まれるもの。虐げられるもの。可能性を孕むもの。反発するもの。予測がつかないもの。矯正がきくもの。大人ではないもの。まだなにものでもないもの。


 まだなにものでもなかったのに。元首たる黒髪の女が、こうしてここまで歪んでしまって、そしてなにも達成できぬまま、再びグレゴリールームに逃げ戻るのだ。


 Comaの空には、いまだ太陽ソレが強く輝いている。

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