no.20 ドルトン『童貞のまま死にたくない!』
ドルトンにナイフを突きつけた黒髪の女だったが、何かに気づいてその腕を下ろす。代わりに小さな金縁眼鏡を取り出すと、歪んだレンズ越しにドルトンを観察した。
この世界の聖職者の衣装に身を包んだ長身の男。崩壊した教会、崩れた神像のそばで腰を抜かしていた。彼は手に竜をあしらった首飾りを握りしめている……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウルク・グア・グアランド様、ウルク・グア・グアランド様、我らの始祖の猛き竜よ、我らが神よ、我らが祖よ、どうか救いを……」
ドルトンは泣きながら祈る。それを見て、黒髪の女は鼻で笑い飛ばした。
「お前の祖はそんなモンスターじゃない」
「
男は震える手で女を指差す。女は相変わらず、レンズを通して男を視る。
「聖職者、規範となる者。なぜ
驚いたなと黒髪の女は呟く。
「は、そうやって、古竜教の信徒は人ではないと、迫害したのは
ドルトンが口答えをしたので女はもう一度、錆びついたナイフを男の首に押し当てた。
「い、いやだぁ!」
男が涙を流して嫌がる姿は、見るに堪えない醜態だった。
「死にたくない! まだ死にたくない!」
骨を回収する価値もないので、どうしたものかなと女は考えている。無言を貫く女に恐怖して、ドルトンの本能は勝手に言葉を紡ぐことを選択する。
「よ、よりによって童貞のまま死ぬなんて、そんな
男の嘆きに黒髪の女がようやく反応を示した。
「童貞でなくなれば、一人前になれるんだ?」
「はひ?」
腰が抜けて立てない男の襟首を掴むと、女は銀の扉を蹴り開けてグレゴリールームへ帰還した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こいつ、童貞を捨てたら弾が7発になるって」
「はぁ、聖職者でもそういうの有りなのか?」
この部屋に生きた人間が来ることにも驚いたが、帰るやいなや黒髪の女が告げた内容にソグ博士は中途半端な返事しかできなかった。床にはさめざめと泣く長身の男が転がされている。
ソグ博士が「どういう理屈」でと尋ねる前に、黒髪の女はソグの頭を下げさせると床に伏せるドルトンに近づけて。
「聖職者、童貞捨てたいならこいつを使え」
顔をあげたドルトンが見たものは、枯れ木のように細い体躯をした、灰髪の男である。今度はドルトンとソグが同時に「はぁ!?」と声をあげた。
「だから、こいつ、童貞捨てたら、弾が7発とれるようになるから」
黒髪の女は苛ついた様子でソグ博士に説明を繰り返す。
「いやいや!? その方、男では!?」
ドルトンが困惑して後ずさりする。背に着いた壁には茶色い痕が残っていた。ソグもまた、黒髪の女の手を振り払うと姿勢を正す。
「おれだって宗教的にまずいんだよ。だいたいな、性交したら一人前なんてそもそも前提がおかしいだろう……命がひとつ増えるだけで、ひとりが増えるだけっていうか。だいたい、どう考えても、それはおまえの役目だろう!? 女ァ!?」
混乱の末、感情が怒りにすり変わったソグは黒髪の女の頬を突く。女はそれを振り払った。
「
嫌悪と侮蔑を混ぜ込んだ瞳で黒髪の女は蔑む。
「ほらほらヤれば一人前になれるんだろう? 早く早く」
痩せぎすの博士の言葉を無視して黒髪の女は彼の背を押す。
「やめろ押すな! 大体、こいつも『おれ』にあたるんだろう!? 倒錯しまくっているぞ!」
ソグは、自分の臀部を庇うように白衣の後ろに手を回す。そしてドルトンの方に説得を計った。
「この女の話を聞くことはないぞ! おまえが童貞を捨てて一人前になったとしたら、この女はおまえを殺すだろうからな!」
「……お前たちは、淫魔の使いなのですか?」
ドルトンの疑問に、ソグは深いため息をつく。
「そんなわけあるかよ。おおかた、
「世界毎に常識が微妙に異なる」
「おまえは口を挟むな。ええと、いいか聖職者。一人前の死体から出来るのが最高で弾丸7発分。おれたちがこうして生きているのは、命が"一人前"に足りないクズみたいな存在だからだ」
たっぷり時間稼ぎを図るソグに業を煮やすと、黒髪の女はソグの後頭部に銃をあてた。ヤらなきゃ
「ただ童貞なだけで弾丸0発なんてあるものか。当ててやろう、おまえ、自分の世界じゃ文字通り『人ではない』ことになっているだろう?」
嗤うソグから目をそらし、ドルトンは自分の胸元を握りしめた。そこには竜が巻き付くロザリオが下がっている。
「私の国では……国教を信仰しない者は、ひとであらずです。だがあの国教に変わる前から、我が一族はウルク・グア・グアランド様を主神として信仰してきた……!」
そのままドルトンは、首飾りを掲げて祈りはじめる……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふたりから背をそむけるドルトンと、煙草をふかしはじめたソグを交互に見て、黒髪の女は苛立ち尋ねる。
「結局、童貞捨てても弾数は増えないと? 騙したな」
「騙してないです……一人前の男ってそういうつもりで言ってないですし……もういいだろう、私を教会に帰してください……片付けの続きをしないと……」
「やめたほうがいい」
ソグ博士が珍しく親切を働く。
「おまえの世界と、
煙草の煙がゆらゆらと部屋を踊る。
「渡界能力は時間を選べないし過去には行けない。この部屋に招かれれば最後、自分の元いた世界から切り離されたと思うことだ」
「そんな」
ドルトンの顔が真っ青に変わる。これはあまりにも理不尽な話だ。
「嗚呼……ウルク・グア・グアランド様、どうか助けを、私に慈悲を……!」
「
泣きながら祈るドルトンを見て、ひとつ答えを得たように、黒髪の女は淋しげに笑った。
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