no.17 チルチル『柱は彼女を追いかける』

 やられた、と最初にそう思った。黒髪の女の背には、少女チルチルが眠るように死んでいる。

 黒髪の女の目的は、ほぼ果たしたと言えるだろう。あとはこの世界を発ってグレゴリールームに戻るだけだ。


 しかし、それが出来ない、叶わない。世界がすっかり閉ざされている。

「おいてけ、おいてけ」

 世界の主、または神、此処の名で云えば『主柱』が哮る。敵に回せば厄介な者。


 黒髪の女が背負う死体の名は『千流散チルチル』、彼女は主柱の愛でる巫女。


「おいテけ、おいてけ」

 愛するその子を置いていけ。世界の外に連れてくな。そうかたる主柱をふりきって、女は黒い岩山を往く。


 沢の音、他に人の気配はない。中途半端な高さの宙に赤いぼんぼりが浮いている。道案内をするかのように、そのじつ、女を惑わす為に。

「せっかく殺したってのに」

 無礼な女に、それでも主柱は手を出さない。恨めしそうに頼むだけ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「おいてけ、おイてけ」

 女は世界の出口を探す。背中の死体が不安定に揺れる。山肌を歩けば息があがり、脚がもつれる目は霞む。履いてる靴はボロボロになり、湿った空気で服も重い。鼻をつくのは巫女の腐臭。

「帰ったら、すぐバラすから……」


「オいてけ、オいてケ」

 腹が減る。女は腕に吹き出す汗を舐め、飢えを誤魔化し山を歩く。死体を食べる趣味はない。背中の肉塊はひたすら重い。

 刃が欠け錆びたナイフを捨てる。それじゃないと支柱は唸る。マガジンポーチの弾を捨てる。それでもないと主柱は唸る。

「ちゃんと持ち帰ってあげるから……」


「おイテケ、おいてけ」

 遠くで鴉が啼いている。岩と、湿気と、崖と、壁。水の流れる音がして乾いた喉が動いたが、おそらくほとんど幻聴だ。背中の少女は力なく揺れる。女の耳に母の声……おそらくこれも幻聴だ。

『ほうら、なかない、なかないで……』


「ヲいテけ、ヲいテけ」

 張り巡らされた白い縄をこえた時に異変が起きた。背後から、無数の影が動く気配。なんらかの境界線をこえたのか。


 いずれ主柱が牙を剥く。それより早く、この世界を出なければ……。


 目を凝らすが扉は見えず。糸が降りない、穴も無い。

「あの男は何をしているッ」

 グレゴリールームで待つ者に、女は虚しく怒りを向ける。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ヲいテケ、ヲいテケ」

 視界の端には黒い谷。背中の遺体を棄てるのに、あつらえ向きの亀裂が奔る。女の前には主柱が聳える。ただただ高く、黒く、目玉も牙も骨もない神身を晒す。


「チルチル、ヲイテケ」

 その身から赤い液体をにじませながら、ぐうっと柱身を折り曲げて、主柱は女を影で覆う。赤い涙がボタボタと雨のように降り注ぐ。


 黒髪の女は思考を巡らす。まずはじめ、背中の屍体を棄てるかどうか。大事なものは己の命。ここで果てては女の願いは果たせない。


 黒髪の女は思考を巡らす、そのふたつ、を撃つのはどうか。ああ、数刻前の自分を恨む。


 黒髪の女は思考を巡らす、そのみっつ、HappyBulletを撃ってしまう?

 7発当てれば死ぬかもしれない。しかし無駄打ちをしたくない。いかに出来た人間といえど、採れる弾は最大7発。


 これ以上の案が出ない。

 主柱はぐぷっと表皮を開く。亀裂から、呼気のような赤い霧……。


 どうしてそこまで私に縋る?

 不意に苛立ちを覚えた女は、とうとう銃を取り出した。募る嫌悪を指先に乗せて、壱・弐・参・肆・伍・陸・漆。


 HappyBullet、7発当たれば必ず殺せる魔法の弾丸。神への有効証明か――その答えは否である。主柱は巫女を愛していた。だから彼女を受け入れた。正確には、彼女と同じ魂を、拒絶することができなかった。


 オ、オ、オ、オ、オ、醜い嗚咽が山に響く。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「プラスマイナス成果ゼロ」


 支柱を登って空を目指し、黒髪の女は自嘲の息をつく。女の背には巫女の骨肉。黒い空に銀の穴。

 グレゴリールームに還ろうか、きっと善き弾に成るだろう。

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