no.09 ケード『死神の慈悲』

 ひもじくてひもじくて、とうとう人を殺めてパンを奪おうと思ったケードの手を、見知らぬ黒髪の女が力強く打った。

「迂闊なことするな」

「ケイサツか?」


 学がないケードでも『ケイサツ』くらいは知っていた。やつらはこわい、こわくて強い。逃げようとするケードに黒髪の女は金貨を1枚投げつけた。思わぬ出来事にケードは「ええ?」とマヌケな声をあげる。


「これで飯を」

 さらにもう1枚の金貨。

「これで服を」

 さらにいっぱいの金貨を投げつけられ――ケードは3までしか数を知らないから、3よりもいっぱいの金貨が手元に集まった。

 女は地面に這いつくばるケードを見下ろし「これで本を」と命令した。


「……アンタはなんだ? どうして俺に?」

 ケードが女ならまだ分かる。現にケードの妹は、とうの昔にゴミ溜めから救われた。今はどうしているか知らないが。

「今より落ちぶれることは許さない」

 重い風が世の底を這い歩く。それに同調するように女の長い黒髪が揺れた。


「せめて『一人前』になれ」

 そう言い残すと女はケードの前から消えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 最初は女が『アクマ』の手先だと疑って、ケードはなかなか金貨を使えなかった。しかし女は数日後にまた現れた。今度は札束で頬を叩かれた。


◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あいまいな励ましの言葉と、生活に困らない金。道を踏み外そうとすれば、狙ったように現れて、問答無用で頬を打つ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


 そうした付き合いが何十年も続いた。ケードはとうとう、この国を支え励ます大宣教士の身分に登りつめた。あのゴミ溜めから這いあがり、獣に堕ちることなく、天上まで来ることができたのだ。

 白い装束に身を包み、導きを求める民に愛を持って言葉を与える。ゴミ溜め出身のケードは同じ境遇の者に特に目をかけ、王に働きかけ、やがて国から貧富の差はなくなり、民は残らず幸せになった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 それからさらに何十年。膨れ上がった民の信頼と愛情を一身に受けながら、ケードはベッドで病と闘っていた。病室には溢れんばかりの花。すべて愛しき民からの贈り物。まるで病室が花畑、そして窓際に立つのは黒髪の女。


「……久しぶりだな」

 ケードはしゃがれた声をかける。

「『一人前』、いや、十分すぎるくらいだ」

 女の姿は出会った時から変わりない。

「……私の天使よ」

 ケードが絞り出した言葉に、黒髪の女は怪訝そうな顔をした。

「天使じゃなくて死神だ」

 黒髪の女は、とうとうケードの額に銃口を突きつける。

「ああ……」

 ケードの目から熱い涙が零れ落ちる。彼女との出会い、苦難の道程、節目に現れては彼を導いてくれた思い出。そして最期に。


「私を、病から解放する為に来てくれたのか」


 パンと軽い音がして、ケードは花畑の中に倒れた。幸せな人生だった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 黒髪の女は怪訝そうな顔を崩さなかった。計画は成功した。彼を『価値ある人間』に育てあげた。魔女ウゥリエでの弾丸生成失敗がトラウマとなり、女はHappyBulletの精製になっていた。女の目的はその器に過ぎず。彼女は確かに死神だった。


 彼女はのちに失望する。いかに立派な人間でも、創れる弾は7発が限度。大宣教士は素晴らしい人、それでも決まって7発限り。つまり彼に与えた人生は、度の過ぎた慈悲だったのだ。


 ――額から血を流す大宣教士様の亡骸を抱え、女は病室を去る。早く立ち去らないと、怒れる民の鉄槌が彼女に下るだろう。思い出に浸る暇はない。今はひたすらグレゴリールームを目指す。まだまだ弾数は足りないのだから。

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