第263話

オスマン帝国の首都イスタンブールの占領、それがこのガリポリの戦い、イギリス名称ダーダネルス戦役の最終目標である。ロシア勢力圏と連絡したいだけなら首都はどうでもいいのだが、都合の悪い事にイスタンブールはダーダネルス、ボスポラス海峡の西側にあって見事に英露の連携を邪魔している、イギリスがロシアへ辿り着くにはオスマン帝国自体を下さねばならない、という事だ。

何がどうしてそうなったかはまるでわからない、いやたぶん比叡の存在あたりがトリガーだったのだろうがとにかくそれはどうでもいい。この仮想空間第3層がガリポリの戦いを模しているならイスタンブールが突破条件となるはずだ、そこまで進撃して、制圧すればいい。などと言うだけなら簡単だが、現実問題まったく簡単じゃないのは地図を見ればわかる通り。

道のり300kmを超える、東京ー名古屋とだいたい同じである。10km進撃するのに多大な損害を必要とするこの戦争において途方も無い距離であり、すべてが理想的に進んだとしても到着するのは半年後とか、そういうレベルの話になろう。


「暗殺(アサシネイト)!これしか無い!」


まず前提条件としてこの仮想空間上の時間軸と現実空間上の時間軸は完全に切り離されている、ここで何年過ごそうと復帰する際に戻りたい時間を指定すればそれで済むし、そも時間遡行能力を持つニニギがいる以上、時間という概念そのものが意味を成さない。

それにしたって半年は論外だ、精神衛生を保証できない。イスタンブールの陥落が最も有力だろうという結論に至った時点でカノンは高らかに宣言した、ごく少人数でイスタンブール市内へ潜入、オスマン帝国の重要人物を速やかに、根こそぎ葬り去り、戦争の継続を不可能にする。そうなれば後は東京ー名古屋間をまっすぐ移動するだけだ、たとえ徒歩でも1週間あれば辿り着く。


「では最後にもう一度だけ作り話を確認しよう」


言いながらカノンは自動車の後部座席右に座ったまま、自分の着るオスマン帝国軍服(男性用)のボタンを一番上まで留める。オレンジの長髪は纏め上げて帽子に押し込め、胸にはサラシをきつく巻いており、それで男性に見えるかというとちょっと無理があるし中途半端だが、まぁとりあえず美人は何着ても美人という話。

現在イスタンブール市内、ガリポリ半島先端部からここに辿り着くだけでもサスペンスドラマ1本分くらいの紆余曲折があったがそれはまぁ良しとしよう。中央通りをまっすぐ進む自動車内にはカノンの他に後部座席左の武川、ハンドルを握る教導連隊副隊長、武川はカーキ色の軍服、副隊長はフォーマルを着ている。助手席にいるスズの服装はオスマン帝国"風"、帽子と上着は本物だが、下半身はタイトスカートと黒タイツに置き換えられている。

外の景色を見てみよう。煌びやかな宮殿やモスク、白壁に赤い屋根の家屋が整然と並ぶ、いかにもヨーロッパ、いかにもエーゲ海な光景だった。これがもし観光だったら滞在期間は最低5日は欲しいと言いたかったが、残念な事に一行の来訪目的は殺人である、所要時間は短ければ短いほど良い。


「まず連隊長、武川大佐。キミは中華民国から来た外交官だ、名前は蒋 介石(しょう かいせき)、メフメト5世へ密書を持ってきた。内容は?」


「中国はロシアへ戦線布告する用意がある」


「結構、真っ赤な嘘だが最大限の譲歩を引き出してくれたまえ。次、副隊長の横尾(よこお)中佐。職業は?」


「雇われ運転手であります」


「役割は?」


「何かあった際に100万馬力でかっ飛んで行くであります」


「オーケー」


では、と、言った直後に車は停まった。眼前には絢爛豪華としか形容できない超ゴージャスな宮殿があり、検問所に詰めていたオスマン帝国兵が駆け寄ってくるところ。


「ベルっち、キミは私の秘書だ、ノンアポで押しかけてきた中国人の道案内をやらされている。車外に出たら私の事はイスマイルと呼ぶ事、イスマイル・イルディズ、階級は中佐」


「うん」


「当然ながらそんな名前の士官はオスマン軍にはいない、最初だけはごまかせるだろうけど5分が限度だろう、"4人以下なら仕掛ける"、いいね」


頷くと彼女はドアノブに手をかける、兵士に手を挙げながらドアを押し開け、そして颯爽と下車して

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